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Itharia Chronicle  作者: 瀧宮 藤
第一章 再会を求める、不条理の幕開け
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1話 二つの旅路、魂は交わる時を待つ

 夏の残暑が尾を引く九月、頬を撫でる初秋の涼風に、一つの季節がしずくりと通り去ったと感じた。空を見上げれば、茜に染まる夕日がはもうじき沈み、夜の帳と共に星々がその輝きをちらつかせ始めている。


 今日は特別な日だ。両手に夢と希望を詰め込んだ紙袋を揺らしながら、心が弾むような足取りで、僕は帰路を辿る足を速めた。



「誕生日おめでとう!」


 短髪で精悍な男、蕗谷一梧郎(あしやいちごろう)の声を皮切りに、僕たちは祝杯を挙げた。グラスに注がれた透明な液体が喉を通り過ぎると、自然と顔がほころぶ。


「ぷはーっ、これ、旨いな」


「ふっ、そうだろうそうだろう。今日は俺の一押しを仕入れてきたぜ」


 ま、俺も20になって半年も過ぎてないから、それほど詳しいわけでもないが、と彼は手にあるワイングラスを揺らしながら、小さく付け加える。今日で丁度二十歳でになった僕、星合博は今日、酒の味と共に大人になった実感を噛み締める。お酒がうまい。


「俺が持ってきたのに言うのもなんだが、ほどほどな」


「大丈夫、大丈夫。そんなにはっちゃけたりしないって」


「……まあ、それはいいとして。喜べ、今日はこんなものも用意してきたぞ」


そういう彼はいそいそと、小柄の人が入れそうなくらいには大きい段ボールを引き出した。


「え、誕プレ?ありがとう、すごく嬉しいよ!」


「やめろ引っ付くな汚い鬱陶しい暑苦しい」


 あまりの嬉しさに大げさにいっちゃんに抱き着いた。彼は顔をしかめ、鬱陶しそうに手を振り払うが、その動きには本気さが欠けている。長い付き合いで、彼のこうした反応はもうお見通しだ。ガタイに似合わぬ照れ隠しをするところも、昔から変わっていない。無口で少し無愛想な彼は、昔から「いっちゃんって呼ぶのやめろ」と抗議していたが、それが可笑しくてずっとそう呼んでいたら、そのうち諦めがついて呼ばれるがままになった。


「さあ、開けてみろよ」


 そう促されて、僕は慎重に箱を開けた。そこには、Wild Space社の最新型VR Diver一式を二つ、『Wild Airport』のロゴが誇らしげに刻まれている。『Wild Airport』。それは発売からわずか4か月で、世界中のゲームファンを虜にした家庭用VRゲーム機だ。大手ゲーム会社がこの新規ハードウェアを発表すると同時に、続編が期待される多くの名作がこのプラットフォームでリリースされることが保証され、その圧倒的な人気は販売店の在庫を次々と消し去った。品薄で価格が高騰し、市場価格は最低でも6桁を超える。


「なあ、一体全体どこで、どうやってこれを手に入れたんだ」


 訝しげに聞いてみると、ほんのり得意げな表情を浮かべて、僕の肩に手を置き、いつものようにぶっきらぼうに答えた。


「お前が気にすることじゃない。黙って受け取ってくれ」


 その言い草に、僕は小さく苦笑した。僕たちは兄弟のように育ってきたが、だからと言ってこんな高価なものは易々と贈れるわけがない。何しろ、僕らは貧乏学生、アルバイトをいくつも掛け持ちして、このVR機器を買うために数か月分の給料を全て注ぎ込んで手に入れたことは明白だ。それを二台も。そういえばずっと帰りが遅かったし、生活の節々から節約していることは読み取れたが、まさかこれが理由だったとは。


