『叡理』
ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス
・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。
・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。
その日、大神殿北門に『告発』の報せが届いた。
部下から、仰々しく渡された封筒を受け取った近衛聖騎士――エイリは、その白百合の封蝋を見るや、なんの感慨もなく視線を伏せる。
「さて、今度は一体どんな異端者が出たのかな」
男は、その節くれだった指で薄金のペーパーナイフを取り、さく、さく、と手早く封を開けていく。
まったく、先ほどやっと未処理の箱が空になったというのに、タイミングがいいのか悪いのか。追加の報せが一通だけで済んでいるのは、まだ幸運だったと言うべきか。
先日の数十件の対応は、さすがに堪えたものだと思い出せば、エイリの親指は自然と薄く隈が滲む目元を擦った。
「――孤児院の子供か。となると、周りの悪い大人に影響された可能性は低いね。あの孤児院は、敬虔な信者が院長だったはずだ」
そうすると、この前の――多くの女子供を巻き込むような組織的なものではないだろう。
大がかりな仕事にならずに済みそうだ、と小さく息を吐く。
対象は少なければ少ないほうが良い。こちらから出す労力も最小限に抑えられ、民の命も無駄に散らさずに済む。
それは――神の御許に送られる対象が徒に減らずに済む、と同義だ。
純度の高い信者の数を維持するために『異端』はできるだけ早い段階で、周囲に影響をもたらす前に摘む必要がある。
――自分の主な役割は、その剪定作業だ。
よりよい都市とするために、無駄な枝を落とす。ただそれだけ。
かさついた親指が、インクで綴られた文字を辿る。
名はタスク。兄ササグと共に孤児院に入り――とまで読み、手が止まる。
「……ああ、この前『神の御許』に送られた神官か」
『悪魔』の出現で生まれた、信仰の揺らぎ。
それを正すために信心深い人間が必要だ、と上層部は判断したそうだ。そこで選ばれたのが、このササグという神官だ。
信心深い彼は枢機神官の目論見通り、神の糧にふさわしい結果になった。お陰で『悪魔騒ぎ』で生じた揺らぎも、無事修正されたらしい。
そんな兄を持つ弟が『異端者』として告発されている。
珍しい事例ではあるが、過去に無かった訳ではない。
それより――着目すべきは告発内容だ。
曰く――神の御許とは、神の食事や聖騎士の剣になることである。
曰く――自身の兄は神の食事となり、この都市に溶けている。
こうした聖典と乖離した発言を繰り返し、周囲を惑わせる『悪魔』と考えられることから聖騎士による対応を願う、と告発状には綴られていた。
「――へえ?」
エイリの左手は、腰に提げたレイピアの柄を撫でる。
美しい曲線を描く薄金は、触れていると心地がよく、エイリの思考を水平に戻してくれる。
再び男は、紙に書かれたインクを、つう、と辿る。
告発内容に軽く爪を立て――どこか愉し気にも見える笑みを目元に形作った。
なぜ、この子供はその考えに至ったのだろうか。
こんな――限りなく『正解』に近い考えを。
「前言は撤回しなければならないかもしれないね。……周りに、悪いことを教える『異端者』がいる可能性が高くなってきたじゃないか」
簡単な仕事で終わるかと思いきや、実に面倒な気配が濃厚になってきた。
今は仕置き部屋に閉じ込められているそうだが、外部から他の異端者が接触してくるか、あるいは――用済みとして見捨てられるか。
いずれにしても、ただの『剪定』だけでは済まないだろうな、と男はため息を吐いた。
◆
仕置き部屋に入って、何日経ったんだろう。
空腹感はとっくのとうに限界を超えて、頭がひどくぼんやりするし、身体に力が入らない。
何回ここで眠ったのか――眠ることしかできなくなったから、途中で数を数えるのを諦めてしまった。
タスクはぐったりと壁にもたれながら、口の中の唾液をなんとか飲み込む。
これまでも、ここに閉じ込められたことは何度もある。
でも、食事が抜きなだけじゃなくて、水もまともに飲めないのは初めてだ。
きっと自分はこのまま、誰も訪れないこの場所で死んでいくんだ。
なんで、みんな俺のことを変な目で見るんだろう。
見えているものは、同じはずなのに。
だから言葉にすれば、みんな「そうだね」と頷いてくれると思ってたのに。
これじゃあ、立派な神官になれない。
兄ちゃんと同じ場所に行くこともできない。
――それが、たまらなく悔しかった。
僅かに残った力で、奥歯を噛み締める。
とっくに干からびたと思ったけれど、まだ涙は出るらしい。
「っうぐ、……うぅ、にいちゃん……」
うめき声と共に、ぽた、ぽた、と石造りの床に水が落ちていった。
兄ちゃんに、会いに行きたい。
兄ちゃんなら、俺が言ったことも笑って受け止めてくれるから。
ひとりは、さびしい。
ひとりは、つらい。
ぐす、ぐす、と嗚咽が小さな部屋に響く。
膝を抱えて、顔をうずめた。
どれだけ、兄ちゃんを呼んでも「タスク」と返ってくることはない。
だって、兄ちゃんは、もうこの街に溶けてるから。
生まれたときから、ずっとそう見えてた。
選ばれた隣のおばさんも、偉い神官さまも、神様のところに行ったら――大きくて真っ白な光になって、街に溶けていったのが見えていた。
幼馴染の女の子は、神殿に行ってから、聖騎士さまの剣になってた。
剣のすぐそばに、女の子の形があったから、すぐに「あの子だ」ってわかったんだ。
兄ちゃんは、俺の言葉を聞いても「そうだね」って笑ってくれたから。
だから、兄ちゃんも、ここにいるみんなも、同じなんだって思ってる。
兄ちゃんがこの前大きな光になって、神様のごはんになったのも見えてた。
元気がなくなってた神様の光が、ちょっと元気になったから、兄ちゃんのお陰なんだって誇らしかったのに。
――どうして、先生はあんなに怖い目をしていたんだろう。
――どうして、俺のことを『悪魔』だっていうんだろう。
わからないことだらけだと、欠けた爪先で、腕の布地を掴む。
「……おなか、すいたなぁ……」
そう、誰にも届かない言葉を転がした、その瞬間――部屋の扉が開かれた。
真っ暗な部屋に差し込む光に、タスクは思わず、ぎゅっと目を閉じた。
そんな自分に構わずに、かつん、かつん、と誰かが堅い靴の音と共に近付いてくる。
自分の傍で音が止まり――ふわりとやさしく、風がたなびいた。
「――こんばんは。君が、タスクくんかな?」
「……、――え」
声を掛けられ、恐る恐る瞼を持ち上げる。
細い剣を提げた、真っ白な服を着た人。
その剣には、優しそうな女の人の光が寄り添っていて――タスクは思わず見惚れてしまう。
「……? どうしたのかな。――ああ、食事も水も抜かれているんだっけか。大丈夫? 立てるかい?」
「えぇと、あの……はい。だいじょうぶです。……あなたは?」
タスクが掠れた声で問えば、白い男は柔和な表情を更に和らげ、口元に笑みを湛えた。
「僕はね――神殿から、君を迎えにきた聖騎士さ」
〈続く〉
生まれながらに何かが欠落している存在が、必死に足掻く様って良いですよね。
カイは二十代前半、ソウエイは二十代半ば、エイリは三十中盤~後半くらいのイメージで書いています。




