表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/12

呪いが解けた朝 ――公爵邸では、侍女達がお怒りです。――

 一ヶ月の魔物討伐を終え、久しぶりに屋敷に戻った翌朝。

 “今度こそ新妻と話をしなければ”と、公爵──コンラッド・ウィン・ヴァーミリオンは、朝の身支度を整え、彼女の部屋へ向かおうとした。


 その矢先。


「公爵様!! 一大事です!!」


 ドアが爆発したかのように開き、侍女たちが雪崩れ込んだ。


「……なんだ、騒々しい。」


「奥様の姿が、どこにもありません!!」


「私物もなく、手がかりも……!」


「そして、机にはこれが……」


 一枚の封筒が震える手で差し出される。


 嫌な予感とともに、それを開いた瞬間──胸の奥がざくりと削がれた。


『公爵様へ

 呪いはもう解けています──』


 そこに綴られていたのは、ユリアーナの静かで、優しく、そして絶望的な別れの言葉だった。


『公爵様へ  

 呪いはもう解けています。  

 ターニャ王女様から直接、はっきりとお言葉をいただきました。  

 どうかご安心なさってください。  

 皇族の皆様にも、そのままお伝えくださいませ。  

 公爵様は、もう何も恐れる必要はありません。  

 どうか、これからはご自分の人生を大切に、長生きしてください。  

 

 そして私は、この家を出ます。  

 最初からいなかった者として扱ってください。  

 結婚の件も、どうかお気になさらず。  

 公爵様にとっては、ほんの些細な出来事

 そう、蚊に刺された程度のものとして忘れてください。

 