 無用な言葉を添えるのは、かえって野暮だろう。だから、シンプルに今の感情を口にした。


「おああああああああああああ!!!!!!」


「おあ?」


 思わず、心の奥底から湧き上がる悲鳴を、隠しきれなかった。


「や、めちゃくちゃ嬉しいよ。本当にありがとう。心から大好きだ。でも……」


「……でも?」


「……ちょっと待ってて」


 彼の問いかけをかわすように、僕は一瞬の間を置き、その視線を避けるように部屋へと足を向けた。すぐに、夢となんとやらが詰まっている紙袋を手に戻ってくる。


「実はここにもこんなものがありまして……」


 僕は気まずい思いを抱えながら、そっと目線を逸らして紙袋に手を伸ばし、Wild Airport』を二式取り出した。


 そう、いっちゃんが出したのとは別の。


「「……」」


 思わず閉口して、虚無の表情を浮かべる一悟郎。僕たちは床に並んだ四つもの同じものに視線を落とし、やがて互いの顔を見た。


「「あっはははははっはははは!!!!」」


二人して、同時に笑い出した。


「ばっかお前、自分の誕生日になんでこんなもの用意したんだ」


「いやだって、今日やっと20歳だし、『あれ』も今日サービス開始だし、どうしてもいっちゃんとやりたかったんだよ!」


「おう、『イーサリアクロニクル』ってやつだろ?……いいぜ。丁度、俺もそれに誘うつもりだった。今夜、やるか」


《Itharia Chronicle》――「答えは世界に、鍵は君の手に。絆を紡げ、物語を切り開け」。20歳以上が対象の新世代VRMMORPG。ゲーム内の自由度やリアルさが話題を呼び、奇しくも僕といっちゃんもこの日を待ち望んでいた。


 僕は余剰時間を殆どゲームに費やすほど、ゲームに熱中している。一悟はそんな僕とは対照的で、真面目や勤勉といった言葉がよく似合う人だ。ゲームに関しては殆ど経験がないはずなのに、二つも用意したってことは、人一倍鈍感な僕でも流石に察しがつく。何がきっかけで、彼をそうさせたのかはわからないが。……いや、本当はわかっている。あの事件以来、僕たちの関係はギクシャクしたままだった。このゲームをきっかけに、昔のように戻りたいと、僕も一悟も、同じように思っているということでいいんだろうか。そういえば、いっちゃんとゲームをするのも小さい頃以来のことだ。思い出が胸の奥で期待をひそかに膨らませる。


 4台のゲーム機から目を逸らしながら。



「なあ、賭けしないか?」


「賭け?」 一悟は微かに眉をひそめ、相手の意図を測りかねるようにその言葉を繰り返した。


「そうだ。このゲームには、全プレイヤーが共通の初期スタート地点を持たないらしいんだ」


 初期のスタート地点は、どうやら千差万別のようだ。ある者は大都市の一角に降り立つかと思えば、またある者は片田舎の寒村に降り立つ。不運な者はモンスターの巣窟のど真ん中にさえ投げ出されることがあるという。イベントやシナリオすらも、誰一人として同一の展開を経験しないとのことだが、正直、信じ難い話だ。


「ふむ……つまり、俺たちが同じ地点からスタートする可能性は限りなく低い、ということか?」


「その通り。それに、ゲーム内でフレンド同士の連絡手段も用意していないようだから、何らかの手段で情報を共有しない限り、合流することはほぼ不可能だ。 ……だったらさ、この状況を利用して、どちらが先に相手を探し出せるか、勝負にしてみないか?」


「そういうものなのか。……ま、いいぜ。何を賭ける」


「なんでも一つ言うことを聞くということで」




 目を閉じて、興奮と期待で弾ませた心を落ち着かせると、意識が深く、深く、落ちていくような、吸い込まれていくような……気が付くと、ただただ真っ黒な空間のはずなのに、鏡写しに困惑する自分の姿が目の前の壁にくっきりと見える。


「ようこそ、イーサリアの世界へ」


 無機質で、男とも女ともとれる中性的な声が空間に響く。声の主が誰なのかはわからないが、その声に不思議な重みが感じられる。


「そなたの名は」


「『ヒロ』です」


 他のゲームではもう少し、ひねった名前を使っていたが、今回は、一悟郎と一緒だから。


「そなたは、この世界に何を望むか?」


「え?」


「そなたは、この世界に何をもって臨むか?」


 そんな疑問をぶつけられて思考が硬直するが、答えを求められたわけではないようで、言葉が続く。


「まずは、万全な準備を」


「――……!!」


 突如、脳裏に流れてくる情報。するりと頭の中に入って、飲み込むのを待っているような情報に頭の中に占められて、パンパンに膨らむ頭と慣れない感覚に体がびっくりして蹲るが、少しずつ情報を整理していくと、段々と混乱した頭がすっきりしていく。


(キャラ作成のマニュアルか。ふむ、こう操作していけば……)


 情報の指示通りに鏡の壁に指を横一直線になぞると、まず種族を選択する画面が飛び出す。


 押し付けられた知識が言うには、人間以外にも、地球に生息する生き物、空想上の生き物、更に言えばオリジナル生物を作成することもできる、らしい、”進化・異化システム”を通して成長していく種族もあれば、相当の制限やら欠点やらを課されることもあるが、それでも夢のような自由度だ。


