表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/87

第77話 君がため。

 大樹に宿った実は信じられない速度で成長し、今やりんごと同じぐらいの大きさになっていた。その表面はほんのりと黄色く色づき始めていて、きっとこれから黄金色に変わっていくのだろう。


 きらきらと陽光を弾く実を見上げ、うっとりとため息をつく。


「きれい……。完全に熟したら、もっと美しくなるのでしょうね。楽しみだわ」


「そうだね。この分なら、あと二、三日ってとこだと思うよ」


 隣で同じように実を見つめていたコハクも、嬉しげに私に微笑みかけた。どちらからともなく手が伸びて、二人でぎゅっと手を繋ぐ。


(……コハク……)


 あの日。

 お茶会が終わってすぐ、私とガイウス陛下はコハクに事の顛末を報告した。


 はじまりの精霊と無事に会えたこと。

 この精霊の実は、私のために彼が実らせたものであること。


 ……そして、ガイウス陛下のための実はもう二度と生らないことを。


 コハクは怒るでも嘆くでもなく、じっと私達の話に耳を傾けていた。

 長い話が終わった後、彼はしばらく目を閉じた。そうして再び目を開けた時には、彼の琥珀色の瞳はもう揺らいではいなかった。


 彼は、全てを受け入れたのだ。



 ――隠さず話してくれて、ありがとう


 ――コハク。私はこの実を、ガイウス陛下に


 ――それは駄目だよ、リリアーナ。君のための実を他者に譲っちゃいけない。あの時の繰り返しになるだけだ



 そう気丈に告げて、コハクは大人びた表情で微笑んだ。

 強い決意を宿した瞳を前に、私は返す言葉が見つからなかった――……



 あの日のことを思い出して、私は無理に笑顔を作る。コハクと繋いだ手を大きく振り回した。


「あのね、コハク。私、良いことを思い付いたんだけどね?」


 底抜けに明るい声を出すと、コハクが不思議そうに首を傾げた。瞬きする彼にいたずらっぽくウインクする。


「私とガイウス陛下で、この実を半分こしたらどうかしら? そうすれば、もしかしたら私達二人とも――」


「何言ってるの。そんなの絶対に駄目だよ、リリアーナ」


 途端に声を荒げたコハクが、厳しい眼差しで私を睨み据える。


「祝福っていうのは、そんな性質のものじゃないんだ。都合よく分け合おうだなんて不遜な考えで、二人とも何の加護も得られなかったらどうするの? それこそ貴重な精霊の実が無駄になってしまう」


 理路整然とたしなめられ、私はがっくりと肩を落とした。そのまま黙りこくっていると、コハクが慌てたように私の顔を覗き込んだ。


「ごめん、きつく言いすぎちゃった?」


「……ううん。コハクが正しいわ」


 しおしおと笑って、「実はね」と情けなく眉を下げる。


「ガイウス陛下からも、コハクと全く同じことを言われて叱られちゃったの……」


「そっか、よかった。さすがはガイウスだね」


 安堵したように頬をゆるめ、コハクはまた精霊の実を見上げた。焦がれるような、切ないような美しい横顔に、思わず目が釘付けになる。


 長いうさぎ耳をそよがせて、コハクは地上からは届かない精霊の実に向かって手を伸ばす。


「この実、ふんわり甘い香りがするね。きっと、早くリリアーナに食べてもらいたがってるんだ」


「……そうかしら」


 力なく肩を落とすと、コハクはもう一度「そうだよ、そうに決まってる」と自信たっぷりに断言する。迷いのないその瞳を見ていられなくて、そっと彼から顔を背けた。


(……ガイウス陛下……)


 はじまりの精霊と別れてから何度も彼と話し合ったものの、彼は決して自分の意志を曲げなかった。自分は実を食べない、と。君に食べて欲しいのだ、と。


 泣きながらかぶりを振る私に、だが、と彼はためらいがちに続けた。



 ――リリアーナ。もし、もしそれが叶わぬならば……



 苦渋に満ちた彼の言葉を思い出し、暗い気持ちで俯いた。


 私はやっぱり、この実をガイウス陛下に食べて欲しい。そうすれば彼は確実にコハクに会えるのだ。


 なのに現実は、私も彼も自分は食べないと固く心に誓っている。


 ならばもう、ガイウス陛下の提案に賭けるしかないのだろうか――……?


