『対話』
ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス
・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。
・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。
広場に、黒と白の影が伸びている。
肩を揺らすぼろぼろの黒衣を纏った悪魔と、泰然とした傷一つない白騎士。
ほんの数歩の距離を開けたまま、エイリは柔和な笑みをカイへと向けている。
先まで容赦なく自分を殺しに掛かってきていたとは思えないほどの、穏やかな笑みだ。
こちらを見る薄茶色の目は清水のように澄み切っている。
と、同時に感じる――路傍に転がる石ころを、あえて検分するような異質さ。
視線を受けたカイの心臓は今もなお、忙しなく跳ねて落ち着くことはない。
カイは震えようとする手指を叱咤し、鉄槌の柄を指の節が白くなるほど強く握りしめた。
聖騎士の手は、レイピアから完全に離れているというのに――たった一拍の油断を見せただけで、頭が刺し貫かれるかもしれない。
そう思えば、どうして油断などできようか。
眼前の存在は、人を越えた暴力、そのものなのだから。
「はは、兜を被っていても君が困惑していることはよく分かる」
「……ッ、げほっ……。……何が、目的だ」
男がなぜ目の前で剣を降ろし、無防備な掌を晒しているのか。
急に話をしようと持ち掛けてきたのか。
直前までの戦いで回避と状況打破に集中していたカイの頭は、上手く答えを弾き出せずにいた。
(今の間合いなら……、あの剣は壊せる)
視線は自然と、鞘に納められた薄金と白の剣へと向けられる。
あれさえ壊せれば、この状況は打破できるかもしれない。
どくり、どくりと、心臓の音がやけに煩く響く中。
滲む汗でぬるつく掌で、一層きつく鉄槌を握りしめる。
欺瞞の釘で『脆さ』を刻みつけて、この鉄槌で一撃さえ叩き込めさえすれば――。
今、この瞬間なら――きっと。
左手の『欺瞞の釘』は、彼の腰に下げられたレイピアに届く。
カイが足を僅かに動かしたと同時、どこまでも凪いだ声が耳を撫でた。
「ああ、僕の剣を壊そうとしているのかな。もちろん駄目だよ? ――言っただろう。君と、『話』がしたいって」
「――! ッ、……げほっ、げほ、」
その言葉に、急速に思考が冷えていく。
温度のない薄茶色の瞳がこちらを見ていて、無意識に足が後ろへと下がった。
「それに、『あの子』も助けたいんだろう? ――良いのかな?」
近衛聖騎士から、更に数歩の距離を開けた位置。
エイリに一瞥された子供は、びくと肩を跳ねさせた。
けれど、腰が抜けたまま立てないのか、妹に似た子供はこちらを見たまま、この場から逃げようともしていない。
「ひっ、……あ、あの、俺――……」
「はは。今は、そんなに怯えなくても大丈夫だよ」
聖騎士を見た子供の目は、大きく揺れている。
先までの遣り取りに「自分は『異端者』として殺される」ことを理解したらしい。
そんな男に「大丈夫だ」と言われても、誰が信じるものか。
「改めて――僕は近衛聖騎士、エイリだ。君の名前は?」
「……馬鹿正直に、自己紹介を……っげほ、する訳がないだろ」
「まあ、それもそうだね。ああ、安心して。人払いは元から済んでいるから」
エイリは軽く両手を広げ、湛えていた笑みを深めた。
「じゃあ、『悪魔』の君に質問だ。君はどうして、近衛聖騎士の剣を壊そうとしているのかな」
「そ、れを……訊いて、どうする」
「単純な好奇心――いや、冗談だよ。タスクくん……ああ、そこの子供には、この剣に『僕の奥さん』が見えているみたいでね。奥さんだったら、君に壊されると困るなぁって思ってさ」
「――は?」
間抜けな音が口から漏れた。
同時に、カイの視線は勢いよくタスクへと向けられる。
当の本人は、ぱちくりと丸い目を何度か閉じて開いてを繰り返していた。
「そ、れは……、本当なのか……?」
「恐らくね。僕の頬に好き好んで触れる女の人なんて、後にも先にも奥さんだけだし」
「聖、騎士さまの、おくさん……? じゃ、じゃあ……その、女の人の光は……?」
「さあ、僕には見えないからなんとも?」
「――え、」
エイリの言葉に、タスクの目は零れ落ちそうなほどに開かれる。
視線は聖騎士の剣に、そして――なにもいないはずの空を見ている。
その様子を見たエイリは、薄茶色の目を三日月形に細めながら、自分自身の頬を確かめるように数度撫でた。
「職業柄、嘘や誤魔化しはすぐに分かるんだけどね。彼は"嘘を吐いていない"と、断言してもいい」
「だと、したら――」
「そう。――あの子には『真実』の世界が見えているんだろうね」
なにが「神に選ばれた」だ。なにが「神の御許に行く」だ。
この街で隣人はいつ『ただのモノ』になるか分からない。
だのに、馬鹿みたいに神の慈悲だ奇跡だと、心の底から喜んでいる。
神に疑いを持つことそのものが異端だ。
異端者は告発され、迅速に聖騎士によって摘み取られる。
疑いではなく、真実が見えているあの子供は――果たして『異端』なのだろうか。