 そんな中、僕が選んだのは『幻燈茸(げんとうきのこ)族』というキノコの魔物だった。鳥の子色の丸っこい柄部分に蘇芳色の笠が広がり、その餓えには毒々しいグリーンの水玉模様がちりばめられている。小さな体に日本の短すぎる手が垂れていて、愛らしい姿に……と思いきや、足の本数は脅威の13本。ぱっと見かわいらしいものでも、しっかり化け物である。体長わずか30cmと、かなりミニマムに仕上がった(種族的に大きくしようがなかったのが本音だが)。


 頭の中に流れ込んでくる知識によると、魔物キャラスタートは出自というシステムがあり、完全ランダムで決められているみたい。僕の場合は“原因不明の突然変異による知性の芽生え”らしい。これがただのフレーバーなのか、今後何かの影響に出てくるかわからないが、一応留意しておこう。殆どの魔物キャラは、スタート地点が町とかであるはずもなく、“その種族が生息するに適しているすべての場所からランダム”。人族との関係は”嫌悪”らしい。さもありなん。


 そんなわけでキャラクター作成は終わったが……スタート場所わからないし、どう考えても、戦闘どころか、まともなにプレイすらできるかどうかも期待できないけど、きっと、こっちの方が楽しい。


「ここは、そなたの第二の故郷となる世界、イーサリア。そなたの姿に、悔いはないか?」


「はい」


「では、答えを聞こう。『そなたは、この世界に何を望むか?この世界に、何をもって臨むか?』」


 少し迷うが……まあ、深く考えることもあるまいと、思うがままに答えることにした。


「……僕は、この世界に望むことは、まだわかりません。まだ、この世界のことを何も知りません。だから、その、強いて言えば、『この世界を知ること』を望みます。『未知への探求』こそ僕の願いです。だから、僕のめいいっぱいの『好奇心』をもってこの世界に臨みます。……あ、あと、全然関係のないことですが、……友人と一緒にこのゲームを始めたんです。だから、彼とこのゲームを通してまた、仲の良かった昔に、戻れたらいいのになって……」


 沈黙が響き、我に返って柄にもない言葉を口にしたなと、恥ずかしくなって下を向く。

しかし、沈黙はいつまでも続き、ついに違和感を覚え始める。なんだろうと、疑問を口に出そうとした瞬間、再び空間に声が響いた。


(……?なんだろう)


 疑問を口に出そうと思ったとたん、空間に声が響く。


「……良いですね。心がままに、望むがままに、この世界を探求しなさい。その『飽くなき好奇心』をもって、この世界を臨みなさい。私たちは、あなたの挑戦をお待ちしています。あなたが、この停滞した世界に、小さな希望を芽生えさせることを楽しみにしています」


 先ほどとは違う、無感情で機械的な声ではなく、感情がこもった、弾むような、透き通った女性の声。黒一色だった空間が移ろう。


 目の前に一瞬にして広がっていくのは、次々と鮮やかに変わりゆく景色。まるで自分が宙に浮かんでいるような、不思議な感覚に包まれる。星が瞬く夜空が次々と駆け抜け、流れ星のように視界を横切っていく。風を切る音が耳元で囁き、徐々に足元に大地の感覚が戻ってくる。


 ふわりと草の匂いが漂い、どこか遠くから鳥のさえずりが聞こえた。目を開けると、そこには広大な草原が広がり、遠くにそびえる山々が青く霞んでいる。まるで息を吸い込むたびに体に染み渡る新緑の匂いが、これは決してニセモノなどではないと五感に語りかける。


 風と共に、新しい場所へ次々と駆け巡っていく。活気あふれる都市、耳を突き抜ける市場の喧騒、飛び交う色とりどりの傍や屋台の灯り。暗く深い森の中、木々の間から差し込む柔らかな光が舞い落ちる。足元の柔らかな草が風に揺れ、歯が擦れ合う音が心地よく響き、枝を飛び回る小鳥、小平をちらりと見つめてから空へと舞い上がる。島々が点在する広大な海、波が打ち寄せる音がどこまでも響き合う。夕焼けが落とす金色の光が海面に反射し、世界全体をまぶしく包み込む。その美しさに、時間さえも忘却の彼方に置いてきぼりにする。