「リリアーナ?」


 はっと物思いから覚めて身じろぎする。コハクが案じるように私を見上げていた。


 慌てて微笑もうとして――すぐに笑うことを諦めた。コハクから手を離し、ゆっくりと彼の前に回り込む。


 緊張に強ばっているであろう顔を彼に向けた。


「……コハク。私がこれからすることは……あなたを、ひどく傷つけてしてしまうかもしれないわ。それでも……それでも、私とお友達でいてくれる?」


 掠れ声で問い掛けると、コハクは目をまんまるに見開いた。それから、すぐにくすぐったそうに笑い出す。


「何言ってるの! 当たり前だよ、リリアーナ。君が実を食べたからって、君を嫌うはずがない。だって、僕は……」


 まるで壊れ物を扱うように、優しく私の手を取った。指を絡めて、ふわりと穏やかに笑む。


「僕は、ガイウスに負けないぐらい君のことが大好きだから。君が毎日元気に笑って、一日でも長く一緒の時を過ごせたなら……こんなに幸せなことってないよ」


 ――僕の、大切なお姫様。


 ふわふわのうさぎ耳が私の頬を撫でた。

 コハクが精いっぱい背伸びして、力強く私を抱き締めたのだ。ぶわりと一気に視界が霞む。


 私も華奢な彼の肩に腕を回した。しゃくり上げながら、馬鹿みたいに何度も何度も頷く。


「ありがとう、コハク……。わたし……わたし、やっと決めたわ……!」




***



 三日後。

 大樹の実がとうとう完全に熟した。


 つやつやした果実は黄金色に眩しく輝き、箱庭中に満ちるほどの強い芳香を放っていた。思わず胸いっぱいに甘い空気を吸い込む私の横で、ガイウス陛下もぴすぴすと幸せそうにお鼻を鳴らした。


 ぷっと噴き出して彼の腕に抱き着く。


「ふふっ。やっぱりご自分が食べたくなったんじゃありません?」


「そ、そんなことはない」


 ぶぶぶと勢いよく(たてがみ)を振って、ガイウス陛下は用意していた梯子(はしご)をおごそかに担ぎ上げた。粛々と大樹に向かって歩を進め――……すぐに困り果てた顔で私を振り返る。


「リリアーナ! 花が……俺達の花が咲いている……!」


「ええっ!?」


 慌てて彼に追いつくと、確かに大樹の根本から可愛らしい花が顔を覗かせていた。コハクがあっと悲鳴を上げる。


「ごめん、ちょっと張り切りすぎちゃったみたい……。精霊の実を収穫してから咲かせればよかったね?」


 しゅんとする彼に笑って首を振った。「コハクが咲かせてくれたんですって」とガイウス陛下に通訳して、三人でほのぼのとオレンジ色の花を観察する。微風にふんわりと花びらが揺れた。


 いつまでだって眺めていたいが、そうそうのんびりしてもいられない。

 名残惜しい思いに駆られながらも、強いて勢いをつけて立ち上がる。


 さて、と腕組みして大樹を見上げた。


「どうしようかしら。ガイウス陛下が梯子を支えて、私が登れば……」


「駄目だ!」

「駄目だよ!」


 左右から同時にたしなめられ、ぺろりと舌を出す。


 地上の騒動など知らぬげに、果実は高みから澄まして輝き続けていた。ガイウス陛下に肩車してもらったところで、手が届くかどうか微妙な位置だ。


「もう。肩車だって危険だからね、リリアーナ」


 私の考えを読んだように嘆息して、コハクがキッと大樹を見上げる。「あれは僕が取ってくるよ」と宣言した途端、コハクの輪郭がぼんやりと薄れてゆく。


「えっ、コハク!?」


「リリアーナ?」


 驚愕の声を上げた時には、すでにコハクの姿は跡形もなく消えていた。かと思えば、大樹の実の側に白い(もや)が出現する。


「コハク!? 大丈夫なの!?」


「もちろん。――ガイウスに抱っこしてもらって、リリアーナ。ぎりぎりまで手を伸ばしてね?」


 白い靄は瞬きする間にコハクへと姿を変えた。得意気に笑って、コハクは枝の上からゆうゆうと私に手を振る。

 慌ててガイウス陛下に頼んで、彼に抱き上げてもらった。慎重に位置を調整し、精霊の実の真下で腕を構える。


「――いくよっ」


 いっせーの、と呼吸を合わせてコハクが果実をもいだ。息を止めて見つめ、落ちてきた果実をしっかりと手の中に掴み取る。


「やっ……たわ! ととっ!?」


 黄金色の見た目に反して、それは至極やわらかかった。指が沈み込みそうになり、大慌てで力を緩める。


 地上に降ろしてもらって実を確認すると、表面は傷ひとつなくなめらかに輝いていた。ほっと安堵してガイウス陛下に実を渡す。


「見て。とっても綺麗だわ」


「本当に。そうか、これが『精霊の実』……!」


 ガイウス陛下は感極まったように瞳を潤ませ、ためつすがめつ実を観察した。

 気が済んだところで私に返してくれたので、今度は私がくんくんと匂いを嗅ぐ。


「ああ、もうっ! なんて良い香りなの……!」


「リ、リリアーナ。俺も俺も」


 ガイウス陛下が大きなお顔を近付けた。おひげのくすぐったさに笑いながら、二人仲良く香りを堪能する。


 きゃっきゃっとはしゃぐ私達を、コハクがげんなりとして見比べた。


「……ねぇ。いちゃついてないで、そろそろ食べない?」


「あっ! そ、そうよね」


 澄ましてガイウス陛下から離れ、彼と強く頷き合う。笑顔でコハクを振り向いた。


「あのね、コハク。――この実を食べるのは、私じゃないの」


「えっ!?」


 愕然としてガイウス陛下を窺うコハクに、今度はガイウス陛下がかぶりを振る。私の誘導に従って、二人でコハクの前に立った。


「そして、俺も食べない。リリアーナと話し合って、そう決めた」


 穏やかに告げて、私の手の中の精霊の実を最後にひと撫でする。目顔でうながす彼に、笑顔で頷いた。


 深く息を吸い、黄金色に輝く果実をコハクに差し出す。


「――コハク。これは、あなたが食べるのよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