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第78話 同じ時を歩む。

 透き通るように美しい瞳を、コハクはこぼれんばかりに大きく見開く。

 衝撃に立ち尽くす彼を見つめ、実を差し出したままゆっくりと距離を詰めた。これが本当に正しい選択なのかと、この期に及んでまだ迷いながらも口を開く。


「……コハク。初代さんが言っていたのよ。コハクが昔食べた実が、もし完全に熟していたら……コハクは今ごろ、きっと……」


 だんだんと声の小さくなる私を制して、ガイウス陛下が前に出た。


「俺が君にあげた実が完全だったなら、君は初代に並び立つほどの精霊になれたらしい。知っているだろう? 初代は自由自在に人間にその姿を見せることができるんだ。君がこれを食べれば、強き精霊になれるはず。そうすれば、きっと」


「待って――待ってよ! 二人して勝手なことを言わないで!」


 コハクが突然ほとばしるように悲鳴を上げた。慌ててガイウス陛下に精霊の実を託し、小刻みに震えるコハクの手を握る。


 今にも決壊しそうに潤む、琥珀色の瞳を覗き込んだ。


「コハク、コハクお願い聞いて。ごめんね、私もガイウス陛下もわかっているの。これは確かな話じゃないし――あなたひとりに責任を押し付けることになるんだって」


 でも、でもね。


 私まで泣き出しそうになりながらも、唇を噛んで必死にこらえる。

 今は泣いている場合じゃない。私達二人の思いを、きちんと彼に伝えなければならないのだから。


「私達、何度も話し合ったわ。でも駄目なの。私は実を食べない、そしてガイウス陛下も食べない。いつまで経っても平行線で……そうして、気付いたの」


「俺が実を食べないのは、リリアーナに加護を得て欲しいからだ。そしてリリアーナが実を食べないのは……」


 ためらうように私に視線を移した彼に、大きく頷いてみせた。深呼吸してコハクに向き直る。


「私は、ガイウス陛下とコハクに再会して欲しい。悲しい時には泣いて、楽しい時には笑い合って欲しい。私に、二人の思い出話をたくさん聞かせて欲しい。これからもずっと、私達三人で一緒の時を過ごしたいの……っ」


「リリアーナ……」


 コハクの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。まるで真珠のように綺麗だと、場違いな感想が頭に浮かぶ。


 そんな自分がおかしくて頬をゆるめたところで、私の目からも涙があふれた。流れる涙をぬぐいもせずに、力の限りコハクを抱き締める。


「ねぇコハク。私と、あなたの魂は繋がっているのでしょう? あなたはこれからも私と共に歩んでくれるのでしょう?――だったら、私は実なんて食べなくて大丈夫。あなたが私を守ってくれる」


 ぽん、となだめるように大きな手が頭に置かれた。泣きながら見上げると、ガイウス陛下が私達に優しい眼差しを向けていた。


「コハク。俺はずっと『眼』が欲しかった。焦がれていたと言ってもいい。けれどリリアーナと出会って、そして君の存在を知って……。今の俺にはもう『眼』は必要なくなった。他の精霊は見えずとも構わないんだ」