目まぐるしく変わる情景、そのあまりの美しさに、体温が上昇していく。


「ふふ、でも気を負わないで、私たちの言うことは鵜呑みでいいんですよ。友人との停滞した時間を、思う存分に取り戻しなさい。さあ、冒険の時間です。あなたにはあなたの人生があるんです。何を成すか、何を選択するか、決断するのはいつも自身でなければなりません。そう……」


 彼女は語り、鼓動が、高揚が、無際限に加速していく。


「生を謳歌する一人ひとり、誰しも己が人生の主人公なんですから」


 期待ばかりが、高まっていく。ああ、煽らないで。


「……ふふ、もう待ちきれなさそうな顔ですね。行きなさい。この世界が、あなたの心踊る楽園になりますように……」



「うーん……。ここはどこ、わたしはだ……うっ!?」

 目が覚めて定番のセリフを決めようと思った瞬間、体の奥に入ってくる淀んだ空気。呼吸するたびに体が熱くなったり寒くなったり、頭がふわふわと浮いている感じだ。ゲームが始まったばかりなのに、異常な天候や現実めいた体の症状に目を白黒させる。


(おおおおお、おちつけ。まず状況把握だ)


 自分に言い聞かせ、何とか冷静さを取り戻す。足元を見ると、巨大なキノコの傘の上に立っているようだ。しかし、少し先も見通せないほどの濃い霧。……いや、これは普通の霧じゃない、湿気も感じない。よく観察すると、白を基調に、色とりどりのいかにも目にが痛くなるような蛍光色の塵を、荒ぶ風が束ねて空気をめちゃくちゃにかき混ぜる。


 言葉で表すなら、まさに”極彩色の嵐”だ。


(このままだとやばい……)


 体がうまく動かないのは、なぜ?この嵐が原因?この塵が状態異常を起こしているのか?一刻でも早くどこか、安全な場所に逃げ込まないと、と思ってはいるが、意志とは裏腹に、体の力がどんどん抜けていく。のそのそ起き上がろうとするが、足が思うよように動かない。そういえば、足13本もあったと思い出し、思わず頭抱える。こうなれば、足全部同じ動きならできるだろうと、僕は全部の足を屈伸して、兎飛びの要領で前に飛び跳ねて移動する。跳ねる度に余計に空気吸い込んで、意識が遠のいていくのを感じるが、なんとか傘の淵までたどり着いた。恐る恐る頭を出して下をのぞく。視界が悪くて、地面まで見通せない。このまま上にいてもきっと毒で死んでしまうだろうし、どんな危険が待っていようと、このまま座して死ぬのを待つよりはましだ。「ええーいもうどうにもなれ!」とすくむ足を無理やり動かして、やけくそ気味に目を閉じて飛び降りた。


  小柄で軽量だからか、柔軟な体のおかげか、軟着陸でわずかなダメージで済んだみたいだ。しかし自由落下中にかなり塵を吸い込んで、ますます体の言うことが効かなくなってきた。指先(指があるのかはさておき)ですら見えないほど見通しが悪く、どこに逃げ込めばいいのかすらわからず、焦りが募る。


「いっ!?」


 そんな暗澹たる思いをしている僕に追い打ちをかけるように、赤くて滑っとした細長い紐のようなものが飛んでき、僕の体に巻き付いて、リズミカルに跳ねながら引きずっていく。


(マジかよ……嵐で全然気配に気づかなかった。これはさすがに終わったか)


 体に力が入らなくて、解ける気配もない。強大な力に逆らうこともできず、ただ引き摺られるまま、恐怖が頭を一色に染めていく。流石にもう無理だと感じ、僕は死期を悟った。この場を無事に切り抜けるどころか、逃げることすら叶わないだろう。


……いや、落ち着け、僕。生存率は絶望的かもしれないけど、これはゲームだ。たかが一回死んだくらいで終わらない。そして、死ぬにしても、ただでは死んでやらん。窮鼠(きゅうそ)を舐めるなよ。


(ステータスは……どうやって見るんだ?)


