第57話 夜明けの真実。
「……で、クッキーはさっき言った通りオマケなんです。本命は、こっち」
緊張に顔が強ばるのを感じながら、ゴツゴツした手触りの無骨な木箱を差し出す。私の緊張が伝染ったように、陛下もぎゅっと唇を引き結んだ。
この上なく真剣な表情で、ゆっくりと木箱を開く。
(気に入ってもらえるかしら)
はらはらしながら見守った。
私がガイウス陛下に贈ったプレゼント。
大国の王が使うにしては、それほど――というか、全くもって高価なものじゃない。
それでも一生懸命、じっくり他と見比べて最良のものを選んだつもりだ。そう、重視すべきは値段じゃない。
「……これは」
陛下がはっと息を呑む。
両手を使い、大切そうに中身を持ち上げた。ためつすがめつ眺め、おかしそうに頬を緩める。
「随分と大きなブラシだ。もしかしなくても、俺の鬣用か?」
「ええ、そうなんです」
逸る気持ちを抑え、澄まし顔で頷いた。
早く気付いてほしくてうずうずするが、なんとかこらえてしとやかに待つ。嬉しげに目を細めた陛下は、「大きいが人型の時にも使えそうだな」と呟くと、早速ブラシを髪に当て――……
「駄目っ!」
今だとばかりに制止した。
突然の大声に、驚いた陛下がビクリと肩を揺らす。目をまんまるにして私とブラシを見比べた。
「え? 駄目、とは――?」
「陛下は使っちゃ駄目なんです。……だってこれ、陛下のものだけど使用権は陛下に無いの」
おごそかに告げて、陛下から取り返したブラシをくるりと裏返す。木の柄部分――隅っこの方に、小さく名前を彫っておいたのだ。
『リリアーナ』
「えええええっ!?」
驚愕する陛下を大満足で眺め、いたずらっぽくウインクする。トントン、と大きなブラシを手で叩いた。
「エリオットから道具を借りて彫ったんです。彫刻刀なんか使ったの初めてだから、ちょっと不格好な文字になっちゃったけど」
照れ笑いして、ブラシをそっと陛下の髪に押し当てる。
陛下のたっぷりした鬣を梳かすことが出来て、なおかつ私の手に馴染むぐらいの絶妙な大きさのブラシ。やっと見つけ出した時は大歓声を上げてしまったものだ。
今日の陛下は人型だけれど、このブラシが私専用であることに変わりはない。
じっと動かない彼に身を寄せ、金茶色のつややかな髪を優しく梳かす。記念すべき初使用が、まさか人型の彼相手になるとは思わなかったものの、なかなか上々な使い心地だ。
陛下もじっと気持ちよさそうに目を閉じていた。しばし静かな時間が流れ、やっと目を開けた彼がおかしそうに苦笑する。
「……惜しいことをした。今日はやはり獅子の姿で来るべきだったかも」
「あら、いつでも梳かしてあげますよ? これはもう陛下のものだもの」
にやにや笑いながらブラシを返すと、陛下は大事そうに受け取った。「でも」と首をひねる。
「俺は使ってはいけない?」
「ええ。使うのはこの私」
大真面目に答え、じっと無言で見つめ合う。それから二人同時に噴き出した。
真夜中の、静謐な空気に包まれた精霊廟。
私達の賑やかな笑い声に、フィオナの花がびっくりしたように揺れた気がした。
***
「お休み、リリアーナ」
「ええ。お休みなさい、ガイウス陛下」
秘めやかに囁き合って、微笑みながら手を振る。
自室の扉を閉めて、大きく深呼吸した。十秒、二十秒……。一分は経っただろうか、と思える頃にやっと動き出す。
「…………」
隙間を開けて覗いてみても、もう陛下の姿は見えなかった。ほっと安堵して踵を返す。
戸棚の奥から、隠しておいたクッキーの小箱を取り出した。光沢のある黄色のリボンで結んだ――コハクへの、新年の贈り物。
音を立てないように自室から出て、さっき辿った道を逆行して再び精霊廟を目指す。
