2-03 化石の詩と“もぐら”たち
この大地の下には、網の目のように張り巡らされた「遺跡」が眠っている。人々はその上に暮らし、危険な地下へ挑む探索者を「もぐら」と呼んだ。
偶然の巡りあわせから伝説級のもぐら――「化石」に弟子入りすることになってしまった、ごく普通の娘ペトリ。契約によって遺跡探索に同行させられた彼女は、暗黒と試練に満ちた地下で、泣き言をこぼしながらも一歩を踏み出す。
飄々と未知を楽しむ化石と、それに食らいつくペトリ。大地の下に広がる迷宮が、やがて二人を想像もしない冒険へと誘う――。
「せんせぇー、まだ潜るんですかぁ? もう1週間は外にでてませんよぉ」
「まだ1週間だ。それに""遺跡""の中は外界の時間の影響を受けないんだから、そう焦る話でもないだろ?」
細く暗くじめじめとして陰気くさい通路に、私の泣き言と、それをさっぱり切り捨てる先生の声が反響する。振り向きすらしない先生とカンテラの仄かな光が遠のいたから、私は慌ててそれを追った。横に並んで顔色を窺えば、白々とした表情の先生は私に一瞥をくれることもない。私は少しばかりむっとして言い募った。
「そりゃ、ここにいる限り老いないってのは知ってますけど。それでもお腹はすくし、お風呂だって入りたいんですよォ」
""遺跡""の探検はなんたって重労働だ。いっぱい汗をかくし、お腹もすく。その割に食料は切り詰めないとだから、十分に腹が満たされることはない。不満を都度こぼせば、つど水の心配をしないでいいだけ楽だと先生は言う。その水だって、最低限の飲み水以上は出し渋るのが先生だ。私が年ごろの娘(しかも嫁入り前の)だということを、このヒトはどれだけ解っているのだろうか。
「贅沢ものだなぁ、おまえは」
先生の整ったかんばせが、ひどく呆れた時のものに変わる。ため息交じりに呟いて、その時ようやく私に目線をくれた。
「そういうのを覚悟しているから、わたしに弟子入りしたんじゃないのかい?」
声音に咎める色はなく、ただ呆れだけが籠っている。私は少しばかり言い淀んだ。実際この状況については、自分に幾何かの非があると自覚している。とはいえ認めてしまえばこのまま諾々と従わなければならないわけで、それは御勘弁だ。ということで、苦しばみながらも反論。
「その、あれは方便っていうかぁ……とにかく私としてはお婆ちゃんの死に目に会わせてあげたくてェ、なりふり構ってなかっただけでェ……」
「何でもするって言ったよね」
「ぐぬぬ」
ぐぬぬ。私が二の句を告げないでいると、先生はつらつらと続けた。
「一度交わされた契約だ。それを違えることはわたしにも、もちろんおまえにだってできない。そのうえで私は約束を果たしたのだから、同様におまえも約束を果たす義務があるだろ?」
正々堂々と不義理を働くんじゃないよ、と責められては、もはや返す言葉がない。
「ごもっともです……」
私の敗北宣言が暗い通路に響く。食い込んだ背嚢の肩紐を直しながら、黙々と歩く先生の後を追った。背嚢の重さが倍になったような気がした。
先生が杖の先からつるしたカンテラの明かりが、僅かに通路の石壁に照り返している。代わり映えのない景色に落ちる陰影だけがやけに妖しい。私は再び無駄口を開いた。
「先生は、潜ってばっかで飽きないんですか? 私は飽きました」
「……ではこのまま帰るといい。わたしはまだまだ飽きないのでね」
先生はこちらを振り向くことなく、ため息交じりに言った。
ヒェッ。肩が跳ねる。先生に師事してやがて一年になるが、私が覚えた事といえば効率的なパッキングと湯の沸かし方くらいだ。自慢ではないが片手で足りる。自分の要領の悪さにはほとほと呆れ返るばかりだ。
いわんや遺跡の歩き方など知りようもないのだから、私は慌てふためいて愛想笑いを作った。
「いやいや、冗談、冗談ですから!」
「そうだろうとも。こちらも冗談だよ。まぁ、飽きが来ないのは本当だけどね」
先生はしれっと言った。ホッと胸をなでおろした後、その大きな背中を精いっぱい睨みつけてやる。ささやかな反抗だ。どうせこれも見透かされているのだろうけど。
私は不貞腐れたようにくちばしを尖らせた。
「ほんとに好きなんですね、この仕事」
「いかにも。危険も不便もあるが、それでも未知を知る喜びは何ものにも代えがたい。違うかな?」
淡々と、けれど少しだけ楽しげに先生は語る。尋ねるような口調だが、それでも先生は私のほうを見ない。ただ前だけを見て歩くばかりだ。
私は唇を尖らせたまま、不満げに続けた。
「私にはわかんないですよ。先生みたいに学もないし」
横に並んで表情を窺いみれば、普段の鉄面皮から微かに口の端が上がっているのがわかる。なにわろとんねん。私の視線に気づいたのか、先生はそこで初めて目だけで私を見た。丸メガネの奥に隠された翠玉の瞳が、カンテラの光を微かに反射している。
「いずれわかるさ」