 などと考えていると、頭ん中に自分のステータスが浮かびあがった。


『ヒロ』


 族:魔茸族

 種:幻燈茸種

“幻燈茸より突然変異して生まれた茸型知的生命体。詳細不明。 ”


 何も書いてねえ!そう思った瞬間、疑問に答えるように、最初からそれは脳内にあったように、知識が浮かび上がってくる。どうやらこのゲームは、レベル、スキル、ステータスの可視化などの、MMORPGゲームによくあるシステムは一切実装されてないみたいだ。硬派と言えば聞こえはいいが、かなりとっつきにくいゲームじゃないか……?ネットの前評判が賛否両論なのもうなずける。


 いや、そんな余計なことなんて考えてる場合じゃないな。何か、何かこの状況でできることとかないか……?何か、手は……脳内の知識を駆け巡る。……見つけた!この魔茸族の固有技能を駆使すれば……いや無理だ、とてもこれだ何とかなるとは思えない。今、この体でできるのは、微かに発光する胞子をまき散らすことと、根っこのような足を伸ばすことしかできない。


(……いや、これはもしかしたら……そういう風に使えるかどうかはわからないが。とにかく考えろ、思考を止めるな、必ずどこかにチャンスはあるはずだ……)


 先が見えないけど、このべたべたしたひもは多分、蛙の舌だ。跳ねるように僕を引っ張っているのもその裏付け。蛙はなぜこの嵐の中で動ける?状態異常耐性?呼吸はどうしてるんだろう?現実だったら肺かエラで呼吸をするはずだ。体表が粘膜に覆われているなら、塵が体に触れる分には問題はないかもしれない。しかし、その場で食べないってことは、塵を摂取することを避けているんだろう。塵が付着しているキノコを摂取できる程度の耐性はあるが、嵐に抵抗できるほどではないはずだ。つまり、今呼吸を止めている可能性が高い。そう考えると、嵐の中での行動時間もそう長くないはずだ。今向かっているのは安全に呼吸できる場所、つまるところ住処か水の中だろう。水辺に向かっているならなすすべなしだが、住処みたいな場所まで連れていかれて、僕を食べるつもりだったら、その時が恐らく脱出する最大のチャンスだ。今下手に暴れるのは余計に塵吸い込んで死ぬだけだ、それこそ自殺行為になる。だから、ここは耐えて、勝負に出るタイミングを待つしかない。


 推測だらけの考察だし、そも、これは現実世界の生物に基づいた推理だから、性質が違うであろう魔物となれば殆ど予測は不可能。しかし、この希望的観測が現状、僕が見出せる一番生存の可能性が高い道に違いない。そう強く信じるしかない。今は碌に身動きも取れないが、せめて嵐から逃れる場所まで気絶せぬように意識を保たないと。


……自分より一回りどころか、倍ほども大きな生き物と対峙するだけで恐怖は十分だが、あまりにもリアルな五感がその恐怖をさらに掻き立てる。心臓がバクバクして、恐怖で手足が震えている。……僕は、この蛙をどうにかできるんだろうか?


(こういう時に都合のいい考えかもしれないが……僕は今から、僕よりずっと大きい化け物と戦います。いずこかの見知らぬ神様……何とかうまく行くように見守ってください……どうか、ひとかけらの勇気を分けてください……)


 この世界には神様がどこかにいて、僕の願いを聞き届けてくれるかもしれないと、僕は藁にも縋るような思いで天に、いるかもわからない神様に祈った。


 引っ張られていく中、徐々に空気中の塵が目に見えて減っていく。体も段々楽になってきて、僕を引っ張る魔物の姿が見えてきた。背中に二房の茸をはやしている、枯葉色の大きなカエルだ。僕より二回り大きいほどの大きさ。このまま住処まで運んで行ってるだろう。蛙の知識あまりないからどんな場所かわからないけど、今は、水辺だけはやめてくれと、懇願する。どうやら、膨らむ袋のようなものも上下したりしていないから、空気を溜め込んで嵐の中で動き回っていたみたいだ。なんにせよ、魔物とはいえ、ある程度は現実に即した生物もいるらしい。ここまでは予想通りで、第一の賭けは実った。次は、あいつが口を開く瞬間を待つ。その瞬間が、きっと最大で、最後のチャンスになるはずだ。


 暫くすると、水辺が見えてきた。水辺の隣に、深い緑のコケに覆われた大樹が鎮座していて、その根っこの隙間が住処だと一目でわかった。なぜなら、入口にきめ細かい泡の壁で塞がれているのが見えたからだ。あの泡の壁がフィルターの役割を果たし、塵を住処から守っているんだろう。中に番いや仲間の蛙がいれば、ほぼ終わりだが、僕は運がいいみたいだ。奥に気配を感じない。カエルって群がらない種なんだろうか。よく知らないが、今はとにかく都合がいい。


