第60話 気の向くままに漂います。
迷いが吹っ切れたお陰か、それからの私はめきめきと回復していった。長いこと寝込んでいたのが嘘みたいに、素敵お昼寝スポットを巡る充実した日々を過ごしている。
今日も今日とて、健やかに執務室でのお昼寝を満喫中だ。
窓から差し込んでくる、うららかな春の陽射しがなんとも心地よい。うっとりして膝掛けを抱き締めた。
「ああ、しあわせ~。メイベルがくれた枕も寝心地最高ね~」
ソファに寝っ転がってふにゃふにゃ笑うと、仕事中のメイベルも嬉しそうに顔をほころばせた。机の向かいに座るエリオットに、声をひそめて囁きかける。
「ふふっ。以前は粗大ゴミみたいで邪魔だなと思ってたけど、いなければいないで寂しかったわよね?」
「そうですね。でもいればいたで邪魔なんですけどね」
聞こえてるわよそこ。
(……でも、怒ったりなんかしないわ)
そう、心が満たされた今の私は無敵なのだ。
失礼な全人類にだって優しくできる。
おっとりと微笑んだところで、扉を豪快に開けてイアンが入ってきた。私を見てぎょっとしたように立ち尽くす。
「うお、怖ぇっ。姫さんのくせに昼寝もしねぇで、悟りきった笑みを浮かべてやがるぜ」
もう、イアンったら。
藪から棒に人を貶すだなんて、困ったひとね。
慈愛の笑みを向けてあげると、今度は宰相補佐のハロルドが真っ青になって椅子を蹴倒した。
「まだ笑っている、だと……!? おかしい、変ですぞっ。きっと邪悪な企みを胸に秘めているに違いありませんっ」
「…………」
にこやかな笑顔を保ったまま、私はゆっくりと立ち上がった。すすすすす、と床を滑るようにしてハロルドの背後に立つ。
「ヒィッ!?」
「うふふ。つーかーまーえーたー」
両手で彼の細い腕を掴み、背伸びして耳元に囁きかける。ぐうたらだらだら~おさぼりおさぼり~、ほーほほほ――……
「ギャーーーーッ、邪精霊の誘惑がああああッ!!」
「助かりたくば供物を捧げよ~」
邪精霊になりきって前後左右に揺れていると、突然背後から肩を掴まれた。そのままベリリとハロルドから引き剥がされる。
きょとんとして振り向いた先には、恐ろしいお顔をしたガイウス陛下が立っていた。
「リリアーナ~……」
「まあ、ガイウス陛下。どうされました?」
鋭い牙を剥き出しに唸り声を上げる彼に、のんきな声で問い掛ける。陛下は苦しげに鬣を振り回した。
「どうして……どうしてハロルドにくっつくんだっ」
「え」
どうして、と聞かれましても。
「……布教活動?」
「ならば俺にも布教してくれっ」
自ら信徒に名乗り出てくれた彼に嬉しくなる。お望み通り、毛むくじゃらの腕にぎゅっと抱き着いた。
「えへへっ、一緒にお昼寝しませんかっ」
「そうだな、今すぐ精霊廟に行こうっ」
勢い込んで私の背中を押す彼と共に、執務室を出ようとし――……
「ガイウス陛下っ! 堕落の道に足を踏み入れるとは何事ですかあぁっ!?」
「ハロルドの寝言はともかくとして、駄目ですよガイウス陛下。今から城下町の視察に行く予定なんですから」
宰相と宰相補佐双方からたしなめられ、ガイウス陛下はぺしゃりとお耳を垂らした。猫背になって私の顔を窺う彼に苦笑してしまう。
「そういうことなら仕方ないですね。一緒にお昼寝はまた今度にしましょう?」
「……うん」
悔しげに頷くと、名残惜しそうに私から手を離した。丸まった背中をひと撫でして、メイベルから貰った枕を抱き締める。
「さて、私は精霊廟に移動しようっと」
「ええっ!? 一人では駄目だリリアーナ、また風邪を引いたら大変……!」
泡を食って騒ぎ出す陛下にひらりと手を振って、執務室を後にする。私が寝込んでからこっち、ガイウス陛下は随分と過保護になった気がする。その気持ち自体はとっても嬉しい。
でも……でも、ね。
(ごめんなさい、ガイウス陛下……)
私、一つ所にとどまれない女なのっ!
