第9話 破廉恥とは、これ如何に?
「はあ~……」
城内に用意された自室に戻り、倒れるようにベッドに横たわる。鉛のように重い体を、ふかふかお布団が優しく包み込んでくれた。
「……殿下? まだお加減が悪いのですか?」
休憩から戻ったメイベルが、気遣わしげな表情で私を覗き込む。心配性な彼女にへろへろと手を振ってみせた。
「んーん、それはもう大丈夫。……そうじゃなくてね。実は――」
ガイウス陛下と期せずして対面を果たしたこと、彼の容貌のこと。
そして告げられた言葉について説明すると、メイベルはみるみる柳眉を逆立てた。グッと握り締めたこぶしに血管が浮き出る。怖ぁっ。
「婚約者に対し、なんたる暴言を……! しかも婚約を申し込んできたのはあちらでしょう!?」
「そうは聞いているけどね。少なくとも、陛下本人は乗り気のようには見えなかったわ」
枕に顔を埋めつつ、ぱたぱたと無意味に足を動かした。そのままぼんやり考え込む。
ガイウス陛下は、私との婚約を望んでいない。どころか、嫌がってすらいる。
あんなに不愉快そうな目で私を見て、婚約解消が前提のように話していたんだもの。
――ならば、私はどうするべきか?
(……うん。悩むまでもないわね)
腕を突っ張ってベッドから起き上がり、部屋着用のゆったりしたドレスを脱ぎ捨てる。目を丸くするメイベルに、故国から持ってきたドレスを用意するよう頼んで微笑みかけた。
「メイベル。私、今すぐ陛下にお会いしてくるわ」
「リリアーナ殿下、それは……っ。……いえ。ですが、仕方ありませんものね。わたくしもお供いたします」
きっぱりと頷き、私の身支度を整えてくれる。
力強く差し出された手を取り、急ぎ二人で部屋を後にした。
***
「――入れ」
唸るような声音に、浅く震える呼吸を整えた。恐る恐る執務室の扉を開く。ああ、緊張で目が回りそう――
「おや、リリアーナ様。そして貴女が姐さんですね? お勤めご苦労様です」
場違いに呑気な挨拶が飛んできて、私達はどっと崩れ落ちた。で、出鼻をくじかれてしまったわ……。
よろよろと顔を上げると、宰相エリオットが巨大なソファで足を組み、優雅にティーカップを傾けているところだった。
目の前のテーブルには所狭しとお茶菓子が並べられ、さながら一人お茶会状態だ。……ここ、確か執務室よね?
初対面の男からいきなり「姐さん」呼ばわりされても、メイベルは先日と違って怒り出しはしなかった。無言で立ち尽くすばかりで、彼女のこぶしが火を噴く様子はない。
その視線は獅子の王へと釘付けで、うんうんやっぱり驚くわよねと安堵する。
ガイウス陛下は部屋の奥、これまた巨大な執務机についていた。山と積まれた書類と格闘している最中らしく、私に鋭い一瞥を投げつける。
「見ての通りわたしは忙しい。要件は手短に願おう」
怒気を孕んだ口調に肩が跳ねた。ぐるる、という唸り声の幻聴まで聞こえてきそうだ。
それなりに距離があるというのにこの威圧感。
か弱く儚く、華奢で繊細でそのうえ気の弱い私は、陛下の覇気に完全に圧倒されてしまって動けない。
小刻みに震えていると、エリオットが眉をひそめて私達を見比べた。
「ガイウス陛下。失礼ですよもぐもぐ。可哀想にリリアーナ様が怯えていらっしゃもぐもぐ」
「食べながらしゃべるお前の方が失礼だっ。あといつまで休憩しているつもりだ!?」
茫然とする私達をよそに、ガイウス陛下が轟くような大声でエリオットをどやしつける。
しかしエリオットはどこ吹く風で、すでに菓子へと意識を戻していた。どれにしようかな、と言わんばかりに人差し指を泳がせている。……えっと。
(もしかして……。見た目が恐ろしいだけで、そんなに怖いひとじゃない、のかも?)
