第42話 それぞれの贈り物事情。
「そうだリリアーナ姫! その調子で力の限り混ぜるのだ!」
「はい師匠っ! 美味しくなぁれーーーっ!!」
反復練習とは大事なようで。
二日にいっぺんとはいえ、私はだんだんとクッキー作り(と熱血師匠)に慣れてきて、最初ほどバターを混ぜるのに苦労しなくなってきた。
バターさえ混ぜてしまえばクッキーは九割方完成したも同然、というヴィルの言葉にも嘘はなく、このところは安定して美味しいクッキーが焼けるようになった。
クッキーを盛った籠を抱えて、鼻歌交じりに厨房を後にする。一枚つまんでひょいと口に入れた。うん、私天才。
……でも、さすがに飽きてきたわ。
はあ、と嘆息して籠を揺らした。
「問題はこの試作品の山よね……。本番を迎える前に、メイベル達に食べてもらうわけにもいかないし。と、いうか」
いい加減、ガイウス陛下に何を贈るか決めなければ。
他の皆と同じでクッキーというわけにはいかないだろう。彼は私の婚約者なのだから。
(……それに)
なんとなく、彼には形に残るものをあげたい気がするのだ。
獣型ならば鬣を膨らませて、人型ならば顔を真っ赤にして喜んでくれるに違いない。きっとずっと大事にしてくれると思う。
想像するだけで我知らず顔が緩んでしまう。
ほわほわと笑いながら廊下を歩いた。そう、そのためにも何を贈るか早く決めなければ。
彼が喜んでくれるもの、彼の欲しがっているもの――……
「…………」
歩調がだんだんとゆっくりになり、やがてピタリと歩みを止めた。
楽しい気分が跡形もなく消えてゆく。
ガイウス陛下が何より求めているもの。
それが何かを私は知っている。けれど、あげることなど到底不可能だ。
(精霊が見える、『眼』……)
きゅっと唇を噛み締める。そのまま廊下の壁にもたれかかり――
「お~、お姫様じゃないかぁ~」
のんびりした声が聞こえて、はっと意識をこの場に戻した。慌てて周囲を見回すと、窓の外から庭師のサイラスが嬉しそうに手を振っていた。
「あら、サイラス! ……あ」
彼の髭もじゃの顔と、籠の中のクッキーとを見比べる。にんまり笑って廊下の窓から身を乗り出した。
「サイラス、ちょっとこれ持ってて! よいしょっ」
クッキーの籠を彼に託し、いつぞやのように窓枠を乗り越える。二度目ともなれば慣れたもので、軽やかに地面に降り立った。
その途端、冷たい空気にくしゃみが飛び出してしまう。
「くしゅっ……! さ、寒いわね……」
ガチガチ震える私に、サイラスがすかさず自分のマフラーをはずして私に巻き付けてくれた。ほっかりした温かさに安堵の吐息をつく。
マフラーを握り締め、彼に笑いかけた。
「ありがとう。あのね、サイラス」
「お姫様、話は後だぁ。こっちこっち!」
ぐいぐい腕を引かれて導かれるまま、王城から離れた庭園の片隅へと移動した。大木の陰に隠れるようにして、丸太小屋が一軒ぽつりと立っている。
「王城庭師の休憩小屋だぁ。暖炉があるからぬくいぞ」
「へえ……。お邪魔しまーす」
扉を開けた途端、サイラスの言葉通りぱちぱちと踊る暖炉の炎が見えた。包み込まれるような柔らかな暖気に、誘われるようにして中に足を踏み入れる。
丸太小屋は外から見たときよりも広々していて、こざっぱりと片付いていた。暖炉の前には座り心地のよさそうな揺り椅子まである。
嬉しさにくるりと一回転してサイラスを振り返った。
「ね、サイラス。あの椅子に座ってもい――……きゃっ!?」
「お姫様ぁ!?」
床に散らばっていた何かを踏んづけて、危うく転びそうになってしまう。サイラスが慌てたように手を伸ばして支えてくれた。
「び、びっくりした……! ごめんなさい――ん?」
床に落ちていた木切れを拾い上げる。どうやらこれにつまずいてしまったらしい。
ゴツゴツした触り心地のそれは単なる木切れではなく、ぐるぐるととぐろを巻いたような不思議な意匠をしていた。これは、もしや――
「……蛇?」
ようく見ると、木の彫像は口らしき先端からちろりと舌を覗かせていた。荒々しく彫られているものの、どことなく味があって可愛らしい。
「これ、とっても上手に出来てるわ。サイラスが作ったの?」
弾んだ声音で問い掛ける。
その途端、ぱっと横から伸びてきた手が私から蛇の像を奪い取った。
「いいえ、作ったのはわたしです。――見てしまいましたね、リリアーナ様」
沈痛な声に驚いて顔を上げると、宰相エリオットが私を見下ろしていた。作り物のような美しい顔が、今は苦々しげに歪んでいる。
深々とした嘆息と共に、長いまつ毛を震わせた。
「……せっかく見つからないように、こんな場所でこっそり作っていたのに。新年のお楽しみだったのに。あっと驚き喜ぶ顔が見たかったのに」
私が目を丸くしている間にも、エリオットは平坦な声で切々と恨み言を並び立てる。……う。これって、もしかしてもしかしなくても……?
「……新年の贈り物だったり、する?」
上目遣いで問い掛けると、エリオットは微かに首肯した。今度は悲しそうに眉を下げている。
「ごっ、ごめんなさい! 私、決してそんなつもりじゃあ」
「もうよいのです。わざとではないのはわかって――……むっ!?」
突然、エリオットがカッと目を見開いた。その視線はクッキーが山と盛られた籠に釘付けだ。
あっと思う間もなく、またもエリオットの腕が伸びてきた。
「クッキーですかリリアーナ様いただきます」
「ちょっ!? 待って待って待って!?」
止める暇もあらばこそ。
エリオットはひょいぱくひょいぱくと次々クッキーを口に放り込んでゆく。あら、片付いて良かったわ――……ではなく!
慌てふためきながら籠を背中に隠した。
「食べちゃ駄目よ、これは新年の贈り物なのっ」
「ですが、リリアーナ様もわたしの贈り物を見たのでお互い様でもぐもぐ。それにこれは端が焦げていまもぐもぐ。失敗作はわたしが全て平らげて差し上げもぐもぐ」
私の背中にぴったりと張り付いたエリオットは、素晴らしいスピードでクッキーを咀嚼している。サイラスもあんぐりと口を開けて彼を凝視していた。
私は勢いよく回れ右してエリオットを睨みつける。
「だからって全部食べちゃ駄目っ。サイラスにもあげるんだから! それに立ったまま食べるだなんてお行儀が悪いですっ!!」
まさか、この私が人様に礼儀作法を説く日がくるなどと。
内心首をひねりながらも、特大級の雷を落とす私であった。




