第80話 彼女の魂と共に。
精霊廟の重厚な扉を閉じた途端、ほっと安堵してへたり込んだ。
ずりずり移動して花畑に寝っ転がると、フィオナの花が優しく私の鼻先をくすぐった。うつ伏せになって可愛らしい花弁をつつきつつ、抜かりなく入口を観察する。
(万が一、レナードお兄様が追いかけてきたら……)
境界の箱庭に逃げ込めばいい。
だって最奥の扉は、レナード兄には決して開けられないのだから。ランダール王家の聖域万歳。
にやりとほくそ笑み、蜜蝋で封された封筒を開く。
風来坊からの久しぶりの便りに、どきどきと胸を高鳴らせながら目を落とした。
「えぇと、何なに……?」
『親愛なる我が友ガイウス――そして愛する妹(きっと我が家のようにランダールでくつろぎ所構わず昼寝しているに違いない)リリアーナへ』
腹立つけど合ってる。
手紙をピンと指で弾き、思いっきりあかんべえする。ちゃらんぽらんな性格に反し、セシル兄の無駄に流麗な文字に目を走らせた。
『二人とも元気にしているか? そろそろ婚約期間も終わることかと思う。お前達の結婚式には無論出席するつもりだが、実は俺は今、東方の国々を放浪しながらこの手紙を書いている』
「……はあ? なんで東方?」
『船倉掃除のバイトの最中、木箱に隠れて昼寝していたら気付けば出港していたんだ。船員の奴ら、ちゃんと確認しないなんてびっくりだろ?』
アンタにびっくりよ。
脱力して花畑に突っ伏してしまう。
ていうか、それ密航では……?
『せっかくなのでそのまま船旅を楽しむことにした。東方の国は素晴らしいぞ、リリアーナ。酒池肉林だ、あっはっは』
心底どうでもいい。
っていうか大丈夫なの? 私達の結婚式にちゃんと間に合う?
焦りながら大急ぎで二枚目の手紙に移行する。
『観光を満喫していたら、酒場で面白い御仁と知り合ったんだ。全身をローブで覆い隠し、顔には仮面まで被った大男。恥かしがり屋で奥ゆかしいと思わないか?』
どこがよ!?
指名手配犯じゃないのそれ!?
『驚かないでくれ。妹が今度ランダールで式を上げると教えたら、なんと彼もランダール人だと言うんだ。至高の酒を手に入れるため、わざわざ遠く東方まで来たんだと。おかしなおっさんだろ?』
「…………は?」
至高の、酒?
ちょっと待って。
その単語、どこかで聞いた覚えがあるような……?
思考停止しつつも、目は勝手に動いて文字を追う。
『至高の酒とは何だと聞けば、東方の伝統的な酒だと言う。これで目的は果たせたから、自分も一緒に帰国したいと。確かにあの酒はなかなか美味い。米で作られていて、作り方は――』
そこはどうでもいい!
その後三枚に渡って続く酒造りの解説は読み飛ばし、どんどん手紙をめくっていく。
『と、いう訳で。至高の酒を携えて、顔も知らないおっさんとこれから船でランダールへ向かうことになった。天候次第では式に間に合わないと思うので、その場合は花嫁衣装を脱がずに待っていてくれ』
終わったら速攻脱ぐわ。
相も変わらず阿呆な兄に、ため息をついて手紙を丁寧に折り畳む。そうしてすぐに再び開いた。
気になる箇所を、唇を噛んでじっと睨みつける。
(至高の酒……)
で、ランダール人。
おっさん。
全身を覆い隠している。
「……もしかしなくても。ガイウス陛下の、お父様?」
「そのようだな」
「きゃあああっ!?」
もしやレナード兄が来たのかと、悲鳴を上げて飛び起きた。しかしそこに立っていたのは、黒の丸ガラスで目元を隠したひょろ長い男。
さも不快そうに口をひん曲げて、両耳をしっかり押さえつけている。
「――初代さんっ?」
「怒鳴るな。頭に響く」
冷ややかに吐き捨てて、彼は私の手から手紙を抜き取った。じっと目を落とし、ややあって納得したように頷く。
「変人の兄は変人、か……」
「あれと一緒にしないでもらえます!?」
憤りながら手紙を奪い返した。鼻息荒く怒る私に、彼は小さく肩をすくめる。
「明日が式だからとわざわざ顔を見せてやったのに、随分な態度だな」
「それは……っ。どうも、ありがとうございます……?」
なんでこんなに恩に着せられなければならないのかと、内心首をひねりながらも礼を取る。初代さんは至極満足気に頷いた。