だって自分の部下に押し負けているくらいだし。
一度目をつぶり、大きく深呼吸した。
わななく唇を噛み、粛々と執務机に歩み寄る。胡乱な視線を向ける彼に、私の望みを伝えようとし――
「…………」
「…………」
やだ。熱く見つめ合っちゃったわどうしましょう。
ではなく。
恐ろしすぎて、声が出せないわ……。
はくはくと口を開く私をしばらく待ってくれたものの、やがて堪忍袋の緒が切れたのか、ガイウス陛下は激しく机を叩きつけた。怒りもあらわに鋭い牙を剥き出しにする。
「だから、早く要件を言えと――!」
「はぅっ」
へろへろと腰を抜かした私を、メイベルが慌てたように抱き留めてくれた。そのまま二人で膝を突き、うるうると涙目で怒れる王様を見上げる。ここここ怖いぃ。
「……あーあ、泣ーかした。これぞまさしく、男の風上にも置けないお下劣人間」
「お下劣ッ!?」
「間違えました。例えて言うなら、獅子の風上にも置けない仔猫にゃん」
「こっ、仔猫にゃん……!」
エリオットの横からの突っ込みに、なぜか激しく打ちひしがれる獅子の王。ふさふさの鬣を抱え込んで苦悩している。
唖然として見守っていると、ガイウス陛下は不意に椅子を蹴倒して立ち上がった。巨大な執務机を大股で回り込み、私に向かってたくましい腕を差し伸べる。
「……あ。ありがとう、ございます……?」
毛むくじゃらな手を怖々と握った途端、ぷにっと柔らかな何かに触れた。あっ、これってもしや肉球!? すごい、気持ちい~い!
思わず夢中になってぷにぷにしていると、陛下がばっと手を引っ込めた。憤ったように震えながら私を睨みつける。
「いきなり何をする!?」
「ごっ、ごめんなさい! あまりに触り心地が素敵だったものだから、そのぅ……!」
咄嗟に言い訳してみたものの、今のはどう考えても私が悪い。
初対面に近い男性の手を撫でまわすだなんて。変質者と詰られても否定できないだろう。
完全にそっぽを向いてしまった陛下の背中からは、隠しきれない怒気が滲み出ていた。
私はまたも声が出せなくなって、未だお茶会真っ最中なエリオットに目顔で助けを求める。エリオットは生真面目な顔で私を見返すと、きっぱりと首を横に振った。
「お断りしますリリアーナ様。これは全てわたしのものです」
そうじゃない!
お菓子を欲しがってるんじゃないの!
「……リリアーナ殿下。一言、一言で構わないのですよ。殿下の望みだけお伝えすればよいのです」
私の背中を優しく撫でて、メイベルが勇気付けるように囁きかけてくれる。え、ええ。そうよね、一言だけよね。
「が、ガイウス陛下……!」
「…………」
せっかく意を決して話しかけたのに、無言の一瞥にあえなく黙り込んでしまう。これでは落ち着いて望みを伝えるどころではない。
(……なら)
コクリと唾を飲み込み、深々と頭を下げて陛下の顔から目を背けた。
「ガイウス陛下! そのっ……。わたくしの要件をお伝えする前にっ。よかったら、獅子の姿ではなく人型を見せていただけないでしょうかっ」
一息に言い切る。
じっと頭を下げたまま待つけれど、何の返答もない。首をひねりつつ、ゆっくりと顔を上げると――……
「…………」
陛下は、完璧に動きを止めていた。
おヒゲの一本一本まで、ピーンとまっすぐに張って微動だにしない。
まあ。
まるでぬいぐるみ……ではなく彫像のよう。
「あの、陛下……?」
手を伸ばして呼び掛けた瞬間、陛下はぶるぶるっと体を震わせた。くわっと大きなお口を開く。
「な……っ。な……っ。――いきなり人型を見せろだなどと、なんたるふしだらな……!」
ふしだら?
「セ、セシルから君のことは聞いてはいたが。まさか、まさかこのように破廉恥な姫だったとは……!」
「……は」
破廉恥ーーーーーっ!?