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第6話 志は山より高く?

 およそ半月に渡る船旅を終え、私達はランダール王国北端のカザル港に到着した。この先、首都ドラムへは馬車で移動するらしい。


「順風満帆な旅で良かったですね、リリアーナ殿下。嵐も凪もなくてほっとしましたわ」


「………」


 軽やかに港に降り立ったメイベルが、潮風に髪をなびかせながら微笑んだ。――しかし、私は返事をするどころではない。

 二週間もの長きに渡る船酔いで、心身ともに強烈なダメージを受けていたのだ。やっと陸に辿り着いたというのに、まだ地面がぐらぐらと揺れているような心地がする。……うっぷ。


「き、気分が……。悪いわ……」


 前のめりになって歩き出した私を、メイベルが大慌てで覗き込んだ。「大丈夫ですか?」と気遣わしげに眉をひそめ、優しく私の背中をさすってくれ――……


 っていやおい痛たたたたぁ!?


「ちょ、メイベル! 待ってぐふぅっ!?」


 危うく胃酸が逆流しそうになったが、すんでのところで踏みとどまる。

 たおやかな見た目に反し、なんという馬鹿力……!


 震えながら彼女を押し返そうとした瞬間、額にずきりと痛みが走った。視界が一気に(せば)まって、目の前をチカチカした光が点滅する。


「――おぅふっ」


「リリアーナ殿下ッ!!」


 悲鳴と共に崩れ落ちた私を、すかさず伸びてきた細腕が力強く支えてくれた。薄れゆく意識の中で、私も必死で彼女に縋りつく。


 ああ、メイベル。

 あなたはなんて頼りになるの――……


「殿下! 倒れるのならば、せめて『きゃあ』とか『うぅん』とか、もっと可愛らしい声をお上げなさいませ!」


 ……前言撤回。

 この状況で、そんな殺生……な……




***



 衣擦れの音が聞こえ、ぼんやりと意識が浮上した。


 さらさらしたシーツの感触が心地良い。どうやらベッドに横たわっているようだ。

 痛む首を動かして辺りを見回すと、開いた窓からやわらかな風が吹き込んで、カーテンがはたはたと揺れているのが目に入った。窓の外を眺めていたメイベルが、こちらに気付いてにっこりと振り返る。


「あら、殿下。お目覚めですか?」


 手早く水差しから水を注いでくれた。

 身体を起こしてゆっくりと水を飲み下し、腫れぼったくなった瞼を擦る。


「……私。どのぐらい、寝ていたの?」


 掠れ声で問い掛けると、メイベルは途端に表情を曇らせた。


「まるまる一昼夜です。病弱な殿下に船旅は過酷でしたね。……ちなみにここはカザル港近くの迎賓館ですわ。殿下の体調が回復次第、首都に向けて出発を――」


「それは駄目っ」


 サイドテーブルに音を立ててコップを叩きつけた。メイベルが驚いたように目を丸くする。


「私なら馬車でのんびり寝てるから大丈夫よ。身支度を整えたらすぐに出発しましょう」


 早口でまくし立てる私を、メイベルは押し黙って見つめた。ややあって眉根を寄せてかぶりを振る。


「いけません。今はまず休養を取らなくては」


「嫌よ、だって……」


 腕組みして私を見下ろす彼女に、必死になって訴えた。メイベルが私を案じてくれているのはわかってる。――でも、それでも。


「ガイウス陛下がお待ちなのでしょう? 私が体調を崩して立ち往生してるだなんて知られたら、きっとご心配をおかけしてしまうわ……」


 しおらしく目を伏せると、メイベルははっと息を呑んだ。みるみる瞳を潤ませ、感極まったように私の手を握る。


「リリアーナ殿下……! なんとお優しく、ご立派な心がけなのでしょう……!」


「メイベル! それじゃあ」


 手を叩いて喜びかけた私に、微笑みを浮かべたメイベルは首を振った。――左右に、きっぱりと。


「なりません。リリアーナ殿下が無茶をされる方が、ガイウス陛下は喜ばれませんわ。……陛下にはわたくしの方から書簡をお送りいたします。どうぞ、殿下は憂いなど忘れて休養を――」


「待って!? だから、それじゃ駄目なのっ」


 無理して気丈に振る舞う薄幸の美女……な演技をかなぐり捨てて、私は声を大にして叫んだ。ぐいぐいとメイベルを揺さぶる。


「私はね、一刻も早く王城に到着したいの! だってこんな移動途中なんかじゃ、思う存分ぐうたらできないんだもの!」


「…………は?」


 メイベルが呆けたように固まった。わかってる、言いたいことはよくわかっているわ。でもね?


