『一線』
ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス
・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。
・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。
――びゅう、と鋭いなにかが白手を掠めた。
硬い音と共に、石畳が砕けて――小さな破片が靴に当たる。
突然のことに眼前の子供はただ目を白黒させていた。
一方でエイリは咄嗟に半歩後ずさり、レイピアをすらりと抜く。
まだ姿を見せない相手を牽制するべく、細い剣先は真っ直ぐ闇夜に向けられた。
同時に腰に据えていた短剣を左手に握り、次発に備える。
ここに来て、ようやく垂らしていた釣り針に本命が掛かったようだ。
聖騎士の口元は笑みを湛えたまま、切っ先を向けた方向を真っ直ぐ見る。
「さて、悪魔のお出ましかな?」
「え……?」
かつ、かつん、と響く靴音が、第三者の乱入を知らせた。
一歩、また一歩近づいてくる度に、その輪郭が浮かび上がって――。
――神の恵みたる白い光に満ちたこの広場で、墨のような存在が姿を現す。
ボロ布を纏った真っ黒な『悪魔』。
歪な杭と鉄槌を握り、表情の見えない顔でこちらを見つめている。
ああ、あれが完全無欠と恐れられたソウエイの剣を折った張本人か、と得心が行く。
悪魔はこちらを警戒してか、まだ、こちらの間合いには入ってこない。
ゆらゆらとボロボロの黒衣を揺らし、鉄槌を握る手がわずかに動くのみ。
自分の背後にいる子供に視線を向けてから、じり、と右足が後退したのを見て小さく笑う。
あのまま、こちらを狙える手段があったと言うのに――随分甘く見られたものだ。
「あ、あれ、あれが……悪魔……?!」
「――おや、会うのは初めてかい?」
子供は信じられないものを見たと言わんばかりに、その両目を大きく瞠る。
小さな両手は震え、恐怖で叫ぼうとする口元を健気にも抑えていた。
そうして腰を抜かしている姿は――エイリから見ても、演技ではなさそうだと思える。
となると、『本命』が釣れたのは単なる偶然だろうか。
エイリは薄茶色の瞳を、すうと細め、悪魔と呼ばれた存在を観察する。
表情は見えないが、身動ぎ、指先の動き一つだけでも得られる情報はある。
たしかにあの姿は異様だが。
(構えは凡庸。それから焦りと動揺もある)
悪魔ではなくただの人だろうな、とエイリは考える。
ソウエイの大剣を叩き折った術にさえ注視しておけばいい。
(鉄槌と杭が厄介だったはずだけど――)
軽い足音を残した瞬間、エイリは悪魔に肉薄する。
「使われる前に、処理すればいいだけの話だ」
ひゅんと蝶のように舞う細剣は、悪魔の目元へと放たれた。
◆
殺意も、なんの感情も感じられない動きだった。
ふ、と風が巻き起こり、金属がこすれる音が耳に届いた。
カイは一瞬判断が遅れ――るが、本能的に上体を反らす。
ギリギリ躱せたものの、あと一呼吸でも遅ければ、綺麗に頭を刺し貫かれていた。
(近衛聖騎士ってのは、どいつもこいつも化け物揃いかよ……!)
大剣を持った聖騎士は、馬鹿力でねじ伏せてくる奴だった。
だが、こいつはどこまでも合理的に命を奪ってくる。
二度、三度と間断なく放たれる刺突。
押し込まれるように畳み掛けられ、後ろに下がるほかなく。
どれもこれも隙間から急所を狙ってきて、息を吐く暇もない。
びゅう、と細剣が掠めて、ボロ布が更にボロくなる。
何本目かの小さな釘を脚に突き刺し、襲い来る細剣を紙一重で横に躱した。
「へえ、これも避けるんだ」
「……っクソ!」
そもそも、姿を現す予定はなかった。
影に紛れて、遠くからこいつの武器を壊せれば目的は果たせたんだ。
それなのに――あの子供の存在が、カイの思考を瞬間的に狂わせた。
(なんで、カナエに、そっくりな子供がッ……!)
