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第74話 気まぐれな精霊。

 諦めかけた後の突然の邂逅に、頭の中はもうしっちゃかめっちゃかだ。

 今日の目的ははっきりしているのに、何と切り出せばいいのかわからない。下手なことを言って、気まぐれだという彼にへそを曲げられたらどうすればいい?


(ガイウス陛下……!)


 途方に暮れて背後を振り返る。

 もうそろそろ到着したっていい頃合いなのに、どれほど目を凝らしても彼の姿は見えなかった。


「――君の婚約者ならば、ここには来ないよ」


 はじまりの精霊は桜の木から花弁を摘み取ると、花びらを唇に当ててうっそりと微笑んだ。


「もうこの場を閉じてしまったから。一時的に作った境界は、要は箱庭とおんなじだ。僕の許可した者しか入れない」


「そんな……!」


 声を荒げる私を眺め、トン、と爪先で地面を叩く。途端にビクつく私に、彼は急激に興味を失ったようだった。


 肩をすくめてあっさりと踵を返してしまう。慌てて彼の背中に追いすがった。


「待って!!」


「待たない。楽しい茶会を覗けた礼をと思ったけれど、もう充分だろう。二度と会うことは無いだろうが、君の彼とお幸せに」


 投げやりな口調で言うなり、精霊は黒い帽子の頭越しに枯れ枝のような腕を伸ばす。振り返らないまま、ひらひらと手を振った。


 その瞬間、体に電流が走る。


(……これ……!?)


 全く同じ仕草を、以前に見たことがある気がした。

 そう、これは昨年の――……!


 そのまま薄れていく彼の輪郭に向かって手を伸ばし、すうっと大きく息を吸う。ほとばしるような大声が喉からすべり出た。


「お願い、どうか行かないで!――りんご飴屋さんっ!!」


 ぴたり、と揺れていた腕の動きが止まる。

 消えかけていた後ろ姿が、みるみる実体を取り戻していく。息を弾ませる私を、精霊は唇を歪めて振り返った。


「ほう。覚えていたか」


 おかしそうに呟くと、腕組みして桜の木に寄りかかる。その唇はまだ皮肉げな笑みをたたえたままだが、どうやら足止めに成功したようだ。


 必死で呼吸を整えて、ぎこちなく彼に笑いかける。


「収穫祭の時はりんご飴をありがとう。夜中に食べたのだけど、とっても甘くって美味しくって……一息で食べてしまったわ。ひとつじゃとても足りないぐらい」


 言葉を尽くして褒めそやすと、彼は得意気に胸を膨らませた。ツンと大きく顎を反らす。


「ふん、当然だ。あれは単なるりんごに過ぎないが、この僕が直々に加護を込めたのだから。滋養強壮の万能薬と言い換えても差し支えない」


「まあ。道理で……」


 あの日の私は確か、高熱を発して寝込んでいたはずだ。

 けれどりんご飴を食べた途端に体調が回復したのだったっけ。


 りんご飴の甘い味が口中に蘇り、思わず笑みがこぼれた。ふんわりスカートをつまんでお辞儀する。


「とても貴重なものを分けてくださったのね。本当にありがとうございました。……それで、そのう」


 実は、精霊の実を追加でもうひとつ欲しいのですけれど。


(……なんて、どう考えてもずうずうしすぎるわよね!?)


 実際に口に出すとなると、なかなか躊躇するお願い事だ。どう伝えれば角が立たないものかと頭を抱えてしまう。


 じいっとこちらを観察する彼に気が付き、大慌てで顔を上げた。半笑いを浮かべて視線を泳がせる。


「あの、その……。私、実は甘い物が大好きで……そう、果物にも目がないんです。えっとそれから、金色って一番素敵な色だなぁと、常々考えておりまして――」


『…………!』


 しどろもどろにしゃべり出したところで、遠くから微かな叫びが聞こえた気がした。


「……え?」


 なに?


「ふぅん。来たか」


 つまらなさそうに呟くと、精霊が緩慢に歩き出す。つられて私もそちらを見れば、突如ぐにゃりと木々が歪んだ。


「ええっ!?」


「――リリアーナッ!!」


 悲痛な叫びと共に、疾風のように巨大な影が飛び込んでくる。


 そのまま一気に視界が塞がれて、やわらかくて温かな腕に包み込まれた。

 状況が掴めずに目をしばたたきながらも、自然と体は動く。気付けば私も必死で彼にしがみついていた。


「ガイウス陛下……っ」


「ああ、リリアーナ。君が消えてしまったかと思った……!」


 泣き出しそうなくぐもった声に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ふかふかな胸に頬を擦り寄せ、懸命に彼の背中を撫でた。


「心配かけてごめんなさい。でもね――……」

「そこの二人。僕の領域でいちゃつくのはやめてもらおうか」


 げっ!?


 感情の欠片も見えない平坦な声音に、慌てて私達は体を離す。再び大木に背中を預けた精霊が、さも不快そうに唇をひん曲げて私達を見ていた。


 ガイウス陛下は私の肩を抱くと、威嚇の唸り声を低く発する。


「何者かは知らないが。俺の大事な婚約者に一体何を――……」


「ガイウス陛下っ、ガイウス陛下っ」


 背伸びして彼を揺さぶった。

 怪訝そうに屈む彼に、声をひそめて囁きかける。


「あのひとが初代の精霊さんなんですっ。礼儀正しくお願いしますっ」


「…………へ」


 ガイウス陛下が牙を剥き出しに、ぽかんと口を開いた。

 呆けたように固まってしまった彼の背中をひと撫でして、作り笑いを精霊に向ける。


「ごめんなさい。ところで、ガイウス陛下はここに入れないんじゃなかったんですか?」


「そのはずだったが。……僕はどうしても、彼女の血縁に甘いらしい。彼が無理やり押し入ってきたものだから、無意識に障壁を緩めてしまったのだろう」


 小さく舌打ちするなり、精霊はフンとそっぽを向いてしまった。あああ、なんだかすっごく怒っているわ……!


(もしかしなくても、私達が目の前で抱き合ったせい……!?)


 振られた相手の子孫が、自分の招待した場で自分を無視していちゃいちゃ。……うん、そりゃあ怒られても仕方ないわね。


 脱力していると、ガイウス陛下がぶるりと鬣を震わせた。

 戸惑ったように瞳を揺らして、私と精霊とを見比べる。


「その、リリアーナ……? 本当に彼が、はじまりの精霊なのか……?」


 心細そうに問い掛ける彼に、きっぱりと頷いてみせた。


「ええ。間違いなく」


 それでもなぜか、ガイウス陛下は不審そうな様子を崩さない。はじまりの精霊に会うことが今日の目的だったはずなのに、喜ぶでもなく精霊をじっと見つめる。


「いや、だが……」


 ぎくしゃくと首を振り、ためらいがちに一歩を踏み出した。

 頼りない足取りで近付くと、毛むくじゃらの腕を彼にかざしてみせる。ごくりと喉仏を上下させた。


「ならば、一体どうして――……俺に、彼の姿が見えるんだ……?」

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