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第73話 辿り着く場所。

 少しずつ日が陰り出し、気付けば空はすっかり茜色に染まっていた。


 オレンジ色に輝く雲を見上げ、泣き出しそうになる私にガイウス陛下が優しく寄り添う。私の肩を抱いてふかふかな胸元に引き寄せた。


「泣かなくていい、リリアーナ。俺は一度で諦めるつもりはないし、何より今日の茶会は有意義だったろう? 皆で同じ時間を共有して、腹の底から笑い合って。――まるで、宝物のような一時だった」


「ガイウス陛下……」


 しゅんと鼻をすすり、大急ぎで涙を払う。

 笑顔で皆を見渡した。


「皆さん、今日は来てくださって本当にありがとう! 私も陛下と一緒よ。今日はとっても、とっても楽しかったわ……!」


 わああ、と皆が拍手してくれる。


 胸がいっぱいになって、さっきとは違う温かな涙が込み上げてきた。しゃくりあげる私をゆっくりと撫でて、ガイウス陛下が皆に向き直る。


 朗々と響く声で、お茶会の終了を宣言した。




***



「本当によろしいのですか? リリアーナ殿下」


「ええ、もちろん! 今日の主催者は私とガイウス陛下だもの。準備は手伝ってもらっちゃったけど、せめて片付けぐらいは私達でしないとね。大丈夫だから先に戻ってて?」


 それでも気にするメイベルの背中を押して、無理やり王城の方向へと送り出した。

 他の皆もちらちらとこちらを振り返るけれど、その度に大きく手を振れば、やっと納得したように去っていった。ほっとしてガイウス陛下と顔を見合わせる。


「さ、まずはお皿を片付けないと。それからテーブルは」


「俺が抱えて運ぼう。この程度軽いものだ」


 胸を張ってうそぶく彼に、ぷっと噴き出してしまった。さすがにこの長テーブルは一人じゃ無理だと思うわ。


 笑いながらお盆いっぱいに皿を重ね、陛下とおしゃべりしながら中庭と王城を何度も往復もする。二人ならちっとも苦じゃなくて、あっという間にテーブルの上は綺麗に片付いた。


 空っぽになってしまったテーブルはなんだか物寂しくて、またも涙がこぼれそうになってくる。


「……コハク、きっとがっかりするわ。でも、伝えないわけにはいかないものね」


 精霊廟でたった一人、今か今かと報告を待ちわびているに違いない。


 しんみりと呟くと、陛下がぽんと私の肩に手を置いた。


「きっとコハクはわかってくれるさ。……ん?」


 突然言葉を止めて、怪訝そうに私の肩を覗き込む。慎重な手付きで何かをつまみ上げた。


「これは、桜……?」


 ぷにぷにの肉球の上にあるのは、薄紅色の花びらだった。可愛らしいそれに、思わず笑みがこぼれる。


「ふふ、そういえばお茶会の最中も私の肩に飛んできたのよ? 私ったらお花に好かれているのかしら」


「いや……、おかしい」


 ガイウス陛下は黒ぐろしたお鼻に皺を寄せて、厳しい眼差しを周囲に投げる。唸り声すら上げかねないその表情に、ぽかんとして彼を見上げた。


「ガイウス陛下?」


「リリアーナ。桜はもう散っているんだ。見てくれ、すっかり葉桜になっているだろう?」


 指し示されるままに視線を転じると、確かに木々は緑に覆い尽くされていた。数日前までは、薄紅色の花が満開だったのに。


「なのに、この花びらは……。なめらかで、今散ったばかりに見える。一体どこから……?」


 二人で曖昧な顔を見合わせ、当て所なく中庭を歩き出す。きょろきょろと辺りを見回すけれど、やはり花の咲いている木など一本も無い。


 そうこうしているうちにも、どんどん日が傾いてくる。


「手分けしましょう、ガイウス陛下。私はあちらを探してみるわ」


 きっぱり告げて走り出した。

 中庭を駆け抜けて、薄紅色の花を探す。緑の草を跳ね上げて、奥へ、奥へ――……


「…………っ」


 ふわり、と花びらが虚空を踊った。一枚、二枚。ひらひら舞って、咄嗟に伸ばした私の手の上に落ちる。


「――ガイウス陛下! こっち、こっちよ!」


 背後に向かって叫んで、夢中になって足を動かした。

 誘うように花びらが増えていく。ひらひら、ひらひら。


 はっはっ、という私の浅い呼吸音が響き渡る。

 心臓がうるさいぐらいに高鳴っているのは、全速力で走っているせいなのか。それとも――……


「あっ……!?」


 身長ほどある高い草をかき分けた先。

 ぱっと視界が開けて、眩しい夕陽が私の目を射った。荒っぽくこすって瞳を凝らす。


 オレンジ色の光を弾くのは、満開に咲き誇る桜の花弁。

 幾本も幾本も連なって、まるで雪のように花びらが舞い踊っていた。


「き、れい……」


 懸命に呼吸を整えながら、恐る恐る桜の木に向かって歩を進める。

 見上げた木々はこの上なく美しいのに、美しすぎるせいでなんだか怖い。この世のものじゃないみたいで、おどおどと周囲を見回した。


 この感覚には覚えがある。


(そう、まるで……)


 精霊廟の箱庭みたい。


 どこから見ても完璧で、汚れなんか一点もなくて。息苦しくなるほど清涼で、圧倒的な静寂が支配する『場』――


「――その通り」


 低く響く声が沈黙を破る。


 ビクリと肩を揺らして振り返ると、いつの間にか桜の下に長身の男の人が立っていた。


 棒のように細い体に、ひょろ長い手足。

 真っ黒な帽子を目深に被っていて、その表情は全く窺えない。帽子のせいだけではなくて、両目とも黒い丸ガラスで覆われているのだ。


 しかし彼にはちゃんと見えているらしく、迷いのない足取りで私に近付いてくる。


「えっ……? あ、の。あなた、は……?」


 じりじりと後退する私に、彼は形の整った眉を上げた。鼻を鳴らして深々とため息をつく。


「招待した相手に対し、なんたる非礼な。僕を呼んだのは君だろう? 異国の姫君よ」


 飄々とした声音で告げて、細長い腕を伸ばしてひょいと帽子を取る。優雅な仕草で頭を下げた。


「少しばかり遅刻したが、まあ一応招待の礼だけは述べておこうか。ちなみに名は教えてやれないよ。僕の名を呼んでいいのは、今も昔も彼女たった一人だけ」


 にっと口の端を上げて微笑む彼に、私は返す言葉が見つからない。カタカタと足が震え出す。


(彼、女……?)


 考えをまとめる間すらなく、からからに渇いた喉から勝手に掠れ声がこぼれ落ちた。


「それ、じゃあ……。あなた、が……?」


 ランダールの王と最初に契約した、この国に豊穣と加護をもたらす信仰の対象。

 大樹に精霊の実を生みだすことのできる、唯一の存在。


 ごくりと唾を飲み込んで、ガラス玉の向こうにあるであろう彼の瞳を覗き込む。一歩、大きく踏み出した。


「……はじまりの、精霊……!」

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