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壊の唄  作者: 猫島けい
第二章
17/26

『叱声』

ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス

・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。

・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。

・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。

 その日、カイの家には久々に『人』が訪れた。

 そして――盛大な雷が落とされた。

 

「まっったく! アンタはいったいなにしてんだい! カビたパンを食べて腹を壊した?! しかもろくすっぽ寝ても食べてもいなかった?! バカ言ってんじゃないよ! アタシが来てなかったらどうするつもりだったんだい?!」

「お、おばさん……声……うるさ……」

 

 埃くさいベッドの中で、カイはたまらず呻いた。

 久々に開け放たれた窓からは、そよそよと風が吹き込んでいる。その度に、部屋に積もった埃や塵が舞い上がって――おばさんの目がますますつり上がった。

 昔話でしか知らなかったはずの鬼が、そこにいる。しかも逆らったら完膚なきまで叩き潰してくるタイプの鬼だ。


 それもこれも、俺がカビまみれのパンを食べてしまったからではあるのだが――。

 

 ◆


 ――数刻前のこと。

 

 あれこれ垂れ流し状態だった俺を見て、おばさんが叫んだのも束の間。

 彼女は急ぎ足で医者を呼びに走り、戻ると俺を部屋に運んだ。おかしいな、俺それなりに身長も伸びていたはずなんだけど、と首を傾げる間もなく布団を掛けられる。

 

 呼ばれた医者は俺の状態を診て「睡眠不足と栄養失調、それから腹下し」だと判断したらしい。その結果におばさんが更に目を吊り上げたのは、言うまでもない。


 今の俺に必要なのは、休息と栄養、そして水分補給だそうだ。

 オマケにとんでもなく苦い薬が付けられてしまった。正直に言うとめちゃくちゃ飲みたくない。苦いものは嫌いだ。必要だろうがなんだろうが、飲みたくないものは飲みたくない。


 俺が薬を前にうだうだしている間にも、どうやら家の中であれこれ機敏に動いていたらしい。温かな湯気が立つ器と、コップを持って俺の傍へとやってきた。


「ずーっと聞こえてたカンカン音が聞こえなくなったからって、ちょっと様子を見に来てみれば……本当にアンタはなにしてんだい。――ほら、パン粥と果実水。どっちもカビても腐ってもないから安心するんだね」


 ふわ、と鼻をくすぐる甘い香り。これはミルクと蜂蜜の匂いだ。

 それから、コップには柑橘の爽やかな匂いもする。

 ……なんだが、久々に感じる『人』の気配に、目の奥が知らずツンと痛む。


 器を受け取ったまま黙り込む俺に、おばさんは深いため息を吐く。

 その間にもすべすべとした木の器越しに、じんわり温かさが伝わってきて、俺は妙な居たたまれなさに一層身を縮こまらせた。


「アンタが昔からケンに憧れてたのは知ってるよ。でもね、それで身体壊してちゃ元も子もないだろう。いきなり一人になって困ってたってのはあるだろうけど、それなら周りに頼るなり孤児院に行くなりあるじゃないか」


 その言葉に、唇を噛む。

 周りに頼れって、どうやって?

 孤児院なんて、神殿の息が掛かってる場所じゃないか。

 父さんが残したお金も、できるだけ使いたくなかった。


 ――とまで考えて、この先自分が「どう生きるのか」がまったく分かっていなかったことに気付く。

 人が生きるためには、金が必要だ。その金で食事や、身の回りに必要なものを買わないといけない。

 

 ――じゃあ、子供の俺がどうやって金を稼ぐ?

