表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊の唄  作者: 猫島けい
第三章
23/26

『選択』

ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス

・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。

・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。

・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。

 数拍の静寂が、その場を包んだ。

 

 人の命を犠牲にできるかと問われ、思考が止まる。

 沈黙が戸惑いと受け取られたのかは分からない。戸惑いか、それとも肯定か。

 笑みを湛えたままの聖騎士は、軽い足音を残して物陰まで向かったかと思うと――みすぼらしい姿の子供をひとり、引き摺り出してきた。


「まったく、聖騎士たちの警備を掻い潜るだなんて、随分とかくれんぼが上手らしい」

「はなせっ、はなせよ! くそっ、水まであとちょっとだったのに……!」

「うーん、煩いのはちょっと困るから――少し黙っていてもらおうか」


 とん、と軽い音。直後、呻き声と共に子供の頭ががくんと垂れる。

 ぐんなりと弛緩した子供は、ひどくぼろぼろの服未満の布を纏っていて、肌も髪もひどく薄汚れていた。

 カイが住む中層よりもさらに向こう。山向こうの貧民窟では珍しくない、見慣れた姿の子供だが、水を求めてここまでやってくるのに、一体どれほど時間をかけたのかは分からない。


「手短に話そう。僕は君達を見逃したいと思う。その代わり、この子供には犠牲になってもらいたくてね。……ああそうだ! ついでにその鉄槌で顔を潰してもらえると助かるよ」

「――――は?」

「簡単な話だよ。僕は、そこのタスクくんと同じ"目"が欲しい。だから、今ここで処理したくはない。でも立場上、仕事はしないとならない。そんな所で、タイミング良く代わりになりそうな子供が近くにいた。――ほら、ちょうどいいだろう?」


 その言葉に、一瞬打算が動いた。

 この男が言っていることは、正しいのだと。

 明確な力関係が敷かれたこの状況で、俺と、妹に似た子供が助かるには確かに"丁度いい"のだと、思ってしまった。


「――……ぁ、」


 そして――同時に気付いてしまう。

 

(――カナエを連れていったあいつらと、同じこと、)

 

 今俺は、命の選別を考えてしまった。

 選ぶ側と、選ばれる側。

 選ばれる側には、拒否権はなく。

 その理不尽さに、確かな怒りを抱いた。憎しみを抱いた。

 ――その、はずなのに。


 つう、と首筋に汗が流れた。

 身体の端から奥へ、冷えが広がっていく。それから、胃がぐるりと反転するような感覚が続いて――。


「っう、ェ……げほっ、ッぐ、おぇ、――ッ」

 腹の底から胃液がせり上がってきて、その場に吐き出す。

 ヘルム越しにびちゃびちゃと、饐えた臭いが立つ液体が石畳に零れていく。目の前が涙でじわりと滲んで、くるしい、きもちがわるい。


 その場で膝をついて嘔吐するカイを見てエイリは、ことん、と首を傾げた。

 ぼやけた視界の中で見えた表情は、心底不可思議に思えたような僅かな戸惑いが覗いている。


「っげほ、……ゥえ、……ぐッ、げほっ、がはっ、」


 腹の奥が何度も痙攣を繰り返して、胃の中身をなおも吐き出そうとする。もう腹には何もないのに、罰のような苦痛だけが続いていた。


 目的を果たすためならば、躊躇いなく代償にすると決めていた。

 たとえそれが、自分の身体であれ、魂であれ、躊躇うことはない。

 実際に、母さんとカナエを連れていった神官に手を掛けた。

 直接殺めた訳ではない。だが、あれは俺が殺したも同然だ。

 

 今も、今だって、その気持ちも決意も変わらない。

 けれどその決意は、まだ足りなかったのか。

 足りていないから、目的を果たせないままなのだろうか。


 ざり、と無様に石畳を掻くカイを見たタスクは、よろめきながら立ち上がる。その表情は痛ましいものを見るように見えた。悪魔を前にしたときのような恐怖の色は感じられない。