「式の段取りは聞いているか? 先代王が不在だからわからないかもしれないが、まず――」
「精霊廟でガイウス陛下と二人きり、婚姻の儀式を執り行う。それから大広間に移動して、一日中招待客とどんちゃん騒ぎ。翌日は城下町でパレード、国民の皆様にご挨拶」
指を折って得々と披露したのに、彼は感心するでもなくかぶりを振った。すっと近寄り、私の鼻先に人差し指を突きつける。
「儀式の内容がすっぱり抜け落ちている。――いいか? 境界の大樹の下で、互いに永遠の愛を誓うんだ。君の婚約者にもちゃんと伝えておけ」
「わ、わかりました。……その、明日はコハクも儀式を見に来てくれるんです。初代さんも、もしよかったら」
上目遣いに問い掛けると、彼はまたも嫌な顔をした。ぷいとそっぽを向いてしまう。
「断る。君らのいちゃいちゃを見せつけられるのはもうごめんだ」
そのままぶらぶら歩き出し、花畑の真ん中で足を止めた。座り込んで愛おしそうにフィオナの花を撫でる。
私も恐る恐る近付いて、彼の側に屈み込んだ。
「じゃあ、せめてパーティに来ませんか? 厨房のお友達が美味しいお料理をたくさん用意してくれるし、ケーキだってあるんです。――ああ、それから!」
ぽんと手を打ち、熱心に彼を勧誘する。
「なんとお酒も飲み放題っ。だからぜひ――」
「ならばケーキだけ味見しに行く。それ以外はいらない。僕は酒は嗜まないから」
……へ?
「でも確か、コハクがあなたはお酒好きだって」
「酒なんか全く興味無い。ランダールの先代王が大樹に実をつけろとあまりにしつこいから、僕の気に入る酒を持ってくれば望みを叶えてやると言ったのさ。それで誤解が生まれたんだろう」
「…………」
ちょっと待て。
ふんと鼻を鳴らしてうそぶく彼に、みるみる目が吊り上がる。花を撫でる細っこい腕を掴み、ぎょっとする彼に詰め寄った。
「どうしてそんな性格の悪いことをするのっ。お父様が可哀想でしょう!? 何年も真剣に至高の酒を探し続けてるのよ!?」
「でも、彼自身だって酒好きなんだ! 口では仕方なくと言いながら、うきうきいそいそ旅立っていったんだぞ! 僕が責められるいわれは――いひゃいっ、止めろつねるにゃ!?」
薄い頬の皮膚を思いっきりつまんでやると、彼は甲高い悲鳴を上げた。必死の形相で手を伸ばし、今度は私の頬をつねり上げる。
「痛ぁいっ!? 何するにょこにょ暴力精霊!」
「にゃんだと暴力女っ!」
「リ、リリアーナ? ひとりで何を騒いでいるんだ?」
ビクリと肩が跳ねる。
お互い同時に手を離し、慌てて振り返るとガイウス陛下が立っていた。挙動不審に辺りを見回して首をひねる。
「コハクか? コハクと喧嘩しているのか?」
「ううん、違うの。初代さんよ」
急いでガイウス陛下の大きな背中に隠れ、横から顔だけ出してあかんべえする。
むっとした顔をした初代さんが、服を整えて立ち上がった。途端にガイウス陛下が驚いたようにのけ反る。
「こ、こんにちは。……あのぅ、リリアーナが何か失礼でも……?」
「別に何も。明日の儀式について教えてやっていたんだ」
澄まして告げて、フィオナの花に視線を移した。そうしてガイウス陛下の黄金色の瞳を鋭く見据える。
「明日はこの花を一輪摘み取り、一緒に最奥まで連れて行ってやってくれ。――これは、僕が彼女の菩提を弔うために作り出した花。子孫の幸せな姿を見て、きっと彼女も喜ぶことだろう」
初代さんの言葉に目を見開いた陛下は、ややあって「約束します」と穏やかに頷いた。胸に手を当てて丁寧に辞儀をする。
「ランダール初代国王――フィオナ・グランドールの魂と共に、明日の儀式に臨みましょう」
「……うん。頼んだ」
寂しそうに微笑んで、はじまりの精霊は踵を返した。茫然と見送っていると、彼はいくらも歩かないうちにキッと私を振り返る。
「ついでに君も、フィオナの花を摘んでも構わないからな。髪飾りにするなり、ブーケにするなり好きに使えばいい。特別に許可してやらないこともない」
早口で言い終えたかと思うと、たちまち煙のように姿を消してしまった。
ガイウス陛下とまじまじ顔を見合わせて、二人同時に大きく噴き出す。フィオナの花も楽しげにふるふる揺れる。
素直じゃないわね、と初代女王陛下が苦笑した気がした。