広間ではまだ年越しパーティが続いているらしいけれど、さすがにここまでは喧騒は伝わってこなかった。静まり返った廊下で、私の歩くカツカツという足音だけがやけに大きく響く。
廊下の窓から見上げると、空が微かに白み始めていた。もう夜明けが近いのだ。
(……変な感じね。まさかこの私が徹夜するだなんて)
ふふっと笑い――笑うことで、なんとか緊張をほぐそうとする。
随分長く感じたけれど、それでも精霊廟に到着した。……到着してしまった。
震える呼吸を飲み込んで、重い扉に体重をかける。
(……きっと、いるはず)
さっきまでガイウス陛下といた時は、コハクは来るはずがないと思っていた。私が一人じゃなければ、コハクはいつだって姿を見せなかったから。
思った通り、花畑の真ん中に人影があった。
顔が強ばりそうになるのをなんとかこらえ、笑顔で大きく手を振る。
「コハ――……え?」
ゆっくりと立ち上がった人影。
……コハクじゃない。
髪の毛が真っ白の、枯れ木のように痩せ細ったおじいさん。
私を認めて微かに首を傾げ、そうしてやわらかく微笑する。
まるで吸い寄せられるように、ふわふわした足取りで彼に歩み寄った。
「こんばんは……じゃ、ないわね。おはよう、ございます?」
ドレスをつまんで礼を取ると、おじいさんも優雅にお辞儀を返してくれた。目尻の笑い皺を深くして、優しげに目を細める。
柔和な雰囲気に安堵して、また一歩彼に近付いた。
「えっと……。『精霊の手』の庭師さん、ですよね?」
尋ねると小さく首を振り、地面から何かを拾い上げる。――石版と、石筆。
そこであっと気が付いた。
「ごめんなさい! 確か、おじいさんは耳が――……」
真っ赤になって頭を下げる私を制止して、おじいさんはまたやわらかく微笑んだ。石筆ですばやく何かを書きつけ、私に石版を向けてくれる。
そこには、整った文字でこう書き連ねられていた。
『ゆっくりと、大きく口を開けてしゃべってもらえばわかります』
自らの口元を指差し、おどけたようにパクパクと口を開け閉めする。その仕草にふっと笑って、大きく頷いた。
「はい。わかりました」
はきはきと返事をすると、おじいさんは布で文字を消し、また石版に何かを書きつける。
『はじめまして、リリアーナ姫。ようこそランダール王国へ』
「ええ、ありがとうございます。精霊廟には、もう何度も足を運ばせていただきました。お花、とっても綺麗ですね?」
フィオナの花を指差して、一言一句ゆっくりと発音した。おじいさんも顔をほころばせてうんうんと頷く。
『存じております。何度かここで、姫様のお姿を拝見いたしましたので』
あら、と目をしばたたかせた。
サイラスから「会ったことがないのか」と不思議がられてしまったけれど、どうやら私が気付かなかっただけらしい。苦笑する私を眺め、おじいさんはまた熱心に手を動かす。
『姫様はいつもお一人で、楽しそうに会話なさっておいででした。何もない、虚空に向かって美しく微笑みかけられて』
「……え」
硬直する私に、困ったように眉を下げる。
また文字を消し、すばやく石筆を動かした。
『精霊様と会話をなさっておられるのだろう、と。お邪魔をしてはならないと、いつもすぐに退出させていただきました』
どくん、と心臓が跳ねる。
反射的に胸を押さえ――……浅い呼吸を何度も繰り返す。それでも心音は早まるばかりで、背中までじっとり汗ばんできた。
案じるように私を見つめる彼に、消え入るようなか細い声で囁きかける。
「わたし……わたし、だけ? ほんとうに、ひとり、だけだった……?」
『はい。虚空に向かい、あなた様は何度も呼びかけておられました』
――――コハク、と。
これで第三章終了です。
ブックマーク&評価、本当にありがとうございます…!
お陰様で、次話よりやっと最終章です。
土日はお休みして、来週月曜日から投稿開始します。