「私は基本、動きたくない人間なのよ。正直、船出してすぐはイスレア王国に戻りたくなったわ。でも、今となってはもうランダール王国の首都の方が近いもの。首都にさえ到着してしまえば、私はもうそこから梃子でも動かない。この命を捧げる覚悟でぐうたらしてみせる……!」


 こぶしを握り締めて熱く語っている間、メイベルは一言も発しなかった。優しく微笑んだ表情のまま凍りついている。

 ピクピクと頬を引きつらせたかと思うと、顔を真っ赤にして怒鳴り出す。


「こンのっ、人がせっかく見直したと思ったら! やっぱりアンタは、まごうことなき『ぐうたら姫』――」


「素晴らしい。聞きしに勝る怠け者だ」


 突然、落ち着いた低い声が割って入った。

 驚いたメイベルもしゃっくりのような音を立てて黙り込み、勢いをつけて扉の方を振り返る。


「うっひゃあ!?」


 思いのほか近くに立っていたその人に、メイベルが思いっきり仰け反った。私も驚いたものの、ここぞとばかりに彼女をたしなめる。


「メイベルったら。悲鳴を上げるときは『はわわぁ~!』とか『ほよよぉ~?』とか、もっと可愛らしい声を出さないと駄目じゃない」


「いや仕返しのつもりか!? てかそんなアホ丸出しな悲鳴を上げる女がいたら、即座にぶん殴ってやるわよっ」


 ……わぁ、気を付けなければ。

 メイベルの馬鹿力で殴られてしまったら、きっと華奢な私は速攻で天国に旅立ってしまうに違いない。……それはそれで、ぐうたらし放題かもしれないけれど。


「素晴らしい。己が天国に行けると疑っていないとは」


 闖入者が、またも低い声で言い放つ――って私、今声に出してました!?


 ぎょっとする私に、その人は首を傾げて無感情な目を向ける。濃淡のある不思議な色合いの、灰色がかった髪が微かに揺れた。


 ざっくりと無造作に切られた短髪と、メイベルより頭ひとつ分は飛び抜けている背の高さから、一瞬男性と見間違えそうになる。けれど、よくよく見れば女の人だった。

 すっきりとした体躯に整った顔立ち。きりりとした細い眉と鋭い目が格好良くて、思わずぽうっとなって見惚れてしまう。


 彼女は彼女で、空のように青い瞳で値踏みするように私を眺めていた。ややあって納得したように大きく頷き、偉そうに腕組みして言い放つ。


「私は猫の獣人。純粋な人族と比べて格段に耳が良いのだ。……君はどうやら独り言を言う癖があるらしい。以後、気を付けるように」


「は、はい」


 背筋を伸ばして答えると、メイベルがキッと目を吊り上げた。私達に食ってかかる。


「何を素直に返事をしているのです、殿下! ――一体、貴女は誰ですか! 他国の王族、まして自国の王の婚約者に対して、その口のきき方は無礼でしょう!!」


 あまりの剣幕に首をすくめる私をよそに、彼女はメイベルを完璧に無視して、つかつかと私のベッドに歩み寄る。無言で椅子に腰掛けて、私の腕を取って脈を見始めた。


「……えぇと?」


「生憎、我が国は人族の国ほど礼儀にうるさくない。王に対してですら皆こんなものだ。……舌を出して、あかんべえしなさい」


「ひゃい」


 指示されるがまま、べーっと舌を出して下まぶたを引っ張る。彼女は真剣な面持ちで私を覗き込んだ。

 茫然と立ち尽くすメイベルが、戸惑ったように目をぱちぱちさせる。


「……もしや。貴女は、お医者様ですか?」


「無論。……自己紹介が遅れたな。私はディアドラ・フェレク、王城勤めの医師だ。天才にして秀麗。華麗にして峻烈。獣人から人族、果ては動物まで診られる完全無欠な総合診療医」


 おおっ!!


 感心して大きく拍手する私達に、彼女はふっと微笑んだ。気障(きざ)ったらしく髪をかき上げる。


「――そういう医者に、私はなりたい」


「いや単なる願望かあぁっ!!!?」


 ゴリィッ。


 メイベルの怒りの鉄拳が、音を立ててディアドラの脳天にめり込んだ。

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