 ただひたすら、君に会いたい。


 ガイウス陛下のまっすぐな言葉に、コハクがとうとう声を上げて泣き出した。子どものようにわんわん泣いて、私の肩に顔を埋める。


 コハクのやわらかな銀髪を撫でながら、ガイウス陛下をきつく睨みつけた。


「もう、陛下! 私のコハクを泣かせないでくださいっ」


「ち、違っ! 俺は決していじめたわけじゃあ」


 おろおろと動揺して、闇雲に手を動かしてコハクを撫でようとする。しかし、その手はコハクに触れられずに空を切った。


「……できないの?」


 茫然と問う私に、コハクは鼻をすすって頷いた。


「そう。『眼』が無い人間は、精霊に触れない」


 ガイウス陛下は切なそうに己の手を見つめている。ため息をつき、私が代わりにコハクの頭を撫でた。


「なら、もうひとつ追加ね。精霊の実を食べて、強い精霊になって、コハク。――そうして、ガイウス陛下と手を繋ぐの」


「…………」


 透明な涙が、ほとほととこぼれ落ちる。

 しゃくり上げて言葉にならない彼を抱き締めて、震える背中をゆっくりと撫でた。


 ガイウス陛下が抱き合う私達の側に屈み込む。

 虚空をさまよう手がコハクの頬に重なって、コハクは泣き濡れた顔をやっと上げた。まるでそれがわかったかのように、陛下が黄金色の瞳を愛おしそうになごませる。


「君が受け入れてくれるまで、俺は何度だって頭を下げよう。どうか、俺とリリアーナからの贈り物を受け取ってくれ。そして、俺に君の元気な姿を見せてくれ」


 跪いた陛下は、言葉通りきっぱりと頭を下げた。


「どうか、お願いだ。――俺の、キュンちゃん」


『…………』


 キュンちゃん?


 思考停止する私の腕の中で、コハクもピタリと動きを止めた。そのまま軟体動物のようにぐにゃりと崩れ落ち、地面に倒れ伏して動かなくなる。


「……キュンちゃん?」


 大真面目に陛下を見上げると、陛下は恥ずかしそうに私から目を逸らした。もじもじと太い指をくっつけ合う。


「初めて出会った時、あまりの可愛らしさに胸がキュンと高鳴ったんだ。それで思わず、キュン=キュンちゃんと名付けた」


 姓がキュンで名前もキュン!?


 ブッフと喉から変な声が漏れて、途端にコハクが飛び起きた。真っ赤になった顔で私を睨む。


「今笑った!? 絶対笑ったよね!?」


「いいえ、笑ってないわ」


 ひくひくと震えるお腹を懸命に引っ込めながら、いかめしい顔で首を横に振った。コハクの肩に優しく手を置く。


「私もガイウス陛下と同じよ。何度だってお願いするわ――……キュン=キュンちゃん」


「そうだぞ、キュンちゃん。どうか実を食べてくれ、キュンちゃん」


「そうよキュンキュン」


「ああもうッ!? 今の僕はちびの仔うさぎじゃないんだ、精霊コハクなんだっ。キュンちゃんキュンちゃん連呼しないでくれる!?」


 っていうかガイウスはともかく、リリアーナは絶対面白がってるだろ!


 うがあと悶えて絶叫するコハクに、これ以上我慢できずに噴き出してしまった。

 胸が苦しくなるほど笑い転げながら、地団駄を踏むコハクに手を合わせる。


「ごめん、なさい……っ。でも……ふっ、あははははっ!」


「もうッ、リリアーナ!」


 息も絶え絶えな私に、ガイウス陛下が精霊の実を返してくれた。滲んだ涙をぬぐって、ふくれっ面のコハクに押し付ける。


「さあどうぞ、コハク。……もし食べてくれないのなら、私これから一生あなたのことをキュンキュンって呼ぶことにするわ」


「何その脅し!?」


 顔を引きつらせ、コハクは助けを求めるようにガイウス陛下を見た。ガイウス陛下も穏やかに頷く。


「ならば俺もそうしよう。キュンちゃん」


「…………」


 味方ゼロの状況に、コハクは再び地面に倒れ込んだ。

 しばらく見守っていると、うつ伏せに寝転んだ彼から、拗ねたような声が漏れてきた。慌てて耳を近付ける。


「……僕、約束できないよ。初代並みの強い精霊になれるかだなんて、わかんないもん」


「もちろんよ。焦る必要なんてないの。ゆっくりで構わないのよ、コハク」


 熱を込めて言い聞かせると、コハクはやっと体を起こした。地面にあぐらをかいて、私とガイウス陛下を上目遣いに見比べる。


「僕、リリアーナを優先するよ。リリアーナが健やかな一生を送れるよう、全身全霊で祝福を与え続ける。ガイウスのことなんか、後回しになっちゃうけど?」


「構わない、むしろ望むところだ。……たが、そのぅ。もしできれば、俺が老いて死ぬまでには君に会いたいな、と……」


 私の通訳に、ガイウス陛下は切なそうに巨体を縮めた。くすりと笑ったコハクが、晴れ晴れとした様子で立ち上がる。


 私もガイウス陛下を誘って、二人でコハクに向き合った。手を重ねて頷き合い、『精霊の実』を彼に差し出す。


「――さあ、コハク」


 ゆっくりと深呼吸したコハクが、確かな一歩踏み出した。


 華奢な両手を伸ばし、震えながらもしっかりとその実を掴み取る――……

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