第65話 契約の意味。
精霊廟の大樹に実る『精霊の実』。
それを食べれば、初代の精霊が実に込めた加護を得ることができる。そして、精霊との間に絆が生まれる。
花畑の中を無意味に歩き回りながら、眉間に皺を寄せて考え込む。コツコツと額を叩いた。
「……確かガイウス陛下は、『強くなれる』って表現していたわ」
花畑に寝転んでいたコハクが、独り言を呟く私を見てのっそりと起き上がった。
「先代王が、小さなガイウスにも理解できるようにそう言ったんだと思う。……別に力が強くなるわけじゃないんだけどね」
長いこと泣いたコハクは目を真っ赤に腫らしているものの、今は晴れやかに微笑んでいた。溜め込んでいた罪悪感や後悔が、涙と一緒に流れてくれたのかもしれない。
ほっとしてコハクに手を差し伸べる。
「要は健康になれるってことね?」
「そうだね。頑健な体と長寿……なんだけど。振られた相手の子孫に、延々とそれを贈り続ける初代ってさあ……。何て言うか、こう」
言葉を止めてちんくしゃな顔になるコハクに、私も大きく頷いた。二人同時に口を開く。
「一途よねっ」
「重すぎるよねぇ」
ええっ?
とってもロマンチックだと思うのにっ?
唇を尖らせると、「ま、見解の相違っていうことで」とコハクが苦笑した。達観した表情を浮かべる彼を見て、そういえば、と私は瞬きする。
「コハクって精霊になってどれぐらい経つの? 随分と大人びているし、難しい言葉もたくさん知っているわよね」
「こっちの時間で言うと十三、四年ぐらいかな。……でも、年数を数えるのは無意味だよ」
やっと私の手を取って、コハクはゆっくりと腰を上げた。そのまま離さず手を繋いだまま、ぶらぶらと最奥の扉に向かって歩き出す。
「あの箱庭は、こちらの世界と精霊の世界を隔てる境界なんだ。箱庭の噴水を超えた先――僕達精霊の世界は、こちらよりずっと時の流れがゆっくりしている。……だから」
きちんと数えてはいないけど、僕は君よりずっとずっと年上です。
えへんと偉そうに胸を張るコハクに、しばし茫然としてから噴き出した。腰を折って笑い転げる。
「たいへん。子どもだと思ってたから抱き締めたりしちゃったわ。浮気になってしまわないかしら?」
「大丈夫、僕は初代とは違うから。何が起ころうと君に惚れることだけはあり得ません」
やけに自信たっぷりに断言されてしまった。
ちょっとその言い方はどうなのそれ。
恨みがましく睨めつけると、コハクはおかしそうに舌を出した。
「ごめんごめん。でもさ、君はガイウスの婚約者なんだから。恩人の大事な人を好きになっちゃ駄目でしょう」
「まあ……それは」
そうかもしれないけれど。
まだぶすくれている私に、コハクは困ったように眉を下げる。私の頭を優しく撫でて、長いうさぎ耳をしょんぼりと垂らした。
「というか、君こそ。僕に愛想をつかせたりしないの? 僕は、君を利用したんだよ?」
「……利用?」
ぽかんとして立ち尽くす私に、コハクはますます申し訳なさそうに縮こまる。上目遣いで私を見上げた。
「やっぱりわかってなかったか。……僕らが最初に出会った時、お互い名を呼び合って手を繋いだでしょう? あれで、僕と君の――精霊と人間の契約が成立したんだよ」
「えええっ?」
私の大絶叫に覆いかぶせるように、「ごめん!」とコハクが大急ぎで頭を下げる。
「君がガイウスの婚約者だったから! ガイウスには僕の姿が見えないし、言葉を交わすこともできないけど……。君と契約したら、君を通してガイウスと繋がれる、ような気がして……」
本当にごめん、ともごもご言葉を濁した。
反省しきりのコハクに、何と声を掛けるべきか迷ってしまう。そっと彼の手を取り、俯いた顔を覗き込む。
「謝らなくていいから、教えてくれる? 契約って一体どういうものなの」
「簡単に言えば、僕と君の魂が結びついたっていうこと。精霊と契約した人間は、相手精霊からの加護を得られる……。要は、精霊の実の効果と似たようなものだね」
と、いうことは。
コハクの手を離し、ぽんと手を打った。
「コハクは私に、頑強な体と長寿をくれたってこと?」
「一応……そうなん、だけど……」
またもバツが悪そうに視線を泳がせる。
「僕はまだまだひよっこで、そして君は体が弱すぎるから。契約の意味ほとんど無いっていうか、契約してやっと君が人並みに近付けただけっていうか……」
「ああ~……。なるほどね」
なんとも言いにくそうな彼の様子に苦笑してしまう。
そういえば、コハクと出会ってから体調を崩す頻度がぐんと減った。
寝込むことこそあるものの、故国にいたときより遥かに丈夫になれた気がする。これでやっと人並み寄りということか。
くすくす笑ってスカートを摘み、ふんわりお辞儀する。
「ありがとう。以前の私に比べたらずうっと元気になれたんだもの。全部コハクのお陰ね?」
にっこり微笑みかけたのに、なぜだかコハクはまたも泣き出しそうに顔を歪めてしまった。ぶんぶんと激しくかぶりを振る。
「違う……! 君は本当は、僕なんかじゃなくて他の精霊と契約すべきだったんだっ。そうすれば、君は二度と病気に苦しむことはなかったし、ガイウスだって」
「それこそ間違っているわ、コハク」
華奢な彼の体を引き寄せて、ぽんぽんと背中を叩く。しおれかけたうさぎ耳を指で支えながら、しかつめらしく彼の顔を覗き込んだ。
「私の病弱っぷりを甘く見えないでちょうだい。他の精霊と契約したところで、きっと人並み止まりだったに違いないもの。……でもね、それで構わないの」
にやりと笑って声を落とす。
「あまりに元気になりすぎたら、それはそれで困りものでしょう。寝てばかりもいられなくなっちゃうじゃない?」
だから、今ぐらいが私にちょうどいいの。
秘密めかして囁きかけると、コハクは美しい琥珀色の瞳をまんまるに見開いた。しばし精霊廟に沈黙が満ちた後――ぶはっと勢いよく噴き出す。
「さすが、天下のぐうたら姫だね……っ」
ひいひい苦しそうにお腹を押さえる彼に、私も声を合わせて笑い出した。
私達の賑やかな声が、春の精霊廟いっぱいに響き渡る。ステンドグラスの光も、嬉しげにきらきらと舞い踊った。