先生はどこか勝ち誇ったように、口の端をさらに持ち上げた。私はなぜかむっとして抗弁した。
「ゆっくりお風呂に入って、ご飯をお腹いっぱい食べて、ふかふかの布団で眠るほうが、絶対いいと思うんですけどね。私は」
「それもまた人生の楽しみだろう。否定はしない。今は私に付き合わせるがね」
「横暴だ!」
「契約」
「ぐぬぬ……」
///
それからしばらく歩いたところで、辺りの風景に変化が見られた。なんの装飾もなかった通路の壁が、徐々に意匠性を帯び始めている。
幾何学的な彫刻が施された壁は、その線をなぞるように淡く発光していた。赤い光だ。ひどく不自然な色味。
「ふむ」
先生が静かに片手を横に突き出す。制止のサイン。私は唾を飲み込んで、先生の一挙一動を見守る。
先生がそっと壁に触れると、手を置いた周囲の輝きが目に見えて増した。脈打つように明滅を繰り返すその光に、私はなぜか生物的な嫌悪艦を覚えてしまう。
「なんか……生きてるみたいですね、それ」
先生が壁から手を離すのを待って、声をかける。珍しく、先生はまともに私のほうを向いた。
「その感覚は実に正しい。遺跡は人の手によって造られたものだが、同時に育つものでもある。周囲の土地や大気、迷い込んだ生物から吸い出した生命力を糧に、それこそ無尽蔵に。……そこに、私は惹かれる」
「うへぇ……惹かれるっていうか、ドン引きっていうか」
「えてして探求とはそういうものだよ。おまえもいずれわかるようになる」
頬をひきつらせる私に、先生はさらりと断言する。わかるようになってしまうんだろうか。いやだなぁ。
「そうだ、おまえはこの壁に触れてはいけないよ。一瞬で干からびてしまいかねないから」
「それを先に言ってくださいよォ!」
興味本位から壁に伸ばしていた指を弾かれたように引っ込める。あ、あぶない!!
///
淡く発光するラインを辿って歩くこと数分。やがて広間に出た。高い天井、巨大な列柱。中央には円形に据えられた黒い石の短柱が十数本。その黒い石は鏡のように磨き上げられていて、長い歳月を経たとは思えないほどくすみなく私たちを映している。
「……神秘的、って言っておけばいいんですかね、こういうの」
理由なく湧き上がる怖気に、覚えず自分を抱いていた。上腕をさする。寒いわけでもないのに、鳥肌が立っている。先生を見上げると、いつもと変わりない様子だった。少し安心する。
「記録にあった""映しの間""に違いないようだね。祭壇のようにも見えるが、フム」
先生が黒い石に手を触れる。その時、黒い石の表面にさざ波が立ったのを、私は確かに見た。
「先生!」
次の瞬間、石柱はその波紋を渦の中心としてぐにゃりと揺らいだ。ぽかりと開いた門の向こうには、墨を垂らしたように濃い影が広がっている。私の声も虚しく、先生は悲鳴を上げる暇すらなく――そもそも上げなさそうだというのはこのさい置いておいて――影の奥に消えた。
残されたのは、私ひとりだ。
「せん、せい……?」
応えるものはない。あまりの静謐さに耳が痛くなる。湿った空気が冷たく肌にまとわりつき、闇が重くのしかかる。ひとりになった。置いていかれた。先生は――。
ひきつった喉が、悲鳴を上げることすら許さない。なんで? 先生が? ああも不用意に?
後ずさる。たたらを踏む。背嚢の重さをすっかり忘れていた。重心がおかしい。何とか踏みとどまる。――その時。
「フム」
「ウワーーーーーーッ!!」
声がした。聞き馴染みの声。
声を上げた。思わず飛び上がった拍子に、しりもちをついた。星が飛ぶ。
黒い柱の中から、にゅっと先生の首が突き出されていた。何事もなかったかのように、いつもの落ち着いた表情で。
「な、なにやってるんですかせんせぇ!?」
「やはり""映しの間""は""移しの間""でもあったか。これは単なる祭壇ではなく、転移門だな。面白い」
生首状態の先生はまるきりいつもの調子で(心なしか嬉しそうに)感心している。腰を抜かしかけて私は叫んだ。
「面白いじゃないですよォ! 心臓止まるかと思ったじゃないですか!」
「大げさだな。ちゃんと通れる。さ、きなさい。次はおまえの番だ」
先生は黒い柱から右腕をにゅっと出すと、おいでおいでと手招きをした。まるで何かの怪談だ。私は勢い良く首を振った。横に。
「無理無理無理! 絶対無理です! しんでしまいます!」
「契約」
「ぐぬぬ……!」
またそれだ。便利すぎる魔法の言葉。反論の余地なし。私はがっくりと肩を落としてから、立ち上がった。
「それでいい。先で待っているよ」
「……くそがよーっ!」
先生はそんな私を見て穏やかに微笑むと、にゅるっと柱の向こうに消えた。あとに残ったのは鏡のような黒い石だけである。私は悪態をついて、柱に手を触れた。
瞬間、黒い石の表面が水面のように波打ち、私の手を呑み込む。その奥から、無数の声が重なって響いた。
『おまえは誰だ』
視界が暗転する。それが試練の始まりだった。





