第59話 はじまりの精霊。
「そもそもの始まりはね、めちゃくちゃありがちな事なんだ」
「……ありがち?」
ガイウス陛下との定位置である階段に、今日はコハクと並んで腰かけて。
到着した時には氷室のように冷えきっていた精霊廟は、今はほんわか温もっている。小首を傾げ、コハクに話の続きを促した。
「まあ、一言でいうと。……惚れちゃったんだよ」
「――まあ! 恋なのね!?」
目を輝かせる私とは対照的に、コハクにはさほど興味はなさそうだ。ため息交じりに頷く。
「片思いだけどね。……ところで、リリアーナ。誰が誰に恋した話なのか、ちゃんとわかって聞いてるの?」
「いいえ、全く! だけど恋の話は大好きよ! 恋物語ならたくさん読んだものっ」
朗らかに答えると、コハクがこれみよがしにずっこけた。あきれ返った視線を私に向ける。
「お年頃だねぇ……。全く、もう。ランダールの精霊について知りたいって言ったのは君でしょう。――これは、ランダールの王と最初に契約した精霊の話だよ」
最初の……精霊?
勢い込んで身を乗り出した。
「王様が、精霊に恋したの? それとも」
「初代の精霊が、ランダールの王に恋したんだよ」
前に出過ぎた私の頭を指で押さえ、コハクが淡々と答える。精霊と……獣人の恋。
素敵、とうっとり吐息をついた。
「種族を超えた愛なのね……」
「片思いだけどね、何度も言うけど」
つれなく答え、コハクはだらしなく寝そべるように階段に伸びる。じっと宙を睨みつけた。
「……初代は、王に約束したんだ。たとえこの思いが実らずとも、二人の絆を永遠にしたいって。子々孫々に至るまで精霊との縁を繋ぎ、ランダールという国に豊穣を与えることによって、ね」
「縁を……繋ぐ?」
そういえば、ディアドラが言っていた。王族には代々精霊が見える者が多いのだ、と。
だけど、と私は視線を落とす。
「ガイウス陛下は……」
「そうだね。ガイウスには精霊が見えない、そして声すらも聞こえない。……全部、僕のせいでね」
呟くように付け足された一言に、はっと顔を上げた。青ざめた顔をしたコハクは、頑なに私を見ようとはせず、一心に前だけを見つめている。
暖まっていたはずの精霊廟が、再びしんしんと冷えてきた。ガチガチ鳴る歯を食いしばり、必死で声を張り上げる。
「ココココハクッ! 寒いんですけど!?」
「……っ。ああ、ごめん!」
僕ってば、まだまだ未熟者だからさ。
痛そうに顔をしかめ、コハクはぱっぱと空中に向けて手を振った。途端に寒気が去ってゆく。
ほっとして息を吐き、きつく巻いていたマフラーを少しだけ緩めた。落ち込んだように視線を下げるコハクにそっと寄り添う。
コハクがくすぐったそうに笑うと、また少し精霊廟が暖かくなった。きょとんとして周囲を見回す。
「……ふしぎ。まるで、あなたの感情と連動しているみたい」
「みたい、じゃないよ。僕は精霊としてはまだまだひよっこで……簡単に感情を動かして、周囲に影響を与えてしまうんだ。本来なら、人と契約を結べるような器じゃない」
またも俯いたコハクは、でも、と言葉を紡ぐ。
「でも、君が……ガイウスの婚約者だったから。だから、僕は……」
そのまま苦しげに言葉を止めてしまう。
慰めようと口を開きかけた瞬間、コハクがうさぎ耳をピンとまっすぐに伸ばした。顔を強ばらせ、唇に人差し指を当てる。
「コハ――」
「しっ!」
鋭く私を制したところで、扉の軋む低い音が聞こえた。
咄嗟に立ち上がると、背中の丸まった大きな人影が見えた。見覚えのあるシルエットに、ぱちくりと瞬きする。
「ガイウス、陛下……?」
掠れた声で呟いた瞬間、俯いていた人影が弾けるように顔を上げた。
私を認めて目をまんまるに見開き――一息に距離を詰めてくる。くわっと鋭い牙を剥き出しにした。
「リリアーナッ!? 体調が悪いというのに、真夜中に一体何を――!」
「ガイウス陛下っ! あなたもどこか具合いが悪いのですか!?」
叱責に覆いかぶせるようにして、私も鼻息荒く彼に詰め寄った。いきなりの私の反撃に、陛下は言葉を止めて目を白黒させる。
その隙に彼の全身を上から下まで隈なく点検した。
泣き出しそうになりながら、小刻みに震える手を伸ばし――すっかりしおたれてしまった彼の鬣を撫でる。
「毛艶が、こんなに悪くなって……! どうしましょう、潤いが無くてぱさぱさぼさぼさ。指通りも悪いわ、引っかかっちゃうっ」
「……ぇ、あ……。いや、俺の鬣なんかどうでもよく」
――どうでもいい!?
とんでもない暴言に、きゅっと目が吊り上がるのが自分でもわかった。陛下が怯えたように後ずさるのに、逃がすものかとにじり寄る。
「どうでもよくなんかないわ! だって私――あなたの鬣が大好きだものっ!」
高らかに告白すると、陛下がおひげをピンと張らせた。
しばし彫像のように固まって――ややあってまるい耳をしょんぼり下げる。恨めしげな上目遣いで私を見た。
「鬣が……。そうか……。君にとって、俺は鬣だけの男なのか……」
「ええっ!? あ、いえそのそれはっ」
真っ赤になってわたわた手を振る。
しゅんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた彼に、深呼吸して体全体でぶつかった。やわらかな体に腕を回し、勇気を振り絞って消え入るような声で付け足す。
「た…………たてがみ、も。……です」
「……! そそ、そうかっ」
途端に明るい声に変わった彼がおかしくて、我慢できずに噴き出してしまう。
陛下も声を上げて笑い出し、くるりと振り返って私を抱き締めた。随分と久方ぶりに彼の体温に包まれて、ぶわりと一気に視界が滲む。
小さくしゃくり上げて彼にしがみついた。
なだめるように何度も背中を撫でられ、ふんわりと心が温もってくる。
(馬鹿ね、私……)
合わせる顔があるとかないとか、そんなもの私の都合でしかなかったのに。
もっと早く、こうすればよかった。顔を見るだけで、触れ合うだけで……こんなにも心が満たされる。
きっと、ガイウス陛下だって同じはず。
怖がってないで、きちんと自分の本心を話さなければ。今の彼なら受け止めてくれるに違いない。
決意と共に腕にぎゅうと力を込めたところで、つんつくと肩をつつかれた。不審に思い、顔だけわずかに横に向ける。
「…………っ」
コハクが半笑いを浮かべて私を見ていた。わ、わわわ忘れてたわ……!?
あわあわと声なき悲鳴を漏らす私に生温かい眼差しを向けて、コハクはパクパクと口を開く。
ガイウス陛下にはコハクの姿だけでなく声も聞こえないはずなのに、コハクはわざとのように無言のジェスチャーを繰り返す。何度目かでやっと口の形を読み取れた。
『ご、ち、そ、う、さ、ま』
「もおぉっ、からかわないで!?」
「リリアーナ?」
怪訝な声を出すガイウス陛下に、慌てて作り笑いで誤魔化す私であった。
……うん。
やっぱり話すのは今じゃないわね。どう考えても、にやにやコハクがお邪魔虫だわ……。