 どうか、公爵様が“本当に大切にしたい誰か”と巡り会い、

 幸せな未来を歩まれますように。  

 短い間でしたが、お世話になりました。  


 ユリアーナ・アメシリア』


「…………は?」


 紙が手から落ちる音が、やけに大きく響いた。


 思考が止まる。

 理解が追いつかない。


「待て……どういう意味だ……?」


 呆然とする公爵の手から、侍女長がそっと手紙を拾い上げた。

 侍女たちが息を呑み、その内容を読み──。


「「「はああああああああああああ!?!?」」」


 屋敷が揺れた。


 侍女長は、眼鏡をクイッと押し上げ、深く息を吸う。


「……公爵様。一つ、確認よろしいですか。」


「な、なんだ……?」


 声がわずかに裏返った。


「奥様と昨夜──“何か”ございましたか?」


 氷のような声だった。


「な、何もしていない!! 本当に、何も!!」


「“何も”!? 本当に“なにも”!?!?」


 侍女たちが一斉に悲鳴を上げる。


「彼女に確認したんだ! 間違いない!」


 得意げに言ったつもりの言葉は──


「逃げられた理由はそれですわよね!!?」


「奥様があれほど覚悟を決めていたのに!! なにも!!?」


 怒号となって跳ね返ってきた。


「ま、待て!! 俺の話を聞け!! 実は昨晩の記憶が……途中からないのだ!!」


「「「はあ?」」」


 しばし、重い沈黙が落ちた。


 が、次の瞬間──。


「つまり……」


 侍女長の声が、死刑宣告のように落ちる。


「奥様は、公爵様に“期待できない”と判断して身を引かれた……と?」


「違う!! 本当に違う、誤解だ!!」


「誤解であれなんであれ、結果は同じですわよね?」


「“最初からいなかった者として扱ってください”とまで……なんて健気……!」


「公爵様、まずはそこにお座りなさい!」


 侍女長の一言により、公爵の苦悩に満ちた長い一日が今、始まろうとしていた。


「まず、公爵様。昨夜、奥様の体調……お気づきでしたか?」


「た、体調……?」


 その瞬間、侍女たちの目が鋭く光った。


「「「気づいていない!!!」」」


「奥様は不安で眠れず、食事ものどを通らなかったのです!」


「それなのに! 魔物の返り血にまみれた姿で帰宅し!」


「匂いだけで奥様は卒倒案件なのですよ!!?」


 公爵は思わず視線をそらした。

 昨夜の彼女の怯えた横顔が、脳裏に蘇る。


「す、すまない……」


「“すまない”で済みません。奥様はあなた様に“命を差し出す覚悟”で嫁いでこられたのです。」


「「「それを!!!」」」


「呪いが戻らぬように……身を引こうとまで……!」


「奥様はあなた様を守ったのです!」


「それなのに、気づかず、必要とも伝えず!!」


 侍女たちの言葉は槍のように次々と突き刺さる。

 公爵は胸を押さえ、苦しげに息を吸った。


「ひ、必要だ……!私には、誰よりも!」


 その声には、本心からの焦りと後悔が滲んでいた。


「では、昨日そう伝えましたか?」


 侍女長の問に、ぴたりと空気が止まった。


「……」


「「「沈黙!! やっぱりダメだこの人!!!」」」


 侍女たちが絶望のどん底で頭を抱えていると──新たな刺客(情報)が飛び込んできた。


「寝室の掃除をしておりましたら……ベッドの下から、シーツが……」


 侍女が恐る恐る掲げたそれは──“血と、言葉にしがたい何か”という、あまりにも生々しい証拠だった。


「「「奥様!! やはり事は成されていた!!!」」」


 侍女たちは一斉に叫び、公爵へギロリと視線を向ける。


「ち、違う!! 本当に知らないんだ!!」


 公爵が後ずさる。

 だが侍女たちは容赦しない。


「知らずに奥様に“あんなこと”を!?」


「最低ですわ!!」


「奥様が逃げたのも当然です!!」


 怒号のような非難が次々と飛び、部屋の空気は一気にヒートアップした。


 ──そのときだった。


 空気が、すっと冷えた。


 侍女たちが口をつぐむ。

 視線の先で、侍女長が静かに一歩前へ出たのだ。


 眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。


「……公爵様」


 その低い声は、怒鳴るよりも怖かった。


「隠すとは一体どういうおつもりです? これは、おねしょとは違いますよ?」


「ち、違う!! 本当に知らな──」


「黙りなさい、公爵様」


 ピシャリと叩きつけるような一言が落ち、公爵は思わず口を閉ざした。


 侍女たちが息を飲む。


「まず確認します。奥様を追うおつもりか、それとも忘れるおつもりか。」


「追う!! 必ず連れ戻す!! 彼女を……手放す気はない!!」


 即答だった。


「「「最初からそう言えばよかったんですの!!!!」」」


 侍女全員が、同時に爆発したように叫ぶ。


 侍女長は小さく咳払いをし、冷静な声で続けた。


「では、公爵様。“奥様に言うべき言葉”から練習を始めます。」


「れ、練習……?」


「“昨日のことは覚えていない”は禁止です。」


「“逃げないでくれ”も禁止です。」


「“愛している”くらい言ってくださいまし!」


 侍女たちが次々と言葉を重ね、部屋は再び騒がしくなる。


「ま、待て! その前に俺は城に向かわねばならん!王女殿下からの言づてだぞ!!」


 公爵はユリアーナの置き手紙を掲げ、逃げるように扉へ向かった──が。


「……お待ちなさい、公爵様。」


 侍女長の声が、地を這うように低く響いた。


「な、なんだ……?」


「奥様が“城ではなく消えることを選んだ理由”を理解なさっていますか?」


 公爵は言葉を失う。


「“あなた様とは話にならない”──そう判断したからです。」


「「「根本原因を解決せずに城に行っても無意味ですわ!!!」」」


 侍女の怒りが一斉に爆発した。


「そ、そんなことは……!」


「昨日“なにもしていない”と誇らしげに言った殿方が何を言いますの!」


「愛を伝える練習も終わっていないくせに! 奥様を探すなど百年早いです!!」


「まずは己と向き合っていただきます!!」


 公爵が後ろに下がると──その背後で、扉がバタンと閉じられた。


 ガチャリ。

 …………鍵がかかる音がした。


「おい……!? 開かな……!?!?」


 公爵は青ざめた。


「本日の予定はすべてキャンセル済です、公爵様。」


 侍女長の眼鏡がギラリと光る。


「これより、“奥様を取り戻すためにも、理想の旦那様講座”を開始いたします。」


「「「我々も全力でお手伝いします!!!」」」


「い、いや待て!! 俺は公爵だぞ!?!?」


「本日に限り、“ただのダメ夫”です。」


「そ、そんな……!!」


 こうして、公爵家史上最大の──侍女による 公爵しつけ大会 が盛大に幕を開けた。


 なお、この部屋を訪れた騎士たちは、一人残らず引きずり込まれ、もれなく「話し合いの巻き添え」に遭ったという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