第12話:裂け目の前で
倉庫の前は、あっという間に緊張の渦だった。
さっきまで誰も気にも留めなかった古い石造りの倉庫に、
いまや王都の全兵士が駆けつけるかのような勢いで人の波が押し寄せている。
「一般人は通すな! 周囲一帯の規制線を急げ!」
「治安隊は倉庫の裏手だ! 倉庫の外周を封鎖しろ!」
隊長の指示が飛ぶたび、人が動く。
倉庫の壁――その中腹、地上三メートルほどの高さに、
“ひと筋の光”がまだそこにあった。
丸くも四角でもなく、縦に裂けた、まるで世界を切り裂くような光。
(……消えない)
塔では光は消えた後だった。
森の光もすぐ消えたのに。
今回は、まるで“こちらの世界と繋がる”と決めたかのように、
裂け目は開きっぱなしで揺らめいていた。
◆ ◆ ◆
「塔にいた研究員たちを呼べ!」
「負傷者が出る可能性もある、治療班を控えさせろ!」
怒号の中、王都の治安隊、調査隊本部の兵士、近衛の伝令が次々に駆け込む。
リーシャはあれから一度も、裂け目から視線を外していなかった。
いつ飛びかかってくるか分からない未知の存在に備え、
ただ静かに剣の柄に指を添えている。
ミロは、壁の焦げ跡から裂け目の縁へ、
そして周囲の地形へと、次々に視線を跳ねさせ続けている。
興奮と考察が同時にあふれているようだった。
「つまり……塔の上層とここで起きた現象は、
時間的にも空間的にも連続してる可能性があって――
あぁ、でも因果の向きが逆のパターンもあるし……!」
僕はその呟きを聞きながら、ふと頭に引っかかったものを口にした。
「……ミロさん。ひとつ、気になることがあって」
「ん? どうしたの、アルクくん」
「鳥の魔物……あれ、あの裂け目の位置を”見て”跳んでなかったと思うんです」
ミロが瞬きをした。
僕は続ける。
「あいつが逃げた方向……最初は東でした。
でもしばらくして急に向きを変えて、
そのあとずっと、西へほぼ真っすぐ逃げて行ったんです。
倉庫の奥で追い詰めたときも、壁の上なんて見てなかった。
なのに裂け目が出た瞬間、ためらいもなく“上”へ跳んで……
まるで最初から場所が分かっていたみたいでした」
ミロの目が、驚きと興奮で一気に輝く。
「……そうか!!」
勢いよく立ち上がったミロは、壁に手を当てながら叫んだ。
「アルクくん、それはすごく重要だよ!
つまり――裂け目は“魔物の逃走ルートに合わせて開いた”んじゃない。
魔物の方が、裂け目の出現位置に“向かっていた”!」
隊長にも聞こえていたようで、僅かに目を見開いている。
リーシャが短く言う。
「……光の方が先だった、ということ?」
「そう! 光の裂け目は結果に過ぎない。
裂ける場所は”先に決まっていた”んだ。
魔物は光を見たんじゃない。
……本能か、構造か……分からないけど、何かに従って“そこへ導かれた”。
――これは大発見だよ。
アルクくんの観察がなかったら、絶対に見落としていた!」
僕は胸が熱くなるのを感じた。
ミロは笑顔のまま、しかし瞳だけ真剣に言った。
「ほんと助かった! 君の観察眼は価値があるよ、アルクくん!」
◆ ◆ ◆
「ローガン隊長、あの裂け目は何なんだ?!」
治安隊の隊長が駆け込んできた。
がっしりした体格で、声も態度も“現場の支配者”という空気がある。
ローガン隊長はちらりとだけ視線を向け、冷静に答える。
「我々にも分からない。
――これから、観測を始めるところだ。」
治安隊長の眉がわずかに動く。
「……調査隊はいつもそうだ。
危険より先に好奇心が勝つ」
「任務の優先順位が違うだけだ」
ローガン隊長は淡々と返した。
だが、語気の奥に、小さく反発の熱も滲んでいるような気がした。
「治安隊には市民の安全を守る義務がある。
不用意に近づくな、と言っているんだ」
治安隊長が一歩踏み出す。
しかし、ローガン隊長も譲らない。
「こちらは“未知の現象”を把握する責務がある。
観測を止めれば、結果的に市民を危険に晒すかもしれんぞ」
――一瞬、空気が硬くなった。
しかし治安隊長は数秒の沈黙ののち、息を吐いて折れた。
「……分かった。お互い仕事をするだけだな」
「そういうことだ」
ローガン隊長も短くうなずく。
治安隊長が後ろを振り返り、鋭い声を張る。
「治安隊! 封鎖を最優先! 誰も裂け目の下には近づくなよ!」
ローガン隊長はそれに重ねるように、別の号令を出す。
「調査隊は足場の準備! 観測範囲の確保を急げ!」
やり合ったあとでも、
指揮を執る二人は見事に噛み合っていた。
(……一枚岩じゃない。でも、当たり前だけど、敵同士じゃない)
王都にとって“本物の異変”が起きている。
その緊張が、肌に刺さるほどはっきりと伝わってきた。
◆ ◆ ◆
そんな空気の中で、ミロが僕に近づいてきた。
「アルクくん。羅針盤、どう?」
胸元を見る。
針は静かに……けれども絶対に――裂け目を指していた。
「ずっと……動きません」
「そっか」
ミロは何度も頷いた。
「やっぱり、君の羅針盤は“干渉点”を正確に捉えてるね。
塔でも森でも一致してたし……これはもう間違いないね」
リーシャもその言葉に反応した。
「その羅針盤は何なんですか?」
「分からないけど――」
ミロは裂け目を指さす。
「ここが今、この世界と“もう一つ”が重なりかけてる場所なんだ。
たぶん、アルクくんの羅針盤は、その”もう一つ”に反応するセンサーだよ」
「……では、少なくとも今は、他に魔物はいなさそうですね」
リーシャがやっと、少しだけ、安堵したように見えた。
◆ ◆ ◆
隊長がこちらへ戻ってくる。
「アルク。ミロ博士。一度研究院へ戻るぞ」
「ここはどうするんです?」
「治安隊と調査隊の本部班に任せる。
研究院の別班ももうすぐ到着する。
この裂け目は、最優先で監視と観測を続けるべきだ」
確かに、これを放置して帰るのは不安だ。
でも――
「ここにいても、足場の完成にはまだしばらくかかるだろう。
その間に、塔で仕留めた個体の分析を進めて欲しい。
それが次の方針に繋がるかもしれん」
(……分析)
塔で仕留めた鳥魔物。
あれが次の鍵になるのだろうか――
「隊長! 研究院の観測班、到着しました!」
「倉庫裏に治療所を設置します! 怪我人は今のところなし!」
「南門から王城の使者が来ます! 状況説明を求めてます!」
怒号は飛び交ったままで、倉庫前は混沌さを増していた。
それでも、誰も裂け目から意識を逸らさない。
隊長が短く告げる。
「先に戻っていてくれ。
リーシャもミロ博士に同行を」
「了解しました」
僕らは倉庫を背に歩き出す。
リーシャは何度か光を振り返り、
ミロはもう、鳥魔物の考察が頭の中で始まっているようだった。




