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最終話 ずっとずっと、この先も。

 光の満ちる境界の箱庭へ、ガイウス陛下と共に足を踏み入れる。


 この場所の人を寄せ付けない完璧な美しさも、時が止まったかのような圧迫感のある静けさも、これまでは怖くて怖くて仕方なかった。けれど今、私の心は少しも揺らいでいない。


 この世ならぬ精霊と心を通わせたこと、これから私もランダール王家の一員となること。

 のんきでぐうたらな私にも、ようやく覚悟が定まったというところだろうか。


(……と、いうか。心を通わせるどころか、掴み合いの喧嘩までしちゃったものね)


 思い出して苦笑していると、ガイウス陛下が不思議そうに目を瞬かせた。いたずらっぽく舌を出し、彼の腕にぎゅっと抱き着く。


「さあ、行きましょう? コハクもきっと待ち侘びているわ」


 大樹の下へ粛々と進み、眩しく茂った緑を見上げた。無論そこにもう精霊の実はないけれど、それでもこの大樹は神秘的で美しい。


 ガイウス陛下も頬を上気させ、愛おしそうに年経た大木を撫でた。


「精霊の大樹と『はじまりの精霊』に、心からの感謝を。――どうか、これからも我らを見守って欲しい」


 まるで返事をするように、大樹の枝葉がさわさわと揺れる。目を閉じて優しい音に聞き入っていると、トン、と背中から抱き着かれた。


「……コハク?」


 笑みがこぼれて、お腹に回された華奢な手を握り返す。

 くすぐったそうな笑い声を上げて、身を翻したコハクが私達の前に立った。ガイウス陛下がぱっと顔を輝かせる。


「コハク? そこにいるのか?」


「ええ。……こっちよ、ガイウス陛下」


 手を引いて誘導すると、陛下はコハクの姿を見つけようとするかのように目をすがめた。ゆっくりと腰を折る。


「来てくれてありがとう、コハク」


「大事な友達の門出だもん、当然だよ。……って、ガイウスに伝えてね。リリアーナ」


 くるりと軽やかに一回転して、コハクは私達から距離を取った。胸に手を当て、もったいぶったお辞儀をしてみせる。


「ガイウス陛下、並びにリリアーナ姫。ご結婚誠におめでとうございます。我らランダールの精霊より、心ばかりのお祝いをさせていただきます」


 ――さあ、みんな!


 コハクが両腕をいっぱいに広げて叫んだ瞬間、わあっと空気が振動するほどの歓声が上がった。


 驚いて周囲を見回すと、不可思議な生き物達が続々と姿を現してくる。

 羽根の生えた馬に、炎を纏って飛ぶ大きな鳥。双頭の蛇に、動く巨大な甲冑。甲冑はガチャガチャと音を立て、ヨッと挨拶するように手を上げた。


「……え、えええ……?」


「リリアーナ?」


 ガイウス陛下が怪訝な声を上げるが、私の目は彼らに釘付けで、とても返事をするどころではない。


 空の上では長い体に鱗の生えた生き物が、柔和に目を細めて私達を見下ろしていた。言葉を失って見惚れていると、クスクスと楽しげな笑い声が聞こえてきた。


「こんにちは、異国のお姫様? 美しい榛色を持つあなたに、あたし達から光の祝福を」


 鈴を鳴らすような可愛らしい声と共に、きらきらとした金色の光が舞う。私の周りを飛び回るのは、七色の羽を持つ三匹の蝶々。……ううん、違うわ。


「小人、さん……?」


 若草色の軽やかなワンピースを身に着けた、親指ほどの女の子達だった。その背中に生えるのは蝶の羽。


 彼女達は鱗粉を散らしながら、楽しそうに笑いさざめく。


「小人じゃないわ、精霊よ。あたし達の祝福は素敵でしょう?『眼』を持たない彼にだって、この光は感じ取れるはず」


 その言葉通り、ガイウス陛下も目元を赤く染めて私を見つめていた。「綺麗だ、リリアーナ……」茫然としたような呟きに、私も真っ赤になってしまう。


 彼女達が囃し立てるようにひらひら舞った。


「あらあら、ご馳走様。これで準備はばっちりね?」


「だね。――さあ、二人とも。大樹の下で愛を誓うんだ」


 コハクから促され、改めて大樹の前でガイウス陛下と向かい合う。

 黄金色の瞳で一心に私を見つめると、陛下は私の手を優しく取った。


「誓いの前に、まずは君に感謝を。……俺との婚約を受け入れてくれたこと、遠くランダールまで来てくれたこと。そして君が、ランダールという国を愛してくれたことを」


 穏やかな声音に涙があふれそうになる。唇を噛んで必死でこらえ、何度も何度もかぶりを振った。


「……別に。好きになろうと努力して、好きになったわけじゃないわ……。ランダールのことも、そしてあなたのことも。気付いたら、自然と大好きになっていたの……」


 しゅんと鼻をすすって見上げれば、途端に陛下は真っ赤になった。おろおろしたように視線を泳がせて、意を決したように私を抱き締める。


 私の耳に唇を寄せ、静かな声で囁きかけた。


「……ランダール国王、ガイウス・グランドールの名において。リリアーナ・イスレアを生涯愛し抜くことを、ここに誓う」


 長身の彼の背中に手を回し、目を閉じて誓いの言葉に聞き入る。

 震える息を吐き、少しだけ彼から体を離した。涙に霞む視界の向こうで、真摯に私を見つめ続ける彼に微笑みかける。


「リリアーナ・イスレアと、私達の精霊コハクの名において。あなたを一生、愛――……。一生……愛、あい……」


 ――愛します?


 なんとも表現できない違和感に、いったん言葉を止めて考え込む。愛する、という言葉。どうも今、この瞬間の私にはしっくりこないような気がする。


 うんうんと頭を抱え、ややあってぽんと手を打った。


 目を丸くする彼に腕を回し、せーの、と高いヒールで目一杯背伸びする。


 至近距離から熱っぽく、太陽のような黄金色の瞳を覗き込んだ。


「ガイウス陛下! 人型のあなたも、ふかふかな獅子のあなたも大好きよ! これからもずっとずっと、私と一緒にいてね!」


 満面の笑みで告げて、掠めるようにその唇に口づけた。おおっと精霊達がどよめき、やんややんやの大喝采を送ってくれる。


 コハクもぴょんぴょん飛び跳ねて、「おめでとう、二人とも!」と嬉しげに声を弾ませた。


「ガイウス陛下! コハクと精霊の皆さんが、私達におめでとうって――……」


 ガイウス陛下を見上げた笑顔が固まる。


 なぜなら彼は、カッと目を見開いて彫像のように立ち尽くしていたから。


 かける言葉もなく見守っていると、ややあって彼はやっと身じろぎした。大きな手の平で、口元を覆い隠し――……



 バリィッ!!



「きゃああああっ!? ごめんなさーーーいっ!!?」


 人型の礼服は無惨に破け、私はあたふたと回れ右する。純白のドレスの裾をつまんで持ち上げ、全速力で駆け出した。


 周囲の精霊達がどっと大爆笑する。

 コハクもケタケタ笑い転げている。


 着替えを取りに行くべく走りながら、気付けば私も笑い出していた。ガイウス陛下の気恥ずかしそうな笑い声も聞こえる。


 普段は静謐な箱庭が、この時ばかりは温かな笑い声でいっぱいになる。金色の鱗粉が私からこぼれ落ち、きらきらと楽しげに宙を踊った。

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