広場に満ちる白い光が、三人を柔らかく照らす。
その中で真っ黒な自分だけが、この場における異物だった。
「真、実って……あの、聖騎士さま、それって、俺の目がおかしいってこと……?」
「端的に言えばそうだね。君のそれは、生まれついての構造的欠陥じゃないかな。僕にも、それに悪魔の彼にも『人の形をした光』なんて見えていない」
「えっ……」
タスクは呆然と、口を開いたまま。
は、は、と浅く吐き出される呼気に合わせて、細い両肩が上下している。
それでも、この場で自分だけ逃げる訳にはいかないのだと言わんばかりに、彼の瞳は自分たちをまっすぐ見つめていた。
タスクの様子を見て、カイの内側に重く苦い感情が湧く。
自分自身の世界が否定された心地には、自分にも覚えはある。
「そうだろう? まあ、そうすると……どこで君が気付いたのかが気になるところなんだよね」
薄茶色の三日月が、カイを見つめる。
背にひやりと冷たい汗が伝って、反射的に唾液を飲み込むように喉を動かした。
馬鹿正直に話すつもりはない。
(だが、ここで間違った答えを言ったところで……)
用済みとして、まとめて処理されるだけだ。
せめて、攻撃手段が相手に通用すればまだしも――いや、行動を起こす前にあの細剣が抜かれ、自分を殺す方が早いだろう。
ヘルムの下で、乾いた唇を何度か動かす。
視線は数度、レイピアや彼の右手へ向かうが、結局は聖騎士の両目に戻ってきてしまう。
足元が少しふらつくも、今逃げることは許されない。
――いや、俺自身が許さない。
一度息を吸って、吐く。
掠れた喉が言葉を紡ごうとして、乾いた痛みが奔った。
見据えた先、白い男の表情は淡く逆光に晒されている。
「っは……、俺の、家族は……結晶に、させられた。その結晶に、『家族』だと分かる痕跡があった。ただ、それだけだ……」
「――へえ?」
がん、がん、と頭を金槌で殴られているような痛みが襲う。
痛みと同時に脳裏に過ぎる、あの時の『妹』の姿。
呼びかけに応じるように、何度も暗闇の中で明滅する柔らかい白い光。
当時の記憶は今もなお、自身の生傷として残っている。
「面白いな。僕も何度か、あの結晶を見たことはあるけれど――ああ、それとも奥さんのものだったら、僕も痕跡とやらに気付けたのかな」
言いながら、エイリはレイピアの柄をゆったりとした手つきで撫でた。
(お前も……! お前だって、奪う側のくせに――!)
その手つきが、妹の頭を撫でていた時のものと似ていて――カイは無意識のうちに奥歯を噛み締める。
「まあ、それはもう終わった話か。その家族だった結晶が、どうして近衛聖騎士の剣になっていると思ったんだい? ただの聖騎士の剣になっている可能性もあるはずだ」
「ッ、それは、ない」
「――なぜ?」
問いに、カイの両肩が僅かに上下する。
その動きを、聖騎士の男が見逃すはずもなかった。
「ああ、なるほど。その答えは君の正体に関わることなんだね。だから、言えない」
「……ッ」
沈黙は、肯定と同義だった。
けれど否定することは、誤った選択肢だということは嫌でも理解していた。
弱みを掴まれた事実と、身体の疲労がピークを越え――嫌でも、呼吸が乱れる。
釘を乱用した影響で腱は引き攣ったように痛み、視界が弾ける。
「うーん、兄弟が神殿関係者って訳ではなさそうだ。僕みたいに、奥さんを取られちゃった元聖騎士……いやぁ、それは無いか。聖騎士が引退するときは、みんな神の御許行きだしね」
「は……? ッげほ、げほ、ぅぐ、」
頭が、ぐう、と痛んで、目の前の騎士の姿が一瞬ぶれる。
たまらず、釘を仕込んだままの左手で目元を覆いたくなるが――それは隙に直結する行動だ。
数歩の距離は、未だ変わらない。互いの間合いの中だ。
喉の圧迫感から一度息を吸って、短く吐く。
それでも収まらぬ苦しさに、カイはヘルムの下で唇をきつく噛んだ。
鉄の味を伴う痛みが、二重に見えそうになる視界を明瞭にさせてくれる。
強制的に冷えさせた思考は、僅かなりとも冷静さを取り戻せるだろう。
「はは、当たった?」
「ち、がう……!」
そんな自分を見て、エイリは口元に弧を作った。
軽口を追い払うように、鉄槌を握ったままの右手を振る――が、それが当たることはなく。
まあいいや、とエイリはカイの動作を攻撃と捉えることもせず。
「一つ、提案があるんだよね。君達にとって悪くない話だと思うよ」
白に包まれた指先が一本、すい、と立てられる。
一体なにを、と身構える自分と、内容がどうあれ――その提案に乗らねば、殺されると感じる自分がいることに、内心ひどく狼狽えそうになる。
折角取り戻した冷静さなど、あっという間に掻き消えてしまった。
遠くから、子供の息を呑む音が耳に届く。
自分の汚い喘鳴が、水の湧く音に混ざって、酷く耳障りだ。
エイリは一度自身の後方に視線を遣り、両手を広げた。
薄茶色の瞳が白い光にやわく照らされて――男は世間話のように口を開く。
――君は、人の命を一つ、犠牲にできるかい?
〈続く〉
筆が乗っているといったがあれは嘘だ……! になってしまった……。
とても……難産回でした……楽しんでいただけたらとても嬉しい……。
感想いただけたらもっと嬉しい……。