 蛙は住処に到着すると、そのまま泡の壁に飛び込み、僕を引き摺ってするりと住居の奥に入った。


 ここまで蛙の市中引き回しの刑をくらい(体が軽くて弾力があるので多少はマシだが)、更に不安定な運転で多少塵を吸い込んで、もうすでに意識が混濁し、体も精神も満身創痍だ。それでも、格上だろうがなんだろうが、ただで負けてやるなんて死んでもごめんだ。僕は意識が飛ばないように、自分を奮い立たせるように手の端を噛みちぎった。


「いっつ……」


 嚙みちぎられたところから流れ出てくるのは真っ赤な血液……ではなく、少し白く濁った半透明な汁。



 蛙は住処の中に入るなり、舌を口の中へ引き込むように、僕を引き寄せた。僕は気絶したふりをして、無抵抗のまま口の中に入った。


 口を閉じようとしたの瞬間、僕は13本の足を蛙の上顎に突き刺した。


「が!?げがががごごがが」


 蛙の喉の奥から悲鳴が漏れ、じたばたで足が外れそうになるが、負けてたまるもんか。


 僕は魔物としての自分ができることがなんだと自身に問いかけた時に、思い浮かんだのがこれだった。何せ、この幻燈茸族の持ち合わせている技能が、胞子を撒くのと、根っこのような足を伸ばすだけだからな。足を伸ばす機能はきっと、何かから栄養を吸収するための機能だ。そこで更に連想する、ド根性大根。植物は石の上でも逞しく生きて、力強く石を割って地下に根を伸ばすことができるという。勿論菌類と植物は全く別のものというのはわかっているし、都合のいい妄想で甚だしいとは思うが、そういった幻想を頼らずにはいられなかったのだ。僕がか弱すぎて。


(ってかやばい……激臭だし、揺れすぎて、なんか出そう……うぇっぷ)


 この体から一体吐しゃ物の代わりに何が出るものなのか割と興味はあるが、それどころではない。


 僕はひたすら力を込め、半分の足で踏ん張りながら、残りの足を深く深く突き刺そうとする。それに抵抗するように、蛙はより一層舌に力を込め、僕を強く縛り、引きはがそうとする。足が丸っこくて柔らかいので中々奥に進まない。そして副次的な効果だが、ひたすら揺れてるせいで僕の体から粉状の胞子が出るわ出るわ、おおよそ外に零れ落ちるが、少しずつ口腔の奥に降り注がれる。特に効果に期待しているわけではないが、現実でも花粉とか大量に吸い込んだらアナフィラキシーショックを起こしたりすると聞くので、全然違うものなのも重々承知だが、淡い期待を抱く。


「ぐぐぐぐぐぐぐ……」


 僕は必死に足をさらに奥へ奥へと伸ばしていたが、口腔の奥に黒い塊が見えた瞬間、全身に戦慄が走った。


(やばい!なにかくる!)


 それを備えるように足を踏ん張って、背中を向くように体を捩った。


「ぐああああああ!ぐ……」


 背中からの衝撃……自体はそう大したものではなかったが、背中側がじゅわじゅわと音が立って、体の一部が溶けるような感覚が広がっていく。


(腐食性の弾か……)


 再生力で蛙の体力をちまちま吸い取れたおかげかギリギリ耐えたが、次が来たら終わりだ。


 より一層足に力を込めたが、ようやく「ぶちゅっ」って音が聞こえた。


「よし、あと少しで…!」


 狙いは、足をひたすら奥に伸ばして上顎から脳貫通させることだ。骨は無理だとしても、上顎から脳までの柔らかい肉部分を通してなら僕でもどうにか貫通できちゃうんじゃないか?と、僕は自分の生命力に賭け、全てを預けた。そして、今この時、僕は賭けに勝った。あとは僕自身を信じるのみだ。


「ぐぬぬぬぬ……!」


「ぐががががぎがぎ……!」


 蛙も死期が近いことを悟ったか、足掻く力が次第に弱くなっていくが、最後の力を振り絞ってさっきの腐食弾をもう一度溜め始めた。


(間に合え……頼む……!)


 最後の力を振り絞り、一番深く刺さった穴を広げるように突き刺し――ようやく、「ぐちゅっ」という音と共に脳を貫通したのを感じ、同時に蛙の体が一瞬震えて、力がみるみる弱くなっていき、遂に動かなくなった。


(はあ……はあ……よ、)


「よっしゃあああああああああ!僕はやったぞ!やったぞ!やっ……」


 そう叫んだ瞬間、僕は意識が途切れた。


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