第5話 貫き通します、我がお昼寝道。
「……ぇ……?」
掠れた声を上げる私に、メイベルの眉がぴくりと動く。その瞳は隠しきれない怒りに燃えていた。
「まだとぼけるおつもりですか? しらばっくれるのもいい加減に――」
「待って! 本当の本当に、何の話だかわからないの!」
クッションを放り捨てて立ち上がる。
声を荒げる彼女の前に立ち、震えながらすうっと息を吸い込んだ。
「だって。だって、私があなたを指名したのは――」
あなたが私を、正面切って「怠け者」呼ばわりしたからよ!
「…………」
ほとばしるように叫んだ私を、メイベルは瞬きして見返した。しばしの沈黙が満ちた後、慎重な様子で口を開く。
「……なるほど。意趣返しのおつもりでしたか。……ですが、随分と不公平な話ではありませんか? わたくしだけでなく、城の誰もが貴女のことを『ぐうたら姫』と――」
「違う! それは違うわ、メイベル」
咳き込むように否定して、彼女の瞳を覗き込む。
紫紺の瞳は吸い込まれるような美しさで、こんな場面でなければ見惚れてしまいそうだ。ごくりと生唾を飲み込み、必死で呼吸を整える。
「城の使用人達は、好き勝手に陰口を叩いているだけだわ。引きこもりだの無駄飯食いだの、見えないところでは言いたい放題。でも私、ちゃあんと聞いてるんだから。あの人達ってば、『壁にリリアーナ、障子にもまたリリアーナ』って言葉を知らないのよ」
「何それ!? あたしも初耳なんだけど!?」
っていうか想像すると怖いわっ!
先程までの慇懃な態度はどこへやら、メイベルがビシッと手刀をきめて全力で突っ込んでくる。……そうそう。これよ、これ。
嬉しくなって得意満面で解説してみせる。
「東方の国では有名な諺なの。えぇと確か、正確には『壁に耳ありーの、障子にもまた目ありーの』だったかしら」
ちなみに、障子というのは薄い紙でできた窓のようなものらしい。しょっちゅう書庫にこもっているだけあって、ぼんくらに見えて私は意外と博識なのだ。
「へ、へぇ……。全然知らなかっ――」
感心しかけて、メイベルは慌てたように咳払いで誤魔化した。再び目つきを鋭くし、腕組みして私を睨み据える。
「……それで? 一体何がおっしゃりたいのです、リリアーナ殿下」
「あなたには裏表がないってことよ、メイベル」
きっぱりと断言すると、メイベルはまたもや目を丸くした。
私が彼女を知ったのは、今年の春のこと。
メイベルは義姉の侍女であり、それまで私とは接点がなかったのだ。
ぽかぽか陽気のある日、私は一人でのんびりと庭園を散歩していた。暖かな日差しについつい地べたに座り込み、そのまま城の壁にもたれてお昼寝を開始した。たまたま窓を開けた彼女が私に気付き、ぎょっとしたように私を見下ろして――
「大急ぎで駆けつけてくれたでしょう? あなたは息を切らして、真っ赤な顔で私に怒ってくれたわ。『なんて非常識な! だらしがないのも大概になさいませ。そんなだから怠け者と侮られるのです!』って」
それまで身内以外から叱られたことのなかった私は、メイベルの剣幕に驚きはしたものの、不快さは全く感じなかった。むしろくすぐったい気持ちになったぐらいだ。
だから兄から侍女を選べと言われたとき、真っ先に彼女の名が浮かんだのだ。
「メイベルなら、陰口じゃなくて正面から文句を言ってくれると思ったの。……ああ、でも。これは私の一方的な望みであって……。あなたを、無理やり故国から引き離したことになる、わよね……?」
今更ながら申し訳なさがこみ上げてくる。
こんなだから私は駄目なのだ。
しゅんとしてメイベルを窺えば、案の定彼女は無言で柳眉を逆立てていた。ぴくぴくと口元を引きつらせたかと思うと――突然ぶはっと噴き出した。
「成程……っ。そういう、ことでしたか」
息も絶え絶えに笑いながら、目尻に滲んだ涙をぬぐう。
「申し訳ありません。誤解していたとはいえ、ひどく失礼なことを申し上げました」
