第53話 この場合、素面は損だと思います。
それからの大広間は、飲めや歌えの大騒ぎ。
宰相補佐のハロルドは、収穫祭のときと同じくノリノリで太鼓を演奏し始めた。なぜかその頭には真っ黒な猫耳が付いている。……あなた確か、コウモリの獣人じゃなかったっけ?
エリオットから貰った一杯だけでお酒はやめにしたものの、すっかりほろ酔い気分になった私は、手を叩いて彼の演奏を褒め称えた。収穫祭では苦手だった太鼓も、聞き慣れると重厚感のある音が心地よい。
折よくガイウス陛下の姿を見つけたので、その巨体に向かって思いっきり体当りする。
「陛下ぁー! 抱っこしてください~! ワタクシは高い高ぁいを所望しまーすっ!」
「えええええっ!?……って、酔っているなリリアーナ」
げんなりと肩を落とす彼かおかしくて、けらけらと声を上げて笑い出す。
ガイウス陛下は重苦しいため息をついたかと思うと、ひょいと私を抱え上げた。んん~?
むっとした私は、ぽふぽふと陛下を叩く。
「これはお姫様抱っこですー! これも好きだけどそうじゃありませーん!」
「はいはいそうだな。酔いが覚めたらいくらでも高い高いしてやるから、今は部屋に戻って休むんだ。送っていこう」
まるで小さい子どもを相手にするようにあしらわれ、むうっと唇を尖らせてしまう。ふかふかの胸にぐりぐり頭突きをした。
「帰りませーん! だって年越し、一緒にするんだから……っ。陛下ったら、私だけ仲間外れにしようとして……!」
ひっくと泣き声を上げると、途端に「ち、違っ」と慌て出す。あやすように腕を揺らし、おろおろと私の顔を覗き込んだ。
「俺はただ、君が心配なだけでっ!」
「……ふっ」
くくくくく、と低い笑いがこみ上げる。
我慢しきれずにそのまま大笑いし始めた私を、陛下が半眼で見下ろした。くわっと大きなお口を開く。
「リリアーナ~……。からかったなっ?」
遠くからにやにやとこちらを見物するイアンとメイベルに手を振って、しおらしく陛下に頭を下げた。
「ごめんなさぁい。嘘泣きは女の武器なんだって、前に本で読んだことがあったものだから。使うなら今かなと思って実践しちゃった!」
「頼むから偏った知識を仕入れないでくれ……」
天を仰ぐ仕草があまりに大仰で、またも笑いが止まらなくなってしまう。ぎゅっと首にすがりつくと、陛下も笑いながら私を抱き締めた。
ぽかぽか暖かくって、心地よくって。
頭の中がどんどん霞がかって、自然と瞼が下がっていく――……
***
「――リリアーナ。起きられるか?」
優しく体を揺さぶられ、はっと目を開く。
ぼんやり振り仰ぐと、私の肩に腕を回した陛下が気遣わしげに顔を覗き込んでいた。どうやら彼にもたれて眠っていたらしい。
「……ん、大丈夫、です。もう、年は明けたの……?」
目を擦りたくて腕を上げようとするのに、なぜだかぴくとも動けない。
んん? と自らの身体を見下ろすと、もこもこのショールと膝掛けをこれでもかと巻き付けられていた。すごい、がんじがらめだわ。
「ああ、すまない。風邪を引いたらいけないと思って」
慌てたように陛下がもこもこを剥いでくれる。巻き巻き、巻き巻き。それでもまだまだ私は雪だるま状態だ。
一体どれだけ巻いたのかしら、とおかしくなってくる。
「うおーっ、起きたか姫さん! このうるせぇ中、よくもまあぐうすか眠れたなぁ!」
陽気な声と共に、イアンが私に向かって満杯のジョッキを突き出した。その顔は髪に負けず劣らず真っ赤になっている。
途端にぴしりとした叱責が飛んできた。
「そこの大熊。勧めるならせめて温かい酒にしろ、このうつけ者」
厳しい表情を浮かべたディアドラが、湯気の立つカップをイアンに押し付ける。私の傍らに跪き、細い指を私の額に押し当てた。
「……うん、熱はなさそうだな。――本来ならば部屋で休ませるべきだったのだろうが、ガイウスの奴が」
鋭くガイウス陛下を睨み据える。陛下がひゃっと震え上がった。
「君が一緒に年越しをしたがっていると主張して。急遽広間にソファを運び込んだというわけだ」
「自分が暖めるからって聞かなくてよぉ! あったかかったろ、姫さん?」
にやにやと問うイアンに、「ええ、とっても」と真面目くさって同意する。ふがふがと口を開きかけては黙る陛下に笑いかけ、やっと自由になった両手を思いっきり伸ばした。
「はあ、すっきりした! ……へっ、くしゅんっ」
あっという間にくしゃみが飛び出してしまう。ぶわりと鬣を逆立てた陛下が、せっかく剥いだショールを再び私に巻きつけ始める。
「そのぐらいにしておけ、ガイウス」
「ぶっ!!」
黒ぐろとしたお鼻を指で弾かれ、陛下は情けなさそうに鼻を撫でた。くすくす笑っていると、ディアドラがイアンから奪い返したカップを私の手に握らせた。わ、温かい。
「生姜入りはちみつ湯だ。身体の中から温もるし、酔い醒ましにもなって一石二鳥だぞ」
「わあ、ありがとう!」
舌を火傷しないよう、用心しいしい一口すする。
はちみつのまろやかな甘みと、生姜のピリッとした辛味がなんとも言えない。ほうっと吐息をついて、笑顔で皆を見渡した。
「ありがとう、すっごく美味しいわ。今はまだ夜中なの?」
「ああ、新年まであともう少しだ。それを飲んだらきっちり上着を着て準備するんだぞ、リリアーナ」
……準備?
ディアドラの言葉に首を傾げていると、「リリアーナ殿下!」と賑やかな声が聞こえた。
頬を上気させたメイベルが、跳ねるような足取りで駆け寄ってくる。その両手には酒瓶が握られていて、後ろにはドレス姿のエリオットも続いていた。
「お側を離れてしまい申し訳ありません! ですが――……」
ちらりとガイウス陛下に視線を走らせ、いたずらっぽく舌を出す。
「お邪魔虫は退散しなきゃと思いまして! 構いませんでしたかぁ!?」
「もっちろん。さすがメイベルは有能だわ」
にっこりと微笑んで立ち上がり、はちみつ湯のカップをイアンに持たせる。おごそかに両手を構えた私に、メイベルも察したように酒瓶をイアンに押し付けた。
「どわぁ!? 落ちっ」
「イエーイッ!」
パンッと音を立てて両手の平を打ち合わせ、二人してケタケタ笑い合う。
危なっかしくカップと酒瓶を抱え込むイアンに、なぜかエリオットまでもがド派手な扇を追加で乗っけてしまう。
ディアドラも無言で進み出て、なんとなく四人で手を繋いで輪になった。よくわからないままくるくると回り出す。
高笑いしつつ高速回転を繰り広げる私達を眺め、イアンが顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「だああこの酔っぱらいどもっ! なんでいちいちオレに持たせんだよ!? オレも混ぜろよっ! 寂しいだろがよっ! なあガイウス!?」
「お前も充分立派な酔っぱらいだ……」
疲れたように突っ込む、一人冷静なガイウス陛下であった。




