第7話 真実とは、時に残酷であったりなかったり。
翌日。
私達は一路、首都ドラムに向けて出発した。
ディアドラが王城勤めの医師というのは本当だったらしく、メイベルもしぶしぶながら納得してくれたのだ。
こまめな休息を挟みながらの旅だったものの、案の定今度は馬車酔いで散々な目に合ってしまった。せっかく初めての外国だというのに、景色を楽しむ余裕すらない。
それでも十日ほどでやっとドラムに到着し、メイベルの手を借りてよろよろと馬車から降りた。ハンカチで口元を押さえながら顔を上げた途端、目の前に建つ巨大な城に目を奪われた。
どっしりとした煉瓦造りの城は古ぼけた赤茶色で、故国の真っ白な城とは全然違う。
城の赤色と抜けるほど青い空、そして木々の緑が鮮やかに対比していて、まるで一幅の絵画を見ているみたいだ。
言葉を失って見惚れる私とメイベルを、万能医者(願望)のディアドラが促した。
「無骨で驚いたろう。獣人は華美を好まないのだ。そう、機能性こそ至上。……付いてきなさい」
さっさと前に立って歩き出す。
旅の間護衛してくれた騎士さん達と共に、私達は王城へと足を踏み入れた。
「――よう。長旅ご苦労だったな、姫さん」
薄暗い廊下を抜けた瞬間、だらしなく壁にもたれていた人影が身を起こす。
私を認めてにやりと笑ったのは、燃えるような赤髪の、熊と見紛うほどの巨体の男だった。粗野な口調とは裏腹に、男の顔ははっとするほど整っていた。ディアドラといい、どうやら獣人には美形が多いらしい。
またもうっかり見惚れていると、メイベルがきゅっと眉を吊り上げた。口を開きかけた彼女を慌てて制して、男の前に出て礼を取る。
「はじめまして。リリアーナ・イスレアと申します」
「セシルの妹だろ? あいつから話は聞いてるよ。オレはイアン・クレイグ、城内警備の責任者を任されてる。……お前達もお疲れさん。あとはオレが引き継ぐから、もう帰って構わねぇぞ」
私を囲む護衛の騎士さん達にへろりと手を振ると、彼らは嬉しそうに私に別れを告げ、三々五々散っていった。私とメイベルを除き、唯一この場に残ったディアドラが無表情に小首を傾げる。
「ガイウスは?」
「あの仕事中毒が来るわけねぇだろ。姫さんも疲れてるだろうし、顔合わせは明日以降に持ち越しな」
構わねぇか?
軽い調子で尋ねる男に、飛びつくように同意した。正直もうクタクタなので、ゆっくりできるならありがたい。というか早く眠りたい。
イアンも満足そうに頷いて、未だ自分を睨んでいるメイベルへと視線を移した。
「んで? そっちの美人さんは……」
不快そうに顔をしかめたメイベルが答えるより早く、ディアドラが颯爽と進み出る。ぽんとメイベルの肩に手を置き、自信たっぷりに口を開いた。
「彼女はメイベル・コレット。リリアーナの侍女で、ゴリラの獣人だ」
「そか。よろしくな、ゴリベル」
ドゴッ。
廊下に鈍い音が響き渡る。
斜めに傾いだメイベルが、壁に頭を打ち付けたのだ。
しかしすぐさま体勢を立て直し、グッと深く腰をひねる。流れるようにイアンの腹部にこぶしを打ち込んだ。
「誰がゴリラの獣人ですってぇっ!? あとメイベルよ、メイベル! アンタわざと間違えたでしょ!?」
「違っ、そうじゃねぇって! 初対面の女を、種族をもじった名で呼んだら皆きゃあきゃあ喜ぶんだよ! イイ女を前にしたときの、オレの鉄板の口説き術っつうか……!」
メイベルの攻撃をいなし、イアンが必死の形相で叫ぶ。
メイベルの馬鹿力を難なく防ぐとは。
さすがは警備責任者、伊達じゃないわね。
感心しつつ、まあまあと二人の間に割って入った。しかつめらしくイアンをたしなめる。
「イアン、うちのメイベルはそんな軽い女じゃないのよ。見くびらないでちょうだい」
「いやそうじゃないでしょーがっ!? 大前提が間違ってるのよっ。まずはゴリラの獣人ってとこを否定しなさいよ!?」
はっ、そうでした。
あまりに違和感がなかったものだから、つい。
空咳ひとつで誤魔化して、「私もメイベルも人族なのよ」と取り澄まして告げた。イアンと、そしてなぜかディアドラまでもが愕然として口をぱっかり開く。えっ? 何、その「衝撃の事実!」みたいな反応……。
こちらの方がぽかんとしていると、ディアドラが憤然として私に詰め寄った。
「嘘を吐くなリリアーナ! これほどの破壊力、人族の娘にはありえないはずだっ」
「そうだぞ。攻撃を受けたオレだからこそわかる。――そう。ゴリベルは紛れもなく、ゴリラの獣じぐほおぉっ!?」
今度は的のド真ん中に決まった。
メイベルは床にうずくまって悶絶する大男の頭頂部すれすれに、カツン! と高い音を立ててヒールを叩きつける。つややかな巻き毛をかき上げて、ツンと顎を上げた。
「お言葉ですけど! あたしが人よりちょっぴり力が強いことは認めるわ。でもね」
ちょっぴり?
どっさりじゃなくて?
「でも、あたしは紛れもなくか弱い人族なのよ! 次にゴリなんちゃらと呼ぼうものなら、脳天かち割……りはしないけどだってか弱いからねあたしは! えぇと、そう。その赤毛を根元からつるっつるに刈り上げてくれるわ!」
「はッ、了解です申し訳ねぇ!」
イアンが這いつくばって床に頭をこすりつけた。
頬を上気させたメイベルは、まだ怒り冷めやらぬ様子で言い募る。
「それからねっ。あだ名で呼んできゃあきゃあ騒ぐ女共は、単に喜ぶ振りをしてるだけよ! くっだらねーと心の中で嘲笑いつつ、表面上は空気を読んでアンタを立ててるだけ!」
「でえぇっ!?」
「もしくは下心があるかよね。アンタ、それなりに偉いんでしょ? おだてておいて損はないもの」
「そっ……そんな……」
頭を抱えて苦悩するイアンを、メイベルは腕組みして見下ろした。
打ちひしがれる彼をさすがに可哀想に思ったのか、しゃがみ込んで目線を合わせる。肩に優しく手を置いた。
「ま、人間誰しも間違いはあるものよ。間違えたのなら正せばいいの。せいぜい精進することね」
「姐さん……! オレ、一生あんたに付いてくぜ!」
「全く……。ゴリなんちゃらの次は姐さんだなんて。困った男ね」
はあっと嘆息しつつ、その表情は満更でもない。気取ったようにポーズを決める。……えぇっと。
「……ねぇ、ディアドラ。私、早く休みたいのだけど」
こっそりディアドラの袖を引くと、彼女は無表情に頷いた。私の腕を取り、さっさと歩き出す。
「うむ、麗しい師弟愛が誕生する瞬間に立ち会えて光栄だったな。――だがしかし、欠片も興味がない」
うん。
右に同じ、全面同意ー。
未だ盛り上がる師弟コンビを残し、私とディアドラはとっととこの場を後にした。