表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊の唄  作者: 猫島けい
第三章
25/26

『朝餉』

ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス

・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。

・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。

・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。

 子供を元客間に押し込んでから、カイはなだれ込むように鍛冶場へと向かった。

 できるだけ平静さを保つようにはしていたが、身体は正直限界だった。腹のあたりは未だにじくじくと疼いているし、釘の乱用の影響で両脚は絶えず引き攣れた痛みを訴えてくる。

 なんて脆い身体だ、と地面に吐き捨てたくなる。小手先だけのクロスボウなんて、結局何の役にも立たなかったじゃないか。舌打ちは、静まり返った鍛冶場に響き渡った。

 

 浅く呼吸をしただけで、胃液の嫌な臭いが鼻に纏わりつく。

 不快さからヘルムを乱暴に放り投げ、先の戦いでより一層ぼろくなった外套を脱ぎ捨てた。口元を乱雑に拭ってから、その場に項垂れるように座り込む。

「――くそッ!」

 握った拳で地面を強く叩く。慣れているはずのざらついた砂の感触が、ひどく煩わしく感じる。悪態を吐きながら再び地面を叩いても、不快感が消える訳もないのに。

 何度も、何度も、強く叩いて。やがて握った拳がひりついた痛みを訴えてきても、拳を振り下ろすことは止められなかった。


 それから、どれくらい時間が経ったのだろうか。

 右手が痛みを通り越し、痺れが広がってから、ようやくカイの腕の動きが止まる。

 感覚が鈍くなった右手で、ざり、と砂を僅かに掻いた。

「……ヘルムとか、洗わないとな……」

 このまま放っておいたら、常に饐えた臭いが付きまとう羽目になる。それだけは避けたいと、カイは重い身体をなんとか起こした。


 ずる、ずる、と足を引きずりながら井戸に向かう。神による白い光なんて届かない場所にあるその井戸は、手元の僅かな明かりだけでは随分と心もとない。

 けれど腕は自然と井戸の梁から伸びる縄を掴む。そこから繋がる桶を底へと放ると、水が跳ねる音が届いた。だぷんと、重みのある音を確認してから、手にしっかりと馴染む造りの木軸を掴み、ぐる、ぐる、と縄を巻き上げていく。

 

 動きに応じて身体のあちこちが軋んで痛む。けれど、他の井戸を使ったなら、もっと痛むはずだ。こんな時に父さんのこだわりを感じてしまって――口から空気がふっと漏れ出ていった。


 結局、普段の何倍もの時間を掛けて水を汲み上げて、行きよりものろのろとした足取りで鍛冶場に戻ることになった。

 桶に汲まれた水に触れると、ひんやりと肌を冷やして心地がいい。熱を持った右手をしばらく浸してから、汚れたもの達を洗い始める。全部汚れを落とし切った頃には、右手の熱はすっかり冷え切ってしまっていた。

 

「手当ても一緒に出来て、ちょうど良かったな……」

 母さんとカナエが見たら、目を吊り上げてとんでもなく怒りそうだ。父さんも「手は大事にしろ」って難しい顔をして注意してきただろう。それも、今となっては起こり得ない話だが。


 欺瞞の釘を保管しているスペースに、ヘルムや外套を干しておく。こうして見ると、ただのガラクタの山にしか見えない。完全に乾いたら、いつも通り適当な布で覆って隠しておこう。

 吐瀉物の処理を終えて、ようやくまともに息が吐けた気がする。――同時に、全身がひどく重怠い。関節という関節がすべて、冷えて固まった鉄くずみたいだ。

 ずるずると、ほぼ這いながら鍛冶場の拓けた地面に出て、そのまま寝転がる。

 瞼の重さに抗うことなく、カイは目を閉じて眠りへと落ちていった。


 ◆


 ゆさゆさ、と無遠慮に身体が揺さぶられている。

「――ぃ、おい、大丈夫か?!」

 その動きと、耳に届く声が妙に懐かしくて、もぞもぞと身体を丸める。ああ、カナエが起こしに来たんだと思って、小さく笑みがこぼれ落ちた。きっとまた「早く起きないにいさんが悪い」って言いながら、自分の上に勢いよく飛び込んでくるはずだ。