 まともな鍛冶はできないと判断されて、でも鍛冶以外にできることもなくて。


「……わかんない」

「……カイ、アンタ……」

 

 生きる術が、分からない。

 やらなきゃいけないことはあるのに、どう進めばいいのか見えない。

 ゴールは見えているのに、そこまでの道順があやふやで、目の前がぐるぐると歪んでいく。


「……とりあえず、粥をお食べ。まずはそこからだよ」


 なにも言い返せずに、頷く。

 木の器に入ったパン粥を、匙で少しだけ掬って――口に運ぶ。

 じんわりと甘さが広がって、ちょっと懐かしい味がした。


 ◆


 少し、また眠ってしまっていたらしい。

 喉の渇きを覚えて、枕元にあったコップに口を付ける。

 鼻に抜ける柑橘の香りと、ほんの少しの酸っぱさが今は心地が良かった。


「――おや、目が覚めたのかい」

「あ、おばさん……」

「鍛冶場は入られたくないだろうから、家だけ掃除しておいたよ。ダメになってる食材も、全部纏めて捨てておいたから安心おし」

「――。……ありがとう」


 鍛冶場に入られていないことに、ひどく安堵した。

 傍から見れば、ただのガラクタとしか思えないものだろうけれど、あそこにあるものは俺にとってどれも必要なものだからだ。

 

 知らず詰めていた息を吐き出して、果実水に再び口を付ける。

 喉だけじゃなくて、身体全体がカラカラに干乾びてしまっているようだ。少しずつ飲んでも飲んでも、まだ足りない気がする。


「あんまり慌てて飲むんじゃないよ。腹がびっくりして、またとんでもない目に遭うよ?」

「うぐ……。……わかった」


 手にしていたコップから、口を離す。

 両手でもぞもぞとコップをいじりながら、カイはちらりとおばさんに視線を移した。


 恰幅のいい彼女は、昔から近所に住んでいるひとだ。

 確か、旦那さんが父さんと仲が良かったはず。子供もいたらしいけど――カナエと同じく『神の御許』に選ばれたんだそうだ。

 

 当時はなにも感じなかったけど、今となっては渋い気持ちになる。

 ……おばさん達からしたら、きっと良いことなんだろう。俺の感じ方が、ただ、違うだけだ。 


「ちっとは落ち着いたかい?」

「……うん」

「それで、これからアンタはどうしたい? 子供――っていっても、もうすぐ成人だろうけど、それでも……アンタが一人で生きていくには中々辛いんじゃないかい?」

「それは、そうなんだけど……」


 おばさんが言っていることは、正しい。

 ひとりで生きていく力が、方法が、今の俺にはないからだ。

 ひとりで生きていくことを、甘く考えすぎていた。


 ぐ、と一度唇を噛んでから、顔を上げる。

 ここで引いたら、なにもできなくなる気がしたからだ。

 

「……それでも、――それでも、俺は、この家で生きていたい」


 俺の視線を受けて、おばさんは一度目を伏せる。

 呆れているような表情に、コップを握る指先に力が入ってしまった。

 怒られる? それとも孤児院に連れていかれる? 呆れられて放っておかれるのが、一番マシな気がする。


「――来週、包丁の研ぎとウチで荷運びをしな」

「……へ?」

「手伝いな、って言ってんだ。飯くらいなら食わせてやる。……でもね、サボリは許さないからね?」


 思ってもみなかった言葉に、ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。

 

「……いいの?」

「近所のガキンチョが野垂れ死にするなんて、いかにも目覚めが悪いだろう。ウチのとはもう話はできてるからね。あとは、アンタが頷くだけさ」


 生活できる手段が得られるのは、とてもありがたくて。

 でも、手伝いに出たら、炉の管理ができなくなる。

 それは――父さんが残したあの場所が、無意味になるのと同じだった。


 情けない気持ちと、むず痒い気持ちがぐるぐると渦巻く。

 指先が、コップの表面を引っ搔いて、中の果実水が少し波打つ。


 何度か口を開いて、閉じて――。

 


 

「……――あー……、すげぇ懐かしい夢見た……」


 カイの生き方を選んだ日。

 あの日、鍛冶場の炉は死んだのだ。



〈続く〉

カイが腹を壊している一方、私は気圧の変動でぺちゃんこになっておりました。最近の気候の変動エグいですね……。

因みに、カビたパンや食品を食べるとアナフィラキシーショックや全身の発疹諸々を起こして、最悪死に至ることもあるらしいです。

カイは色々な意味で運が良かった方ですね。

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― 新着の感想 ―
おばちゃん優しい…… そういう優しさに触れてもなお、主人公が穏やかな人生を歩むことを選ばず、復讐を選んだところに決意の強さを感じました 体調に気をつけて無理せず執筆活動楽しんでください!
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