第10話:追跡
塔を飛び出した瞬間、王都のざわめきが一気に押し寄せてきた。
行き交う人々の声、荷車の軋み、遠くの市場の活気――
でも今は、そのどれもが耳に入ってこなかった。
羅針盤の針が、街の東側を真っ直ぐ指し続けている。
「……あっちです!」
隊長が、僕の手元を一瞥して短く頷いた。
「走るぞ。道を塞ぐな、ついてこい!」
リーシャはすでに走り始めていた。
軽装とはいえ鎧を着ているはずなのに、足音が驚くほど静かだ。
人混みの中でも迷いなく最短の道筋を見つけ、進む速度が落ちない。
ミロは息を切らしながらも、僕の横に並ぶ。
「……待って、君速くない!? いや、僕が遅いのか……」
「ミロさん、喋ると余計に……」
「だよね!」
軽口を挟んでるくせに、走る足は妙に速い。
やっぱりこの人は、どこか変だ。
◆ ◆ ◆
王都の大通りから、細い路地へと入った。
針が、迷いなくひとつの方角を示す。
まるで逃げた鳥魔物を“追っている”というより、
その存在自体が針を引き寄せているような感覚だった。
(……近い)
心臓が強く脈打つ。
リーシャが手で制止の合図を出す。
隊長もすぐに足を止めた。
「どうした、リーシャ」
「……聞こえます。羽音」
耳を澄ませると、
かすかに――羽ばたくような、濁った風切り音が混じっていた。
ミロが囁く。
「この狭さで飛ぶのか……? 小型とはいえ鳥の生態じゃ説明しづらいな」
「静かに」
リーシャは壁に沿って歩き、角をひょいと覗く。
その瞬間、僕の胸の羅針盤が激しく向きを変えた。
「っ……!」
「アルク?」
「針が……暴れてます。たぶん、すぐそこに……!」
隊長が剣の柄に手を添える。
「位置は?」
「北に向いた……もう一つの先の角……すぐです」
リーシャが目だけでこちらを見る。
言葉はないのに、僕は頷き返していた。
◆ ◆ ◆
その時――
ギャアアアアッ!!
甲高い悲鳴が路地に響いた。
「逃がすな!」
隊長が叫び、リーシャが飛び出す。
鳥型の黒い影が、建物の壁を蹴りながらジグザグに跳ねるように移動していた。
飛ぶでも、走るでもない。
“跳ねている”という表現が一番近い。
遅れて追うと、
ミロが息を呑んだのが聞こえた。
「……やっぱりだ。構造が鳥類じゃない!
羽ばたき音が軽すぎる、骨格が違うんだよ!」
影はこちらに向き直り、怪物じみた嘴を開いて叫んだ。
ギャアアアァア――ッ!!
次の瞬間、影が低く滑るように僕へ向かって突っ込んできた。
「アルク、下がれ!!」
隊長の声と同時に引かれた腕。
すぐ目の前を、黒い爪が空を裂く。
(……危な――)
その一瞬で、リーシャが割り込んだ。
「っ……!」
風を断つ鋭い音。
金属が弧を描き、黒い影が弾かれたように後ろへ跳ぶ。
リーシャは追わない。
一歩も動かず、再度姿勢を低く構えた。
(……なんて反応速度だ)
影は壁を蹴り、一気に屋根へ駆け上がる。
明らかに逃走の動きだ。
「上だ!!」
隊長が叫ぶ。
僕は慌てて羅針盤を見た。
針は――
西の方角を、まっすぐ指していた。
「西に逃げてます! まだ追えます!!」
隊長は迷わなかった。
「リーシャ、先行してくれ!」
「了解」
リーシャは路地の壁を蹴って上へ跳ね上がり、
本当に人間かどうか疑いたくなる軽さで屋根へ到達した。
ミロが苦笑のように感嘆する。
「……やっぱり普通じゃないよ、あの人」
「ミロさんも来てください! 道案内頼みます!」
「おおっと、忘れてた!」
隊長が近くの家の外階段を指差す。
「こちらから上に出る!」
屋根の上は瓦の海のように広がっていた。
遠くには城の尖塔、近くには市場の屋根。
その間を黒い影が不規則に跳ねて見え隠れする。
リーシャが影を追いながら叫んだ。
「アルク、針の向きで距離を測れますか!」
「やってみます……!!」
羅針盤の針は、
影が跳ぶたびにわずかに角度を変えた。
近づくほどに振れ幅が大きく、正確な向きを示す。
(……わかる!)
「距離、縮まってます!!」
隊長の声が飛ぶ。
「市街地だ、民間人を巻き込むな!
リーシャ、囲い込み優先!
追い詰めるぞ!!」
屋根の上での追跡は、
王都の街が初めて“危険な場所”に見えた瞬間だった。




