第11話:失敗
屋根を駆け抜ける風が、肌に冷たく当たった。
影は建物を縫うように跳ね、王都の瓦屋根の上を黒い稲妻のように走っていく。
「針はどっちだ、アルク!」
隊長の声が飛ぶ。
「西です! まだ近い!」
羅針盤の針は、影の動きに合わせるように方向を細かく調整し続けていた。
まるで追いかけているのではなく、引き寄せられているように感じる。
リーシャが先行し、屋根の段差を軽々と越えていく。
背中には迷いがなく、僕のガイドなんて本当に必要なのか疑うほどだった。
ミロが横で息を切らせながらも、目はまるで別の意味で興奮している。
「動きのパターンが……やっぱり鳥類じゃない……跳躍筋の構造が――」
「ミロさん、それって……どういう……?」
「後で話す! 今は危ないよ、ほら、足元!」
僕が声をかけたことで、思考を中断させてしまったのか、
ミロは言葉を切りながらも、頭の中では相当な速度で分析を続けているのが分かった。
◆ ◆ ◆
影はやがて減速し、王都の外れにある古い倉庫に向けて、落ちるように着地した。
周囲に人気はない。廃材と空の木箱が積まれ、薄暗い。
リーシャが剣を握り直す。
「……追い詰めました」
鳥型の魔物は、翼の片方を引きずっていた。
さっき僕に突っ込んできたとき、リーシャの剣が浅く切り裂いた傷がある。
隊長が剣の柄に手を添えて短く指示する。
「左から回り込む」
リーシャが頷き、半身を低くした。
その瞬間――
バチッ。
倉庫の石壁、地上から三メートルほどの高さに”光”が走った。
「裂け目だ!」
ミロの叫び。
空気がひきつれるように歪み、
そこに縦長の光が忽然と広がった。
鳥魔物は裂け目を見ることもなく――
ただ本能に従うように壁を蹴り、大きく跳ね上がった。
「――!!」
僕の声は喉の奥でつぶれた。
影は光へ吸い込まれ、
裂け目は――閉じなかった。
そのまま、壁に焼きつくように“口”を開けていた。
◆ ◆ ◆
風が途切れる。
僕らはその光をただ見上げていた。
裂け目の向こうには、
色の無い空。
灰色の大地。
森で見た一瞬の景色よりも、ずっとはっきりとしていた。
リーシャがわずかに息を整えながら呟く。
「……また、間に合いませんでした」
隊長はすぐに現実に戻った。
「ここを封鎖する! 一般人を近づけるな!」
道中で指示を受けて集まり始めていた兵士たちが即座に動く。
ミロは裂け目を見上げたまま、深く息を吐いた。
「……開いたままか。
塔のものよりきっと大きい。構造が違う……いや、角度の問題もあるか。
もっと近くで観察したいな……くそ、あの高さ……」
僕は聞かずにはいられなかった。
「ミロさん……安定してる、ってことですか?」
「してる“ように見える”。
本当の安定は、時間経過を見ないと分からない。
でも――揺らぎが少ないのは確かだね。
近くから観れば、もっと色々言えると思うよ」
隊長が判断する。
「足場を組む。建材を運べ。
研究院にも急ぎ報告を」
リーシャは剣を収めたまま、周囲へ視線を走らせる。
「治安隊も呼びますか」
「そうだな」
隊長がうなずき、伝令を走らせる。
倉庫は一瞬で慌ただしい“観測地”と化していった。
◆ ◆ ◆
ミロが僕の肩に手を置く。
「アルクくん。羅針盤がどう動いてるか、見せて」
胸元で、針はぴたりと裂け目の方向を指していた。
ミロは息を飲む。
「……ブレが一切ない。
塔の時とも違う。これは“固定点”だ……」
僕はその針に目を奪われた。
(怖くは……ないのか?)
胸が早鐘のように打つ。
でも恐怖だけじゃなかった。
興奮でもない。
“理解したい”という気持ちが、不思議と強くなっていた。
この針の示す先にあるものを、
僕は――知りたいと思った。
「路地の封鎖を優先しろ!」
隊長の声に兵士が慌ただしく動いている。
リーシャはずっと裂け目を睨んだままで、
ミロはもう、研究院に戻った後の手順をぶつぶつと唱えていた。
頭上の光は、ぽっかりと口を開けたままそこにある。
少し周囲を歩いてみたが、
羅針盤の針は、裂け目から一度も方向を変えなかった。