「笑ってる……。なら、大丈夫……なのかな」

 予想に反して、自分を揺さぶっていた腕が離れていく。それがどうにも寂しくて、つい手を伸ばしてしまった。

「……なんだよ、カナエ……、今日は飛び込んでこないのか……」

「うわっ、びっくりした。って……俺、カナエって名前じゃないぞ」

「……?」

 

 ぼんやりとしていた意識が少しずつまとまってきて、重い瞼を持ち上げる。

 やや暈けた視界には、妹が映っていて――なんだ、やっぱりカナエじゃないかと笑った。

「はは、なんだよ。ああ……兄ちゃんを、騙そうって思ってるのか?」

「だーかーらー違うって! 俺は、タ・ス・ク!」

「――……あ」

 言い聞かせるような声に、間抜けな声が出た。覚醒する意識に応じて、昨夜の出来事を急速に思い出していく。

 がばっと勢いよく起き上がると、カナエに似た子供は驚いたように尻もちをついていた。耳が熱いが、それどころじゃない。


「なんだ、元気そうじゃん……」

「――お前、鍛冶場には入るなって言ったよな」

 自分の言葉に、子供の両肩はびくりと跳ねる。見れば見るほどカナエにそっくりな瞳は、うろうろと宙を彷徨って最終的に地面に落ちた。

「わ、悪かったよ……。でも、アンタが倒れてて、びっくりして……」

 先までの勢いはどこへ行ったのか。ずるずると肩が落ちて項垂れてしまった。そのあまりにもしょぼくれた表情に、胸の奥がちりちりと痛む。随分前に妹と喧嘩をした時以来の感覚に、カイは眉間に皺を寄せた。

 

 子供は肩を丸めたまま、両手を胸元あたりでぎゅっと握り締めている。なにかを身構えるようなその動きに、カイはたまらず溜息を吐いた。

 溜息ひとつにも、大袈裟なまでに子供の肩は跳ねる。昨夜のことを思えば、怯えられても当然だと思いもするが。

「その、俺……おなかすいて……でも、どこになにがあるのか分からないから……」

 言葉と同時に、きゅるると切なげに空腹を訴える音が響く。

「アンタを探してたら、黒いもやもやが見えたから追い掛けたんだ。……そしたら、ここでアンタが倒れてたから……えっと、その……」

 昨夜から変わらず、自分には見えない靄がこの子供には見えているらしい。それがここに来ることに繋がってしまっていたのなら、これ以上責めることもできなかった。

 

「……わかった。飯なら食わせてやる」

「――! いいの?!」

「飯が欲しくて俺を起こしたんだろうが」

「そ、それはそうなんだけど……でもアンタ、足にまだ黒いもやもやが残ってるし……動いて大丈夫なのかなって心配したんだよ」

 タスクの視線が、釘を打ち込んだあたりに向けられる。自分には分からないが、まだ力の滓は残っているらしい。――そう言っても、脚の強化自体はもう完全に失われているから、残り滓に何の意味もないが。

 

「別にどうってことはない。もう慣れた」

「そう、なら……いいんだけどさ」

「……」

 

 会話は、そこで途切れた。

 どうにもこうにも、調子が狂わされて――どう、話せばいいのかが分からない。

 

 街に出てしまえば「研ぎ師のカイ」として振る舞える。

 家の中では「独り言が多いただのカイ」として好きに動けた。

 今はどちらにもなれないでいる。強いて言うのならば……「悪魔」としての自分に近いのだろうか。


 妹そっくりのこの子供と視線を合わせることも、話すことも、心のどこかで拒否してしまいたくなるような。――けれど、見捨ててしまうことは絶対に嫌だとも思っている。我ながら随分と面倒な性格だ。


 自分以外の足音や息遣い、着いてくる気配に背中が落ち着かない。

 妙な居心地の悪さを誤魔化すように、足早に食料を保管している棚へと向かう。

 取り出した少し硬くなってしまった黒パンにナイフで切れ目を入れて、スライスした豚の塩漬け肉をぎゅうぎゅうと押し込んだものを二つ用意した。

 

「ほら」

「わ、……あ、ありがとう」

 子供は戸惑いを見せながらも、歪な食事を受け取る。そのまま、カイは慣れた様子で食事にかぶり付いた。

「……あ、あのさ」

「……なんだよ」

 両手からはみ出る食事をじっと見つめていたタスクは、おずおずと言った様子で自分を見上げてくる。


「……野菜は、たべないの?」

「……そこになければ無いな」


 

〈続く〉

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