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Boundary Compass ― 境界の羅針盤 ―  作者: 作者名未定


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第14話:倉庫

朝の光が差し込んでいるのに、

王都の空はどこか重く見えた。


昨夜見た“裂け目の光”が、

まだ頭の奥に焼き付いているせいかもしれない。


ベッドから起き上がると同時に、胸元の羅針盤を握る。


針は――

ひとつの方向を、静かに射抜いたままだった。


揺れない。

迷わない。

まるでそこに“定まった場所”があるかのように。


(……消えてない)


胸の奥が泡立つ。

恐怖か、期待か、自分でも分からない。


ただひとつだけ確かだった。


――今日、あの裂け目を調べる。

そして僕は、その先を“見たい”と思っていた。


◆ ◆ ◆


王都の通りは朝市の準備で、ゆっくりとざわつき始めていた。

干した草の香りと焼きたてのパンの匂いが混じる。


僕の胃が、きゅるりと鳴った。


(……お腹、空いたな)


倉庫へ向かう途中の広場では、すでにいくつかの店が並び始めていた。

朝食を買うか迷っていると、近くで話す声が耳に飛び込んできた。


「倉庫んとこ、まだ封鎖だってよ」

「昨日、兵隊が十人以上いたんだって!」

「今朝も大勢で囲ってたよ。十人そこらどころか、三十人はいたね」

「黒い影が屋根走ってたって話も聞いたぞ」

「いや、兵隊が空飛んでたって……!」


(……最後のは、リーシャさんのことかな)


確かに逃げた鳥魔物もいたし、僕らは屋根も走った。

でも“空を飛んだ”って……リーシャさんの跳躍は確かに人間離れしてたけど。


僕はふっと息をひとつつく。


胸元の羅針盤は、その噂話には興味もないように、

ただ倉庫のある方向を迷わず指していた。


◆ ◆ ◆


露店の前で立ち止まった瞬間、


「……アルク」


控えめな声が聞こえた。


振り返ると、リーシャさんがいた。

鎧姿のまま、露店の台の前で蜂蜜パンを手にしている。


意外だった。

この人が朝市で甘いものを買う姿なんて、全く想像していなかった。


「朝食、まだ?」

「えっと……はい」


「ここの蜂蜜パン、温かいよ。……おすすめ」


淡々とした口調なのに、不思議と距離感が柔らかい。

僕は言われた通り、同じパンを買ってみた。


一口かじると、じわっと優しい甘さが口内を満たす。


(……甘いパンは、母さんも好きだったな)


リーシャは特に何も言わず、そのまま歩き出した。

僕も並んで歩きながら、王都の朝を眺める。


二人で歩くだけで、どこか安心感があった。


◆ ◆ ◆


倉庫に近づくと、空気が一気に物々しくなってきた。

封鎖線が張られ、兵士が数人立っている。


その奥で、ローガン隊長が夜警を終えた兵士たちを労っていた。


「よく守ってくれた。休め」


短い言葉なのに、兵士の顔が軽くなるのが分かった。


(ローガン隊長……優しいんだよね)


思わず心の中で呟く。


「アルクくーん! こっち!」


足場の上から手を振る影。

ミロ博士だ。


相変わらずテンションが高いけれど、

その姿勢は少しだけ、いつもより真剣に見えた。


「昨日は目測だったから細かい数字は避けるけど……

 ほらこれ、昨日書いた簡易スケッチ。

 今朝の測定と比較したら、やっぱり広がってたんだよ!」


「えっ……裂け目が広がってるんですか?」


「そうなんだよ! 目測との比較だから、ざっくりとしか言えないけど……

 でも少なくとも15cmは広がっている!」


(ミロさん、やっぱり凄いな……)


リーシャが足場を軽く蹴って揺れを確認しながら、ぽつりと言う。


「……広がるなら、早く調べた方がいいですね」


ローガン隊長も低く頷いた。


◆ ◆ ◆


僕も足場に登った。


下を見ると足がすくみそうだったけれど、

裂け目を覗き込んだ瞬間、その感覚は薄れた。


(……なんだろう、怖いのは怖いんだけど)


ただ“知りたい”気持ちの方が胸の奥から湧き上がってくる。


裂け目の向こうには、

色のない空と、灰色の大地。


風も音も感じない、静止したような景色。


ミロが棒切れを持って近づいてきた。


「まずは安全な観測からね! 裂け目の縁に触れるとどうなるか……」


棒を近づけると、淵の光がわずかに揺らいだ。

そのまま水平に棒を動かしていくと、固いものにぶつかったように動かなくなった。


「裂け目は光の淵で覆われてるけど、

 一番端までいくと倉庫の壁にきちんとぶつかるね」


次に小石を投げる。

石は音もなく、向こう側へ落ちて消えた。


「ここからじゃ向こう側の真下までは見えない。

 そんなに向こうの地面まで距離があるとは思えないけど、

 さすがに小石じゃ落下音は聞こえないか」


ミロは裂け目に対して何も危険を感じてないかのように、

思いつくままに実験を試している。


隊長も不安そうな――いや、怪訝そうな顔をしながらも

その小さな実験を見守っていた。


◆ ◆ ◆


何度目かの小石の実験で、

僕も一緒に石投げに参加していた。


ミロができるだけ遠くまで投げて欲しいというので、

大きく振りかぶって力いっぱいに石を放り込んだ時だった。


胸元で――

羅針盤が熱くなった気がした。


「……?」


無意識に羅針盤へ目を落とす。


次の瞬間、

針が、乱暴に向きを変えた。


「っ……!」


呼応するかのように裂け目の光が、一段と強くなる。


「ミロ、どうした!」

ローガン隊長の声が飛ぶ。


僕は震える針を見つめながら言った。


「……いる。

向こう側に……“何か”がいます!」


ミロも羅針盤を覗き込んで、すぐにその先へ目を向ける。


「これは裂け目の向こう側の”何か”に反応してるね……

 “動く何か”に向いてる反応だよ!」


リーシャは剣を抜き、足場の上で身を低くした。


裂け目の奥――

色のない空間のさらに向こうで、


巨大な影がゆっくりと動いた。


鳥魔物の数倍。……いや、数十倍はある。

そもそも裂け目を通れそうにない大きさだ。


うすぼんやりとした輪郭で、はっきりとは確認できないが、

でも、確かに“こちら”を見ているようだった。


喉がひゅっと鳴る。

怖いのに、目が逸らせなかった。


「……まずいな」


ローガン隊長の声は、今までで一番低かった。


裂け目は、まだ――

閉じる気配はまったく無かった。

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