第4話:光
森の奥へ進むほど、空気は冷たく、湿っていった。
太陽の光は葉の隙間から細く射すだけで、足元の土は暗い。
第一隊の足音が完全に遠ざかった頃、
羅針盤の針がようやく“揺れ”を弱めはじめた。
(さっきまで死体を指してたのに……今は、奥だ)
ゆっくりと、だが確かに。
森のさらに深い地点へ向けて、針は一直線になっていく。
「……その羅針盤だが」
隊長が隣で言った。
「単なる方位磁石ではないようだな。
何が分かる?」
「分かりません……。ずっと、針がフラフラしていて、壊れていると思ってたんです。
それが昨日から、森を指すようになって――。
さっきまでは、死んだ魔物のほうを指していました。でも今は——もっと奥です」
隊長は短く息をつき、前を見る。
「案内を頼む。足跡も、痕跡も少ない。頼りはお前の勘と、その羅針盤だけだ。
もしかしたら、魔物は一匹だけじゃないかもしれん」
「はい」
僕は胸の中のざわめきを押さえながら、先頭の脇を歩いた。
しばらく歩くと、森の雰囲気がまた変わり始めた。
空気が、薄い。
風が吹けば普通は土や木の匂いが混ざるのに、ここだけ何も感じない。
匂いの“層”が一枚だけ消えたような、そんな違和感。
そして——
「……光?」
隊長の後ろにいた兵士の誰かが呟いた。
その声に、僕の心臓が跳ねた。
木々の隙間。
奥の暗がりの先で、かすかに青白い光が明滅している。
弱々しく、ゆっくりと。
息をしているような、脈打つようなリズムで。
僕は自然と歩みを速めていた。
「アルク少年、走るな。慎重に行くぞ」
「……はい」
けれど目は離せない。
(見張り台から見えた“光”……これだ)
その光の前に立った瞬間、
僕の呼吸はまた止まった。
そこにあったのは、空間そのものが割れたような“裂け目”だった。
縦に細長く伸びた光の帯。
真ん中あたりが、わずかに膨らんでいる。
膨らみの奥——
そこだけ、景色が違った。
森の暗がりとは全く別の、
色のない空と、黒い地面が広がっていた。
「……なんだ、これは」
兵士の声が震える。
隊長も言葉を失っていた。
僕自身も、
胸の奥で熱と冷たさが同時に走るような感覚に襲われていた。
(……どこかに、繋がってる……?)
羅針盤を見る。
針は、細かく震えながら、
確かにこの“裂け目”を指していた。
(母さんは……これ、知ってたのかな?
この羅針盤……なんで……)
その時——
光が、かすかに揺れた。
「……隊長、光が——」
言い終わる前に。
ぱちん、と小さな破裂音がして、
光の裂け目が急速に細く縮んだ。
「下がれ!」
隊長が僕の肩を掴んで後ろへ引いた。
青白い光は細い線になり、
そして——
すっと、空気に溶けるように消えた。
残されたのは、
裂け目のあった地面に、焦げたような黒い痕だけだった。
まるで、そこに“何かが触れた”跡のように。
沈黙の中で、隊長が小さく呟いた。
「……これは、王都に報告せねばならん。
だが……あまりに意味が分からなさすぎる」
兵士たちも顔を見合わせるばかりで、誰も言葉を発さなかった。
僕はしゃがみ込み、焦げた痕跡に手を伸ばした。
熱はない。
ただ、ひんやりとした感触が伝わってくる。
胸元の羅針盤は、制御を失ったように不安定だった。
(……羅針盤が示した魔物と光――
正体が分かったのに、何も分からないままだ……)
そんな達成感と失望が入り混じる。
隊長が僕の背中越しに、低く言った。
「アルク少年。
……これは、ただの調査では済まんかもしれん」
僕は振り返り、頷いた。
「戻ろう。全員、警戒を維持したまま撤収だ」
隊長の声が森に響く。
羅針盤にちらりと目を向けても、もう何も示していない。
最後にもう一度、光のあった方向を見る。
消えたはずの光の余韻が、焦げ跡の上にぼんやりと残っている気がした。
ほんの錯覚だと分かっていても、僕はしばらく目をそらせなかった。