***
「執務室には執務室の良さがあって、精霊廟には精霊廟の良さがあるわけよ」
「ふぅん」
「ソファの寝心地、お花畑の素晴らしさ。どちらが上かだなんて、私には決めることはできないわ」
「それはそれは。随分と浮気性なお姫様だねぇ」
からかうようにうさぎ耳をそよがせる彼に、ツンと澄まして反っくり返る。
「そうよ。例えるなら私は、花から花へと移動する蝶なのよ」
ああ、とコハクが手を打った。フィオナの花を一輪摘み取り、ふんわり微笑んで私の鼻先に突きつける。
「そして人の生き血をすするんだね?」
「そうそう……って違う! 血じゃなくて蜜っ! 蝶じゃなくて蚊になっちゃうでしょーがっ」
鼻息荒く受け取って、茎をくるりと丸めて指に結びつけた。可愛らしいお花の指輪の完成だ。
コハクの分も作ってあげようと、今度は茎が長めの花を探す。熱心に花畑をあさりながら、何気ないふうを装って「ねぇコハク」と声を掛けた。
「もうそろそろ、ガイウス陛下に話しても構わない? 私が、コハクに――精霊に出会ったってことを」
一本では足りなさそうだから、二本繋げることにしましょう。
手元に目を落としてコハクを見ないまま、明るい声で語りかける。しかし、いつまで待っても返事はこない。
「…………」
「コハク?」
そっと琥珀色の瞳を覗き込むと、ぷいとそっぽを向かれてしまった。まだ駄目だったかと、ため息をついて作業に戻る。
そのまましばしの沈黙が満ちて、やっとコハクが身じろぎした。
「……ごめん、リリアーナ。もう少し……もう少しだけ待ってほしいんだ。まだ、僕にはガイウスに知られる覚悟が……」
「できたっ」
つらそうに絞り出された声をかき消すように、元気いっぱいの声を張り上げる。
ドレスを払って立ち上がり、瞬きするコハクの側に跪いた。真っ白なうさぎ耳に、花で作った輪っかを慎重に結びつける。
「指輪……じゃなく耳輪ね。私にしては珍しく上手にできたわ」
大満足で彼の姿を眺め、仕上げとばかりに花びらの角度を整えた。どさくさ紛れにやわらかな毛をつついたのはご愛嬌だ。
ぽかんとしていたコハクはゆっくりと花の輪に指をすべらせ、くすぐったそうに微笑む。
「もしかしなくても、すっごくよく似合ってる?」
「ええ。すうっごく可愛いわ」
大真面目に太鼓判を押すと、コハクがぷっと噴き出した。私の耳に唇を寄せ、秘めやかに囁きかける。
「お礼にひとつ、教えてあげようか。――ガイウスはね、強い王を目指しているから隠しているんだけどね。本当は、可愛いものが大好きなんだ」
「あら。……やっぱり?」
実は薄々そんな気はしていた。
以前「可愛いは正義」ってぽろりとこぼしていたし、新年の贈り物で貰ったミトンやマフラーもすごく可愛らしい見た目だった。
思い出してほんわか和んでいると、コハクがますます私との距離を詰めてきた。にっと意地悪く口角を上げる。
「僕がまだ、精霊になる前。ただのちっちゃなうさぎだった頃、ガイウスは何度も僕を褒めてくれたんだ」
「えええっ!?」
ガイウス陛下が幼い頃――精霊廟の奥の扉に抱いて入ったというのは、やはりコハクのことだったのか。
それに。
(精霊に……なる前?)
唇を噛んで考え込んでいると、身軽に立ち上がったコハクが「懐かしいなぁ」と歌うように告げた。
「君は可愛い、世界一だって数え切れないぐらい言われたっけ。その真っ白な毛は何よりも美しい、とも」
「…………」
私の髪の毛は榛色ですけども?
「大きくてつぶらな瞳も愛らしいって」
私だって目の大きさには自信がありますけども?
「細い体が頼りないって。ぼくが一生君を守ってあげるからねって」
私だって儚げな見た目ですけども!?
っていうかガイウス陛下、子どもの頃は「ぼく」って言っていたのね!?
悔しい!
私だって子どものガイウス陛下に会いたかった!!
地団駄を踏む私をおかしそうに眺め、コハクは「じゃあ今日はこれでっ」とそそくさと踵を返した。そのまま精霊廟最奥の扉に、溶けるようにして消えてゆく。
「――ちょっ、コハク!?」
待って、謎と自慢話だけ残して行かないで!?
お読みいただきありがとうございました!
2021年の更新はこれで最後。
どうぞ良いお年をお迎えください。