あの時失った妹と瓜二つだった。
聖騎士を見上げる仕草も、遠くから聞こえる声も似ている。
どうして、カナエがここに――そう思う間もなく。
その子供の細い首に、聖騎士の手が伸びた。
ああ、また奪われてしまう。
――そう思ったと同時、カイの目の前は赤く染まっていた。
にいさん、と自身を呼ぶ声が聞こえる。
――気付けば、二人の距離を裂くために鉄杭を打ち放っていた。
なんて無謀で、なんて愚かな真似をしたものだと我ながら思う。
しなやかな体躯から、絶え間なく繰り出される攻撃。
その猛攻に、カイは最低限の距離を開けて回避し続けることしかできない。
受け止め損ねた刺突は肩を貫き、ぶしゅ、と赤い飛沫が上がった。
左腕に仕込んだ獲物を使うべく、間合いを再び取りたい。
――けれど相手がそれを許すはずもなく。
ひゅん、と軽やかに細い切っ先が空を舞い、自身の胸を穿とうとする。
再度指先に仕込んでいた釘を脚に打ち、できるだけ後方に飛びのいた。
――が、体勢を崩して、無様に石畳に転がった。
気付けばカナエそっくりの子供からは、かなりの距離ができている。
どく、どく、と心臓が早鐘を打つ。
手袋越しの感覚が痺れてきて、叱咤するように釘を握りしめた。
「――なぜ、あの子供を殺そうとする」
「なぜなんて、おかしなことを言うね。――仕事だからさ」
あの細剣を壊そうにも、使い手の動きが速すぎて狙いが定まらない。
散々振り回されてこっちの呼吸はぐちゃぐちゃだというのに、相手の呼吸は乱れることがない。
ああくそ、と内心悪態を吐く。
異端者も、悪魔も、あまさず殺す。
聖騎士は、人の形をした暴力だ。
そんな存在が、カナエの結晶を使うかもしれない。
その可能性が、吐き気がするほど嫌だった。
カイは、ぎり、と歯噛みをする。
鉄槌を握る手は一層力が入る。だが、打開策が見つからない。
「あの子供が、なにをした……!」
「はは、同じ『悪魔』ならわかるんじゃないかな」
「ッ、わからないから、訊いているッ!」
その言葉に、エイリの剣戟がぴたりと止んだ。
「――本当に、わからない?」
「……は?」
なぜ攻撃の手が止められたのか、理由がわからず困惑する。
そんなカイを気にすることもなく、エイリは少し離れた場所にへたり込んだままの少年へと、淀みない足取りで近付いていく。
「ねえ、君。君から――『悪魔』はどう見えているんだい?」
「――え?」
急に話を振られた子供は、戸惑った様子で『悪魔』へ視線を向けた。
見れば見るほどカナエに似ていて、カイの右手はきつく鉄槌を握りしめる。
「ええっと、その……。……声は若い、男のひとで――」
続けられた言葉に、カイは息を呑む。
このヘルムを被っている限り、性別も年齢も『欺瞞の力』で分からなくなるはずだ。
だと言うのに、この子供には通用していない。
タスクはわずかに口を閉ざしてから、視線を数度うろつかせる。
胸元で自身の手を握りしめながら、その両目は再度『悪魔』をまっすぐ捉えた。
「手、が、……なんか黒くて、……変な感じ、です」
「――――へえ?」
「あと、その、聖騎士さまの光が、それに怯えてるようにも、見え、て……」
「――そう。なるほどね」
この子供の目には、何が見えているのか。
カイの背筋に、冷えた汗が伝う。
一方で、エイリは柔和な表情を崩さない。
なにか納得したような、あるいは新たな玩具を見つけた幼児のようだと錯覚するほど。
――こつ。
こつ、こつ、とエイリは『悪魔』へと近付いていく。
水のせせらぎの中、堅い靴音だけが異様に響いている。
カイは再度の剣戟を身構え、手足が無意識に強張っていく。
――こつん。
直後に命が刈り取られる――その可能性に、心臓が大きく跳ねる。
男はすぐ目の前で立ち止まり、手にしていたレイピアを下ろした。
表情は変わらないはずなのに、その両目は――ぞっとするほどに底知れなさを感じる。
なぜ、『悪魔』と評した自分の前で剣を下ろしたのか、まったく理解ができない。
戸惑いと動揺で思考が混乱しそうになる中、男が笑顔のまま口を開く。
「僕と――少し、未来の話をしようか」
「……は?」
〈続く〉
筆が乗って参りました。やったー。




