昔語り【前編】
全3話。本日中に投稿予定です。
初めて彼女が僕を見つけた時。
――彼女は、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
***
光り輝く精霊廟の箱庭、ゆったりとした時間が流れていく昼下り。
頬を上気させた初代さんが、ひょろ長い体をまっすぐに伸ばして熱弁している。
身振り手振りでまくし立てる彼を、私はひたすら虚ろな瞳で見上げ続けた。だって、眠くて眠くて堪らないのだ。
いつもならお昼寝まっただ中の時間帯。
まして立っている初代さんとは違い、私はやわらかな草の上に横座りしている。草花から立ち昇るあえかな香りが心地良いし、箱庭に差し込む光も暖かい。
包み込まれるような優しい空気に、私は小さく欠伸を噛み殺した。
「……でも。彼女はその時、もちろん獅子のお姿だったんでしょう……? 笑っていたかどうかなんて、わかります?」
熱のこもらない口調で問いかけると、彼はぴたりと言葉を止めてしまった。しばし黙りこくり、ややあって不快そうに唇をひん曲げる。
「たとえ獅子の姿であろうと、彼女の感情ぐらい手に取るように分かる。彼女を誰より理解しているのは、他でもないこの僕なのだから」
「そ、そうですか……」
引きつり笑いを返して、私はさり気なく初代さんから距離を取った。じりじりと移動して、傍らの温かな毛並みに身を寄せる。
彼もすぐさま察してくれたようで、私の肩にたくましい腕を回して引き寄せた。微風におひげをそよがせながら、優しい眼差しを私に向ける。
「眠くなったか、リリアーナ? ならば俺にもたれて目をつぶっているといい。初代殿のお話は俺が伺っておくから」
「嬉しいわ。ガイウス陛下……」
うっとりと彼を見つめ、お言葉に甘えて額を擦りつけた。太陽の香りがする大好きな毛並みを堪能し、さあいざお昼寝を――……
「寝・る・なっ!!」
途端に頭上から大喝された。
いやいや目を開けて、鼻息荒く腕組みする男を恨めしげに睨みつける。
「だって、このお話は代々の王に聞かせているものなんでしょう? 私は王じゃないもの」
「それでも君は王妃だろうっ。『はじまりの精霊』たるこの僕の、貴重な昔語りなのだからありがたく傾聴しろっ」
……はいはい。
仕方なく、ううんと大きく伸びをする。
きちんと座り直し、真面目くさって彼を見上げた。
「彼女――フィオナ様は、その時はまだ王ではなかったんですよね?」
はじまりの精霊が、フィオナ女王陛下と出会ったちょうどその頃。
ランダールという国はまだ存在しておらず、獣人は種族ごとに分かれて暮らしていたという。といっても決して仲が悪いわけではなく、単に住み分けをしていただけらしい。
さっきまで彼が熱く語っていた内容をすらすらと諳んじてみせると、初代さんも即座に機嫌を直してくれた。そっくり返って尊大に頷く。
「その通り。獣人達は皆平和に暮らしていたが……当時、異常気象がこの大陸を襲ったんだ。夏の日照りに冬の大嵐……。土地はやせ細り、獣人達は飢えに苦しんだ」
「…………」
そういえば、ランダールの歴史書で読んだ覚えがある。
といっても単に書物の知識と、実際に話を聞くのとでは体感が違ってくる。痛ましさに胸が疼いた。
ガイウス陛下も辛そうに獅子の顔を歪める。
「酷い飢饉だったそうですね。その頃は、精霊の加護が無かったから……」
「精霊は基本、やりたいように行動するだけだからな。人間の事など気にしていない」
そっけなく返し、初代さんは私達に背を向けた。そのままじっと大樹を見上げる。
沈黙に居心地悪く身じろぎしていると、しばらく経ってから初代さんがやっと口を開いた。
「……彼女はひとり群れを離れ、食料を探すためこの地へとやって来た。他の精霊が施していた、悪しき者を排除する結界をやすやすとくぐり抜けて、な」
再びこちらを振り向いて、ふっと唇をほころばせる。
そうして初代さんと邂逅したフィオナ女王陛下は――艶のなくなったぼさぼさの毛を震わせ、まるで宝物を見つけたかのように目を輝かせたのだという。
その時の事を思い返したのか、初代さんが熱っぽい吐息をついた。
「彼女は黄金色の瞳を僕に向け、歓喜の悲鳴を上げたんだ……。『まあ、美味しそう!』とな!」
「…………」
はい?
聞き間違いだろうか、とガイウス陛下を窺うが、彼も牙を剥き出しにぽかんと大きな口を開けていた。二人無言で見つめ合う中、初代さんは熱に浮かされたように続ける。
「僕の胸は高鳴った……! いや、その頃まだ僕に胸は無かったが! 僕は必死で体を揺らし、彼女の美しい手の上にぽとんと落としてあげたんだ!」
「何を?」
間の抜けた声で合いの手を入れると、彼はキッと眉を吊り上げた。
「林檎をだ! 決まっているだろう!!」
「………」
や、わかんない。
どゆこと? と首をひねる私達に構わず、初代さんは両手を広げてその場でくるくる回り出す。
「彼女は待ちきれない様子でかぶりついたさ! 夢中で牙を立て、果汁をしたたらせながらあっという間に平らげてしまった……! ぐいと口をぬぐって再び僕を熱く見つめ、そうしてこう言ったんだ!」
「ご馳走さま、って?」
先回りして答えると、初代さんはようやく回転を止めた。危なっかしくふわふわとよろけ、憤然としてかぶりを振る。
「違う!『お代わり、持ち林檎をありったけ寄越しなさい』だっ!!」
「…………」
強盗かしら。




