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壊の唄  作者: 猫島けい
序章
1/21

『悪魔』

ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス

・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。

・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。

・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。

 これは、一人の男が世界に傷を打ち込む話だ。


 白亜の大神殿を中心に広がった、宗教都市ルシエル。

 神の光に愛された都と言えども、太陽が姿を隠してしまえば途端に闇に包まれる。

 暗闇と静寂が街を支配する中、男は息を切らせながら駆けている。

 真っ白なローブが足に絡み付きひどく走りにくい。だが、信心深いこの男がこのローブを脱ぎ捨てることなどできるはずもない。

 

「ッはあ、はぁ、なんだ、あの、男はッ」

 喘鳴を交えながら振り返る。ここまで走れば、きっと大丈夫だ。

 神は自分を見捨てるはずがない。悪魔の犠牲になるはずなど、絶対にあり得ない、と――そう信じて疑わなかった。

 

「神よッ、ルシエル様よっ、どうか、御慈悲を――!」

 胸元の布地を握り、祈りを捧げる。

 この祈りが届けば、神は哀れな自分をお救いになられるだろう。

 慈愛の神、秩序を齎し民たちを救済する唯一の神よ。不変不朽の我が神よ、どうか信心深い私に救済を。

 

(どうして、なぜ私がこんな目に……ッ)

 祈りながら、男は己に与えられた仕打ちを思い返す。

 今日も祈りを恙無く終え、神に選ばれた栄誉ある民を神殿へと移動させた。ただそれだけの変わらぬ日常であるはずだったのだ。

 

 だというのに、帰路につく己を襲った不可解な黒い影に追い詰められている。

 あれは、そう。きっとルシエル様が打ち倒したと聞く恐ろしい悪魔に違いない。だからこそ、信心深い自分を狙っているのだろうと結論付けた。

 そこからは必死に逃げ、神に救いを乞う。この祈りはきっと届くはずだと信じて疑わない。疑うなど、異端者のすることなのだから。

 

「ルシエル様っ、唯一の光たる御神よ、どうかあの悪魔から私をお救いください……!」

「――その祈りは届かない」

 背後に冷えた感覚が伝った。

 未知への恐怖に表情を歪ませて、男は瞬間的に振り返った。

 

「あ、あぁ……悪魔……!」

 暗闇がゆらりと形を成す。血の涙を流す『闇そのもの』がその場に立っていた。聖典でしか知らなかった古代の悪魔が、確かに今、目の前にいる。

 逃げ場は後方にない。唯一の道は悪魔に塞がれ、神の救いは未だ訪れない。

 

 胸元の布を握る手が震える。神はかつてこんな恐ろしい悪魔を退けたのか――驚愕と畏敬の念が入り混じり、男は自分では太刀打ちできないのだと本能的に理解してしまった。

 悪魔が握る鉄の槌、掌をも超える杭のようなそれ。救済がなければ、自分はあの杭を打ち込まれ、殺されるだろう。

 

(嫌だ、いやだ、いやだッ!)

 信心深い己なら、きっと上位の神官となれるはずだ。

 なのに、こんな自分が悪魔の手によって死ぬなど、断じて許されない。自分の喪失は、きっと神殿にとって大きな損失となるだろう。

 

 ――恐怖からか、男の思考から理性が剥がれ落ちていく。

 至って平凡な神官たるこの男は、それでも「神は自分を見捨てたりはしない」と信じて疑わない。信心深さは誰よりも優れていると、信じて疑わない。


「哀れなことだ」

「――ひィッ!」

 音もなく一瞬で距離を詰めてきた悪魔に、情けない悲鳴が漏れる。

 一歩後ずさった瞬間、小石に足を取られ、そのまま後ろへと転げてしまった。ああ、なんてことだ。悪魔がこんな近くにいる。目元から流れる血涙の痕に怖気が走る。

 

 闇を凝縮した悪魔の表情は分からない。ただ恐ろしい。光あふれる白の世界に一刻も早く戻りたい。しかし、戻れない。

 歯の根が震え、かちかちと鳴る音がひどく耳障りだ。

 指先が冷えて、痛みすら覚える。

 

 神は――ルシエル様の御慈悲は、救済はまだなのか。言い知れぬ焦りと絶望がひたひたと男の胸を満たしていく。祈りは無意味なのか、神は自分を見捨てたのかと――思考が黒く染まっていく。

 

「――神は、救わない」

「う、うるさいッ! 悪魔ごときが我が神を騙るなど許さぬッ!」

 男は必死に腕を振る。これ以上悪魔が近づくことは絶対に許されない。

 悪魔の甘言にも耳を貸してはならない。救わない訳がない。

 信心深い民を救わないのだとしたら、それはもう――神が『存在しない』と同義だ。

 

 男の抗いも気に留めることなく、悪魔は一歩、また一歩距離を詰める。背後が狭くなり、男の逃げ道はゼロに近づいていく。

 同時に、男の恐怖は高まっていく。視界がぼやける。心の臓がばくばくと音を立てる。脚に力が入らない。全身に冷たい汗が流れていく。口ははくはくと動くばかりで、もはや悪魔を罵ることも、神に祈りを捧げることもできない。


 ぐいん――と悪魔の顔が男の顔を覗き込んだ。

 ヒッ、と小さな悲鳴を上げようとした――が、口はもう動かなかった。

 距離が、ぐっと詰められる。背後の空間が完全に、消えてしまった。

 あまりの恐怖に僅かな間だけ、瞳がぐるりと上向きそうになる。

 その手に握られているのは太く、長い杭。金属の重さが伝わってきそうだ。

 ああなんて恐ろしい。この後自分に起こることを想像すらしたくない。


 呼吸が浅くなる。

 口の中がひどく乾いて、唾液を飲み込むこともできない。

 指の感覚がなく。

 一歩、また一歩と距離を詰められて――あまりの恐怖に瞳孔が大きく開いた。

 

 ゆらりと、鉄杭が持ち上げられる。

 ゆらりと、鉄槌が構えられる。


 ――ああ、神よ。

 どうか、私をこの悪魔から御救いください――。


 最期に目に焼き付いたのは、美しい神の姿ではない。

 ――恐ろしい悪魔の姿のみ。



〈続く〉

初めまして、猫島けいと申します。

こういう媒体に初めて掲載したので、割と操作であっぷあっぷしています。

オリジナル作品を連載することを楽しみながら、下記進めて参りますのでお付き合いいただけると幸いです。

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