「……! ううん! そんなの、全然構わないわ」
勢い込んで否定する私に、メイベルは小さく首を振った。
「いいえ、完全に八つ当たりでしたもの。……わたくし、つい最近婚約が駄目になったんです。原因は、相手の浮気」
「うわっ」
「浮気。……お城の使用人の皆さんに、大層面白い噂話を提供してしまいました。どいつもこいつも……失礼、誰も彼もが寄ると触るとそればかり。リリアーナ殿下はご存知なかったんですね? 壁にも障子にもいらっしゃらなかったようで」
壁にリリアーナ、痛恨の極み。
口ほどにもないとはこのことね。
唇を噛んで悔しがる私を眺め、メイベルはおかしそうに頬を緩めた。近寄りがたい雰囲気がやわらぎ、つられて私も微笑んでしまう。
メイベルは目鼻立ちのはっきりとした美人で、紫紺の瞳は凛とした意思を宿している。「見た目だけならとっても儚(以下略)」と言われる影の薄い私と違い、毅然とした力強さに溢れた女性だと思う。
「……メイベルを振るだなんて。随分と見る目のない男なのね」
しみじみ呟くと、メイベルは「ええ、全く」と大真面目に同意した。
「家同士で決めた婚約で、愛情があったわけではありませんけれどね。それでももちろん腹は立ちますから、向こうの腹も痛めつけてやらねばと思いまして。みぞおちに十発ほどぶち込んでおきました」
まあ。
格好良いわ、メイベル。
武勇伝に心が躍り、思わず彼女の手を取る。
「ぜひ私も見習うことにするわ。ガイウス陛下に浮気されたときに備えて、今度ぶち込みかたを教えてちょうだい」
「却下です。国際問題に発展しかねません」
速攻で断られてしまった。
常識人なんだから、もう。
拗ねる私に苦笑して、メイベルは私をソファへと座らせた。私の肩に甲斐甲斐しくショールを掛け、用意されていた茶器で手早くお茶を淹れてくれる。
「……あのまま国に残っていたら、父がまた新たな縁談を持ち込んできたに違いありません。でもわたくしは、男なんてもうこりごり」
苦々しげに吐き捨てて、ティーカップを私に差し出した。勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ですからリリアーナ殿下。貴女のお誘いは、わたくしにとって渡りに船だったのです。――ご覧の通り口の悪い女ではございますが、どうぞこれからよろしくお願いいたします」
「ええ、もちろんよ! ……その、それとね? せっかく親友になれたのだから……メイベルも、普通にしゃべってくれないかしら。私と二人きりのときは、敬語なんかいらないわ」
恥ずかしさにつっかえながらおねだりしたら、メイベルは途端に表情を消して唇を引き結んだ。いかめしく私を見下ろし、きっぱりとかぶりを振る。
「お断りいたします。殿下はわたくしの主人です。節度は守るべきですわ」
んもう、生真面目なんだから。
でも、それがきっとメイベルのいいところ――
「そもそも誰が親友ですが。わたくしと殿下は友人ですらありません。今やっと顔見知りから片足を脱け出した程度」
「………」
し、辛辣……!
でもでも、それがきっとメイベルの――
「わたくし、親友には常識的な振る舞いを求めます。庭で眠るなど言語道断。……と、いうわけで? 殿下がどうしても、わたくしの親友になりたいとおっしゃるのなら? まず、所構わずお昼寝するその悪癖を――」
「あら。それはとても無理ね。……残念だわ、メイベルとは一生親友になれないだなんて」
嘆息ついでに、ふうふうお茶を吹き冷ました。一息に飲み干してカップを戻し、そのままソファに横たわる。……ああ、振られてしまった。切ない。苦しい。かよわい胸が張り裂けそう。
「きっと今日が人生で一番悲しい日…………ぐぅ」
「いや、なら寝るなっ!? 諦め早すぎ――っていうかアンタ、あたしの親友になりたいんじゃなかったの!?」
夢現に、轟くような怒声が聞こえた気がしたけれど。
多分きっと気のせいぐぅ。