 そうしてカイに向けていたタスクの視線は、ゆっくりとエイリに。それから――彼の腰に提げられたレイピアへと移動する。

 タスクの眉根が寄って、言葉を探すように一度目が伏せられた。何度か息を、吸って、吐いて――意を決した表情で、エイリを見上げた。


「――聖騎士さまの奥さんが、聖騎士さまを、心配そうに見てます」

「……本当に、その目が羨ましいな」


 幼い言葉が、エイリの湛えたままだった笑みを僅かに崩す。

 ほろりと零れた羨望の言葉から、笑顔の下にある紛れもない本音が、はっきりと伝わってきた。

 エイリの左手は、ゆっくりとレイピアの柄を撫でる。本当は、傍にいるはずの妻を抱きしめたい、触れて、確かめたいという感情に満ちた――ひどく愛おしむ手つきだ。


 生理的な涙でぼやける視界で、タスクとエイリを見上げている。

 このまま自分が動かなければ、用済みとして三人纏めて殺されるだけだ。三人より二人が助かる手段を選――……いや、そもそも生きるための選択肢なんて、端から自分には用意されていない。

 

 生き残るために殺すか、ただ殺されるか。

 ただ、それだけのシンプルな話。

 どれだけ考えたところで、打開策が見つかるはずもないんだ。

 けれど、そうだとしても――


 ――思考を放棄することは、絶対にしてはいけない。


 歯を食いしばれ。目の前の現実から逃げるな。

 考えろ。

 考えて、考えて――この場での正解を掴み取れ。

 息を少しでも整えて、考えるための時間を稼げ。

 

「っゴほ、……っその異端者を、救うために貧民の子供を殺したとして、……お前は、俺を、生かす理由はないはず、だろ」

「そうかな? 彼と同じ目を得るために、君が持っている力を上手いこと利用できないかなと思っていたんだけど。先までの君を見る限り、その鉄杭……いや、釘かな? それは、なにかを増幅させたりする力を持っていそうだしね」


 薄茶色の瞳は、カイが握る欺瞞の釘に向けられる。

 まるで眺めていた路傍の石が、実はそれなりに価値のある鉱石だった驚きのような――好奇心と執念じみた熱が、確かに彼の目の奥にちらちらと揺れて見えていた。


 男の口にする言葉は、どこまでも本心にしか思えなかった。

 だからこそどこまでも合理的に、目的までの最短を求めている。


「実際僕を相手取っている間、何度かその釘を使って脚の動きを良くさせていただろう? じゃなければ、戦闘経験もない素人が避けられるはずがない」

「ッ……ああ、その通りだ」

 

 僅かな逡巡の後、肯定する。

 馬鹿力の大剣使いも大概だったが、こいつも大概だ。

 常に見られ、分析されている感覚が全身にまとわりついてきて、なんともやりづらい。この状況で、男が求める合理的な回答を――自分が導き出さなければならない。


 未だ口内に残る嫌な酸味を飲み下す。

 ぼろぼろの外套の下に仕込んでいる、杭じみた大きさの『欺瞞の釘』を左手で握り込んだ。それだけで、どく、どく、と心臓が跳ね始めるのを感じる。

 連動するように呼吸が浅くなろうとするが、意地で深い呼吸に切り替えた。


「……身代わりがあれば、それで済むんだな」

「そうだね。ああ、それと僕がタスクくんと同じ目を得られるように協力してくれることが前提だけど」

 穏やかな笑みを貼り直した男を、真っ直ぐと見据える。

 もう一度、深く息を吸い、吐く。そして頷いた。

「分かった。……協力は、する」

「それは良かった。僕としても、ここで三人分の死体を回収するのは骨が折れるからね」


 なんてことはない、ただの世間話のような軽さで続けられた言葉に、カイの釘を握る手にぎゅうと力が入る。このまま節が白くなるまで強張りそうになる指の力を、意識して抜いて――欺瞞の釘を男の目の前に差し出した。


「ただし、身代わりの用意の仕方は、俺が決めさせてもらう」


 カイの宣言に、エイリの目が僅かに開かれた。おや、と返された口は「意外だ」と言わんばかりに開かれたまま。

 僅かたりとも、初めて得られた『男の動揺』に、カイは言葉を重ねる。


「ついでに――俺の力も見せてやる」


 身代わりが必要なら――この力で"そう見える”ように変えればいいだけだ。

 一際大きな釘を大きく砕けた石畳へ向け――振り被った鉄槌で、強く打ち付けた。


 

〈続く〉

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