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Boundary Compass ― 境界の羅針盤 ―  作者: 作者名未定


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第9話:塔

王都の南端に立つ石の塔は、近くで見ると思ったより細く、空へ向かってすっと伸びていた。

城壁のすぐ内側に位置し、周囲一帯を見渡すための監視塔だという。


ミロが見上げながら言う。


「ここは王都の監視塔だよ。

 目で見て、耳で聞いて、伝令を飛ばす……そういう“昔ながら”の施設。

 色々と改良もされてるんだけどね。

 ソルメアの光を観測したのもここだよ」


ミロの声は軽いが、目は明らかに警戒していた。


塔の前には黒髪の女性が立っていた。

背筋はまっすぐで、無駄のない軽装。

凛とした佇まいに、周囲の空気がわずかに引き締まるような気配を纏っていた。


その前には調査隊の兵士が整列しており、

彼女が待機を命じているようだ。



隊長が声をかける。


「リーシャ。君も来ていたのか。

 到着が早いな」


リーシャは軽く会釈した。


「本部にも異常の報告が届きました。

 私が隊長不在時の権限で即時行動しました。

 一階だけ確認済みです。現時点では目立った異常は見当たりません」


ミロが僕の耳元へ小声で囁く。


「すごい人だよ。

 噂だけ知ってるけど……王国軍の元エリート将校だ」


隊長は塔の扉へ歩きながら説明してくれた。


「彼女は私の不在中、調査隊の指揮を任せていた。

 塔の内部は狭い。少数で調査すべきだろう。

 彼女にも同行してもらおう」


◆ ◆ ◆


塔の内部は、石壁に囲まれた狭い空間だった。

一階には見張り台と記録棚が並んでいるが、確かに異変らしい異変は見つからない。


その時、胸元で羅針盤の針がふるふると震え始めた。


「……あれ?」


すぐにミロが横から覗き込む。


「ちょっと貸して。いや、触らなくていい、そのままでいいから……」


ミロは針をじっと見つめ、眉を跳ね上げた。


「これ……水平じゃない。

 針が上に向かってる」


隊長が階段を見上げる。


「上階か……」


「間違いないと思うよ。

 これ、光や魔物に反応する“方向性”がある。

 で、今は“真上”」


リーシャは無言で階段の前に立った。


「行きます」


短く、迷いのない声だった。


◆ ◆ ◆


塔の階段は古く、足音がコツコツと響く。

息が白くなりそうな冷たい空気が、上へ行くほど濃くなる。


数階分上ったあたりから、心臓がドクドクとうるさくなってきたが、

前を行くリーシャの足取りは乱れることなく一定だった。

背中には緊張の影ひとつ感じられない。


ミロが息を切らしながら小声で呟く。


「あれ、剣士でも相当……鍛えてる人の歩き方だよ……」


隊長は言葉を返さないが、その眼が肯定していた。


◆ ◆ ◆


最上階の扉をリーシャが押し開けると、湿った冷気が流れ出た。

同時に、黒い影が飛び出してくる。


「伏せろッ!」


隊長の鋭い声が響くと同時に、

僕は肩を引かれて床に伏せた。


「と、鳥……?」


少し後ろからミロの声が聞こえる。


「切ります」


リーシャの声がしたのとほぼ同時、足先が眼前の地面を蹴ったのを見た。


次の瞬間、

金属音とドサっと何かが落下した音が重なった。


恐る恐る顔を上げて振り返ると、

黒い影に剣を突き立てたまま、

綺麗な姿勢で踊り場に着地したリーシャの姿があった。


その脇では、ミロがもう影の観察を始めている。


隊長はまだ周囲を警戒しながら、僕の安全を守ろうとしてくれていた。


◆ ◆ ◆


改めて最上階の扉を抜けると、

そこに広がっていたのは、森で見たのとよく似た焦げ跡だった。

壁や床に薄く黒い焼け跡が広がり、ところどころに細かい煤が散っている。


ミロが駆け寄り、しゃがみ込み、すぐに採取を始める。


「……さっき聞いたのと同じだね。

 そんなに時間は経ってないはずだけど、裂け目本体はすでに消えちゃったのかな?」


隊長があたりを見渡す。


「影は二つ見えた気がしたが――」


「鳥型の小型が二体。

 片方は……これですが――」


リーシャは、床の黒い羽根を拾い上げ、

淡々と説明を続ける。


「扉を開いた瞬間、こちらに跳びかかってきたのが一体。

 もう一体は、窓から外へ逃げるのを目撃しました。

 安全のために処理を優先しましたが――」


彼女は腰の剣に軽く触れた。


「もう一体は、間に合いませんでした。

 申し訳ありません」


その言い方は淡々と事実だけを並べるようで、

まるで先ほど魔物を一体切り伏せた姿を感じさせない程の静かさだった。


ミロが苦笑する。


「……やっぱり凄いなぁ。

 僕が先頭なら頭を食べられてたよ、あれは」


ミロの軽口には一切反応せず、

リーシャが僕の方を見る。


「その羅針盤で、追跡できませんか?」


◆ ◆ ◆


「君は天才だ!」


ミロが手を叩き、僕も驚いた。

羅針盤の針がぴたりと一方向に引っ張られている。


針の先は窓の外、王都の街並みの向こうへ。


隊長がぱっと振り返る。


「……逃げた一体は、恐らくまだ近い。

 アルク、このまま追跡に協力してくれ」


リーシャもうなずく。


「外へ。急ぎましょう」


僕は息を整え、ぎゅっと羅針盤を握った。


針は、揺らぎなく――

確かな“方向”を示していた。

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