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第76話 似た者同士。

「ああ、アホらしいことこの上ない。この僕としたことが、有限たる時間をドブに捨ててしまうとは情けない」


 聞こえよがしに嘆く精霊に腹が立ち、ガイウス陛下の広い背中に隠れてこっそり舌を出す。悠久の時を存在するって自慢していたのだから、少しくらいいいじゃない?


 スカートに付いた花びらを手で払い、ツンと澄まして前に出た。しとやかに一礼する。


「貴重なお時間を頂戴して、誠に申し訳ありませんでした。それではわたくし達は、そろそろ失礼させていただきます」


 さ、ガイウス陛下。


 ふさふさの婚約者をうながして、彼の腕に寄り添った。途端に精霊の眉が吊り上がる。


 そのまま地面をすべるように近寄ってきた精霊に、ぎょっとしてのけ反ってしまう。しかし精霊は気にしたふうもなく、恨みがましく私達を睨みつけた。


「……まさか、もう帰ると言うのか。僕が帰れと命じる前に? 精霊の実がもうひとつ欲しいのではなかったのか?」


「いえ、それは……」


 困り果ててガイウス陛下を窺うと、彼は静かな眼差しを精霊に向けた。かばうように私の前に立ち、きっぱりと首を横に振る。


「実に関しては諦めました。先程の――あなたの言葉の方に理があると悟ったから。一方的な好意に寄りかかって、もっと寄越せと強請るのは人間(ひと)として恥ずべき行いだった。――心から謝罪いたします」


 深々と腰を折って、ガイウス陛下はさばさばと頭を上げた。言葉を失う精霊に向かって、穏やかに口を開く。


「リリアーナの実をどうするかは、これから彼女とわたし……それからコハクの三人で話し合って決めます」


「いいえ、ガイウス陛下に食べてもらいます」


 すかさず突っ込んだ私に、「リリアーナ~……」とガイウス陛下が情けない声を上げた。あかんべえして陛下の腕に抱き着いて、今度こそ二人で踵を返す。


 いくらも進まないうちに、「どうして……」と呻くような声が聞こえた。


「初代さん……?」


 戸惑いながら振り返ると、彼は長身の体を縮めてがっくりと項垂れていた。握りこぶしを小刻みに震わせる。


「どうして、お互い譲り合うんだ? あれは……あれは大層魅力的で貴重な果実だろう? 人の身では得ることの叶わない、この世ならぬ宝物だ。それなのに、どうして君達は醜く奪い合わないんだ?」


 どうして?

 どうして?


 駄々っ子のように繰り返す精霊に、私達はもう一度顔を見合わせた。深呼吸して、ゆっくりと進み出る。


 精一杯いかめしい顔を作り、ガラス玉の向こうの彼の瞳を覗き込んだ。


「……もしかして、あなたが私に実をくれたのは。私とガイウス陛下を仲違いさせるためですか?」


「ちょっ……!? 失礼だぞ、リリアーナ!」


 大慌てでたしなめるガイウス陛下を無視して、さらに距離を詰める。精霊は私をじっと見て――そのままずりずりと崩れ落ちた。


 やさぐれたように地面に座り込み、「そうだ」と短く吐き捨てる。


「えええっ!?」


 大絶叫するガイウス陛下をちらりと見て、精霊はフンと鼻を鳴らした。


「境界の箱庭が久方ぶりに開いたと思ったら、君達は人目もはばからずいちゃいちゃいちゃいちゃ……。ハッ、君達は種族が違うくせに。その程度何の障害にもならないと、僕に見せつけているつもりなのか?」


「いえ、別にそんなつもりは……」


 というか、理不尽すぎるでしょう。

 私達はあなたがこっそり覗いているだなんて知らなかったし。


 唇を尖らせかけたもところで、はたと気が付く。

 種族の違いって、もしかして……?


 ためらいつつ精霊の側に屈み込むが、彼は頑なに私と目を合わせようとしない。そっとその腕を揺さぶって、囁き声で問い掛けた。


「あの、初代のランダールの王様って……」


「彼女は美しく気高い女王だ。己の持てる全てを尽くし、生涯国民にその身を捧げた。――強さと優しさを兼ね備えた、僕の唯一にして絶対。賢明なる慈愛の女王」


 途端に熱を孕んだ口調でまくし立てる。

 その言葉に驚きながらも、やっとストンと腑に落ちた。


(初代の王様は、女王陛下だったのね……)


 こうして『はじまりの精霊』と対面するまでは、初代陛下は雄々しい(たてがみ)を持つ男の獅子王だと思い込んでいた。先入観とは危険なものだ。


(でも……)


 ガイウス陛下のご先祖様なんだもの、さぞかし格好良い女王陛下だったに違いない。


 凛々しい立ち姿をうっとりと空想していると、精霊も黙りこくって虚空を見上げていた。彼も黒の丸ガラスを通して、在りし日の彼女の姿を思い出しているのだろう。


(そっか……。きっと彼と、初代の女王様は……)


 切ない気持ちがこみ上げてきて、きつく唇を噛む。

 泣き出しそうになりながら、彼の骨ばった手の甲に掌を重ねた。


「女王陛下は種族の違いから、あなたとの恋を諦めざるを得なかったのね……?」


 涙声で語りかけると、なぜか彼はぽかんと口を開けた。ややあって、ふるふると首を横に振る。


「いや。他に好きな(ひと)がいるからゴメンネって振られた」


 ……はい?


