昔語り【後編】
縁を繋ごう。
だって、君の子孫に伝えたいんだ。
――君がこの地で為した事、そして懸命に生き抜いた気高き姿を。
***
地面に倒れたままぴくりとも動かない初代さんに、私達は困り顔を見合わせた。
コハクが苦笑しながら肩をすくめる。
「そっとしておいてあげようよ。他の精霊からの聞きかじりだけど、話し終えたら彼はいつもこうなるらしいんだ」
「そ、そうなのね」
頷きつつも、やっぱり放ってはおけない。
せめて側にいてあげようと傍らに座り込むと、ガイウス陛下とコハクも私を挟むように寄り添ってくれた。
二人に微笑みかけ、両手を伸ばす。指を絡めるようにして手を繋いだ。
「……私を真ん中にして、ガイウス陛下とコハクも手を繋いでいるわ」
いたずらっぽく囁くと、二人は同時に噴き出した。ガイウス陛下が黄金色の瞳をなごませる。
「それは嬉しいな」
「だねぇ。直接繋ぐのは、もう少しだけ待っててね」
ひめやかに笑い合い、やさぐれている初代さんを見下ろした。コハクが空いている方の手を使い、よしよしと彼の頭を撫でる。
初代さんは嫌がるでもなくじっとしていたので、私達はかわりばんこに彼を慰めた。肩をぽんぽん叩いたり、つむじをぐりぐりしたり。
無反応な初代さんに、皆だんだんと大胆になってくる。
次はまた私の番、と身を乗り出しかけたところで、背後からギィッと重々しい音が響いた。聞き覚えのある音に、瞬間思考が停止する。
「……?」
これはそう――……あれだ。
(箱庭の、扉が開く音……!?)
気付いた途端、弾かれたように振り返った。
入ってきた人物を確認するより早く、ガイウス陛下が荒々しく私を抱き寄せる。唸り声を上げかけて、こぼれんばかりに目を見開いた。
「ちっ、父上!?」
「えええっ!?」
慌てて彼から体を離す。
箱庭の入口には、立派な体躯の獅子獣人が立っていた。
ボロボロになったマントに、縦横無尽にうねる長い鬣。獅子の顔立ちはガイウス陛下に似ているが、顔も体も彼よりさらに一回りも大きい。毛並みの色合いは陛下に比べて赤っぽかった。
結婚してから初めて会うお父様に、私はどぎまぎしながら立ち上がった。震える指でドレスをつまんで礼を取る。
「は……、初め、まして。お父様。わたくし、リリアーナと申しま」
す、と言い切る前に、お父様が大股で歩み寄ってきた。あっと思った時には、すでに彼は私の目前に迫っている。
ガイウス陛下と同じ黄金色の瞳を、ぎょろりと剥いて私を見下ろした。
「ひ……っ?」
「そうか……。君が!」
リリアーナ、愛しの我が娘!!
朗々とした声で高らかに叫ぶと、彼は飛びつくように私に抱き着いて――……
「うおわっ!?」
「ゴフゥッ!?」
すばやくガイウス陛下に抱き上げられて、お父様の腕は空を切った。突進の勢いそのままに、初代さんに蹴つまずいて倒れ込む。
下敷きになった初代さんから、断末魔のような声が漏れた。
「ちょちょちょっ、大丈夫ですか二人共――……へ?」
二人じゃなかった。
よく見れば、お父様の大きな背中に人間が貼り付いている。さらさらとした榛色の短髪を揺らしながら、彼は機敏に身を起こす。
不思議そうに辺りを見回し、茫然とする私を認めてぱっと顔を輝かせた。
「リリアーナ! 愛しの我が妹」
「どうしてセシル兄様がここにいるのよ!? もおおっ、一ヶ月も遅刻するなんてどういうつもり!? 妹の花嫁姿も見ないで!!」
怒りのまま即座に食って掛かると、お父様がくくっと笑い声を立てた。鼻面を天に向け、気取った仕草で鬣をかき上げる。
「そう毛を逆立てるな、我が娘よ。嵐やら凪やらで苦難の連続だったのだ。……ところで初代様。何故わたしにつぶされているのです?」
「父上っ。俺のリリアーナに気安く触れないでいただきたい! ついでに初代殿から早く退いてあげてください」
「ねえガイウス、君には聞こえないけど敢えて言う。優先順位間違ってない?」
全員が好き勝手に発言するせいで、もはやこの場はしっちゃかめっちゃかだ。わあわあ騒ぎながらも挨拶を交わし、初代さんを介抱し、私達はこれまでの経緯を報告し合った。
やっと落ち着いたところで、お父様がお耳をぺしゃりと垂らしてうなだれる。
「……そうか。至高の酒を探して来いというのは、初代様流の高度な冗談だったのだな……」
掛ける言葉が見つからず絶句していると、脳天気な兄がぽんと彼の背中を叩いた。
「そう落ち込むことはない。東方への旅は決して無駄なんかじゃなかったさ。美味しい酒や料理だって知れたし、異国の人々と交流だってできたろう?」
「セシル……。そうだな、君という友もできたしな」
