第54話 光の雫と精霊の祝福。
ケープの上から幾重にもショールを巻きつけ、きっちりとピンで止める。これで防寒はばっちりだと胸を張ったのに、ガイウス陛下から仕上げとばかりに頭の上にもショールを巻かれてしまった。
「うう、重い~……」
「少しだけ我慢だ、リリアーナ。歩けるか?」
気遣わしげに尋ねる彼に、笑顔で頷きかける。差し出された毛むくじゃらの手を取って、よちよちと歩き出した。
ふうふう、ふうふう。
「……なんだか、自分がとんでもないおデブさんになった気がするわ」
身体が動かしにくくてたまらない。
げんなり呟くと、小さく笑ったガイウス陛下がすくいあげるようにして私を抱き上げた。慌てて彼の首にすがりつく。
「わわ……っ?」
「ご無礼をお許しを、姫。ですが、このままでは年越しに間に合いませんので」
芝居がかった台詞と共に頭を下げる彼に、噴き出しそうになるのを必死でこらえた。お姫様抱っこされたまま、ツンと顎を反らしてふんぞり返る。
「ふむ、ならば仕方ありませんね。わたくしを運べる栄誉に感謝しながら、安全快適に進むのですよ?」
「仰せのままに」
おごそかに返事をしたかと思うと、陛下はグッと深く腰を屈めた。地面を蹴って駆け出して、あまりの速さにきゃあっと甲高い悲鳴を上げてしまう。
「うおお、速ぇなガイウス! こりゃあオレらも負けてられねぇぜエリオット!」
「いえ、わたしは負け蛇で結構です。後ろからゆるりと参りますゆえ、お先にどうずぉおおおおおおうっ!?」
珍しいエリオットの大絶叫に、陛下の肩からぴょこんと顔だけ覗かせた。
黒のつややかな巻毛を振り乱したメイベルが、エリオットの腕を掴んで全力疾走してくる。その瞳は楽しげにきらきらと輝いていた。
「何を情けないこと言ってんのよエリオット!! ディアドラも付いてらっしゃい!」
「フッ。へべれけ酔っぱらい共よ、果たしてこの私に勝てるかな?」
気障ったらしく髪をかき上げたディアドラも後に続く。
私を抱えたガイウス陛下に、隣を並んで走るイアンとディアドラ。ドレスを着ているとは思えない軽やかさで走るメイベルに、強制連行されて顔面蒼白なエリオット。
きんとした冷気の満ちる、今年最後の夜。
月明かりに照らされた王城の長い廊下を、皆で大笑いしながら駆け抜けた。
***
「寒くないか? リリアーナ」
「ええ。こうしていればね」
王城の中庭に勢ぞろいした私達は、一心に満天の星空を見上げ続ける。
抱っこから降ろしてもらった私は、背中を陛下のやわらかな毛並みにもたれさせ、首に回された温かな腕をぎゅうと抱き締めた。寒さは本当に平気だったけれど、むき出しの頬だけがピリピリと痛む。
はあっと息を吐きだして、鼻の頭を強くこすった。まるで氷みたいに冷やっこい。
「……お、そろそろですね。――いいですか、皆さんっ! 全員で声を合わせてくださいね!」
エリオットの呼びかけに、そこかしこから「おおっ」と力強い声が上がった。真っ暗闇で見えないものの、王城中の獣人達が集結しているらしい。
チッチッチッ、という懐中時計の秒針の音を掻き消すようにして、エリオットが声を張り上げる。
「十、九、八……」
エリオットに合わせ、七、六、五と全員で唱和する。
「四、三、二――……」
爆発寸前のうずうずとした期待が高まって、どんどん声が大きくなる。そうしてやっと、待ちわびた瞬間が訪れた。
『――いちっ!!』
わああ、と高らかな歓声が上がる。
きゃあっと大興奮で手を叩いたところで、陛下が「空を見るんだ、リリアーナ!」と私の耳に囁きかけた。慌てて視線を天に向ける。
「…………っ」
光の雫が夜空を走って消えた。見逃した、と思う間もなく追加でひとつ、ふたつ――……いや。
――もっと、もっとだ!
「えっ? えっ? 嘘でしょうっ? こんなにたくさん……!」
まるで空を埋め尽くすかのような、数え切れないほどの流れ星。
地上に降り注ぐようにして、後から後から眩く輝き夜空を彩る。
「すごい、すごいわ……!」
「……ああ。本当に」
呻くような低い声に、驚いて陛下を振り仰ぐ。陛下は牙を食いしばって空を睨んでいた。
「ガイウス、陛下……?」
心配になってそっと彼の腕を叩くと、陛下は鋭く私を見下ろした。射抜くような強い眼差しに、怯えてしまって目を見開く。
「……リリアーナ。これは……」
「は、はい」
緊張のあまり囁き声で答えたところで、陛下が突然私を抱え上げた。高い高いするように夜空に向かって私を掲げ、そのままくるりと一回転する。
「――僥倖だっ。ランダールの精霊が、これからの一年を祝福してくれているっ!」
嬉しげに声を弾ませ、はっと息を吐いて笑い出す。くるくる回って、私を抱えたまま芝生に倒れ込んだ。
「ちょっ、ガイウス陛下!?」
彼の上に乗っかった状態で、慌てふためきながら彼の胸を叩く。まだ大笑いしていた陛下は、きらきらと光る瞳を私に向けて、ぎゅっと力いっぱい抱き締めた。
くぐもった声で、噛みしめるようにして囁きかける。
「君が……来てくれて、よかった。君がここに居てくれるから、きっと精霊も祝福してくれたんだ」
「……ううん。それは、違うわ」
なんとか腕をふんばって体を持ち上げ、ふかふかな胸の上に頬杖をつく。
「きっと、あなたが喜んでくれたからよ。私がこの国に来たことを――あなたがもし嫌がっていたとしたら、精霊はお祝いなんかしてくれなかったはずだもの。だから、これは全部あなたのお陰」
「それは……」
ためらうように言葉を濁す陛下に、わざとらしく頬を膨らませてみせた。
「あら。それとも陛下は、私がこの国に来て嬉しくなかったの?」
「そ、そんなわけがないっ」
ガバリと身を起こし、落っこちかけた私の腰をすばやく支えてくれる。私の手を掴み、熱を宿した瞳を向ける。
「嬉しかったさ、もちろん! 君が来てくれて、俺は確かに一歩を踏み出せたんだ……!」
「ふふっ。ならこれは、私達二人に対する精霊さんからのお祝いってことで」
いたずらっぽくウインクして、もう一度陛下の胸に飛び込んだ。陛下も包み込むようにして抱き締めてくれる。
温かな腕の中で目を閉じる。
光り輝く流星群の残像が、いつまでも目に焼きついて離れなかった。