 ちょっと待ちなさいよ、とみるみる目が吊り上がる。考える間もなく手が出て精霊の胸ぐらを掴み上げた。


「じゃあ、さっきの種族が違う云々は一体なんだったの? もしかしなくても単なる八つ当たり!?」


 がっくんがっくん揺さぶられながらも、精霊は器用に首を傾げる。私を小馬鹿にしたように唇をひん曲げた。


「他に何がある? それに、恋愛には適度に障害がある方が盛り上がるだろう。愛する彼女の子孫の愛する異国の姫君への、僕からの心ばかりの嫌がら……贈り物だ」


「今思いっきり本音が漏れてたわよ!?」


「リリアーナ、リリアーナ。もうその辺で」


 心優しい婚約者からおろおろと止められて、仕方なく精霊から手を離す。……本当はまだ言い足りないんだけどね?


 ため息をついて、今度こそ立ち上がった。「それじゃあ、今日はありがとうございました」と投げやりに挨拶して彼に背を向ける。


 ガイウス陛下と並んで緑の草を踏み、桜並木から遠ざかる。ひらひら舞い落ちる花びらが、少しずつ間遠になっていく。


「…………」


「リリアーナ?」


 突然ぴたりと足を止めた私を、ガイウス陛下が怪訝そうに覗き込んだ。ぎこちなく彼に笑いかけ、深呼吸して振り返る。


 はじまりの精霊は、呆けたように地べたに座り込んでいた。艶のないぱさついた彼の髪に、桜の花びらがしんしんと降り積もっていく。


(……ああ、もうっ!)


 心の中で舌打ちして、花びらを蹴散らしながら彼に歩み寄る。無言で私を見上げる彼を、腕組みして睨みつけた。


「初代さん。……私、この春のお茶会を、毎年の恒例行事にすることにします。来年も再来年も、ずっとずうっと。また招待状を送るから、ぜひ参加していただけますか?」


「…………」


 返事をしない初代さんに、「それから」と一方的に続ける。


「今年の秋の収穫祭も、りんご飴を楽しみにしていますね? 今度は絶対に追いついてみせるんだから! ねぇ、ガイウス陛下?」


 そっと隣に寄り添ってくれたガイウス陛下が、黄金色の瞳をしばたたかせた。おひげをそよがせて私と初代さんを見比べると、穏やかに頷く。


 初代さんに向かってゆっくりと跪いた。


「わたし……俺も、リリアーナのためにりんご飴を手に入れたいのです。――だから今年こそ、自分の手であなたを捕まえてみせる」


 勝負ですね、と笑う陛下に、初代さんはやはり何も答えない。


 深く俯く彼に別れを告げて、踵を返そうとした刹那。彼の口から小さな呟きが聞こえた気がして、二人同時に足を止めた。


「初代さん?」


「……君達の、精霊は。君達の、あの仔うさぎは……」


 呻くように言って、ようやく顔を上げる。


「――まるで、雑草のように図太く強い根性の持ち主だ。しつこくねちっこく、妄執と言い換えても構わない思いに囚われた……憐れな精霊」


 ……はあ?


「ちょっと、そんな言い方っ。コハクはただ、ガイウス陛下が大好きなだけで!」


 声を荒げる私からぷいと顔を背け、はじまりの精霊はガイウス陛下だけをまっすぐに見上げた。ビクリと肩を揺らす彼に鋭い眼差しを投げる。


「そう。君が大好きというだけで、あの仔うさぎは死して精霊となった。……君の与えた青々しい実など、単なるきっかけに過ぎなかったのさ」


「きっかけ……」


 茫然と繰り返すガイウス陛下に、精霊は小さく頷く。振り切るように立ち上がると、立ち尽くす私達に向かってうそぶいた。


「あのうさぎは僕に似ているな。思いの強さ、そして己の存在を変容させるほどの強い愛。……惜しいことだ。あれがもしも、黄金色に熟した果実であったなら。あるいは、あのうさぎも――……」


「…………っ!」


 息を呑むガイウス陛下ににやりと笑いかけ、精霊は唐突にひょろ長い腕を天に突き上げる。

 パチンと指を鳴らした瞬間、辺りの景色が崩れ出した。美しい桜並木も舞い踊る花びらも、みるみるうちに透明に薄れていく。


「初代さん!?」


「――君達の選択、楽しみにしているよ」


 ゴッ、と一陣の強い風が吹き、ガイウス陛下が私をきつく抱き締めた。


 風が止み、恐る恐る目を開く。

 目前に広がるのは、緑の木々と春の草花。


 ――気まぐれな精霊の姿は、もうどこにも見えなかった。

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