くすぐったそうに鼻をこする彼に笑顔で頷き、セシル兄は私にウインクする。
「おっさんが先代王だと知ったのは、ランダールに到着してからだ。その時一緒に俺の身分も明かした」
「もう……。本当に無茶苦茶なんだから」
きゅっと睨みつけるが、もちろん兄には全く堪えた様子がない。朗らかに笑い、ガイウス陛下に手を差し伸べた。
「ガイウスも久しぶりだな。リリアーナに手を焼いていないか?」
「全く。毎日が発見の連続だ」
悠然とおひげをそよがせ、二人は荒っぽく肩を叩き合う。
仲の良さそうなその様子にむくれていると、セシル兄が笑顔で懐に手を入れた。
「土産だ、リリアーナ。お前は酒は嗜まないから、代わりに米で作った菓子を」
「菓子!?」
背中を向けていじけていた初代さんが、勢いよくこちらを振り向く。セシル兄が私に渡そうとした何かを、問答無用で奪い取った。
戦利品に目を落とし――……一気に失望したように顔を歪める。
「……何だ、これは」
「東方の米で作った菓子の絵です。ちなみに俺が描きました」
飄々と答える兄にずっこけた。
胸ぐらを掴み上げ、激しく揺さぶる。
「どうしてお菓子そのものを持ってきてくれないの!?」
「だってリリアーナ、あの菓子は日持ちがしないんだ。米粉で作った生地を薄く伸ばし、赤い豆と砂糖を煮詰めたあんこという食材を包み込む。……ほら、見た目は真っ白だが、中は黒いんだぞ?」
くどくない上品な甘さに、驚くほどの柔らかさ。これぞ天上の菓子だと思ったよ。
絵を見せながらの得々とした解説に、ごくりと唾を飲み込んだ。気のせいじゃなければ、初代さんの喉も鳴った。
「……食べたい」
聞こえるか聞こえないかの声で、初代さんが小さく呟く。キッとお父様を睨みつけ、尊大に胸を張った。
「日持ちがしないのなら、ここで作ればいい。――先代王、材料と製法を手に入れてくるんだ。そうすれば『精霊の実』について再考してやらないこともない」
「おおっ! 本当ですか初代様っ!!」
鬣を逆立てた彼は、すぐさまマントを翻す。
セシル兄の首根っこを引っ掴み、目にも留まらぬ速さで駆け出した。
「ちょっ、父上ーーーーっ!?」
「セシル兄様ーーーーっ!?」
どうしてうちの昼行灯まで連れてくの!?
追いかけようとした私達の後ろから、コハクのげんなりした声が聞こえる。
「あのさぁ。絶対再考してあげる気なんかないよね?」
「ふん、見くびるな。再考だけならしてやるさ」
ただし、実を付けてやるとは言っていない。
ふんぞり返っての堂々たる宣言に、私とガイウス陛下はその場に崩れ落ちた。……な、なんという開き直りの詐欺行為……!
初代さんはあかんべえすると、すたすたと大樹に歩み寄る。
「言っただろう、君のための実はもう付けない。……次に生る実は、いずれ生まれるであろう君達の子供のためのもの。何人分だって付けてやるさ」
それが彼女との約束だからな。
ため息交じりの呟きとは裏腹に、初代さんの横顔は笑っていた。
一瞬何を言われたかわからず、私とガイウス陛下はぽかんと呆けて立ち尽くす。じわじわと理解が及び、一気に頬が熱くなった。
傍らに立つガイウス陛下を盗み見すると、彼も鬣を逆立てて明後日の方角を向いていた。
コハクが嬉しげにぴょんぴょん飛び跳ねる。
「いいなぁ! 二人の子なら絶対、絶対可愛いよ! 子守は僕に任せてねっ!」
「ふん。面倒だが仕方あるまい」
「……誰も初代には頼んでないよ?」
半眼で突っ込むコハクに噴き出してしまう。
笑いながらガイウス陛下に抱き着くと、彼もはにかむようにおひげを震わせた。
「その節は、ぜひともお願い申し上げる」
穏やかに辞儀をしたガイウス陛下をちらりと見て、初代さんはフンと鼻を鳴らした。
「まあ、一応頼まれてやろう。……それではな」
ひらひらと細っこい腕を振り、迷いのない足取りで歩き出す。
大樹に溶けるように消えてゆく背中を見送って、私は大きく手を振った。
「初代さんっ。先の話もいいですけど、来月の収穫祭も忘れないでくださいね! りんご飴、すっごくすっごく楽しみにしてるんだから!」
「リリアーナ、ちゃんと僕の分も買ってきてね」
「今年こそ必ず、この手で捕まえてみせる!」
口々に叫ぶ私達に、まるで答えるかのように大樹の葉が大きく揺れた。さわさわと優しい音を箱庭中に響かせる。
目を閉じて聞き入ると、ひとりの美しい女性の姿が脳裏に浮かんだ。つやつやと輝く真っ赤な林檎に、幸せそうにかぶりついている――……
そうして、傍らに寄り添う彼もまた。
――とろけるような笑みを浮かべていたに違いない。
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