第41話 隠し味はそう、愛と愚痴。
「リリアーナ姫は初心者なのだから、まずは基本のクッキーに挑戦すべきだ。異論はないか?」
「はい先生っ。私にできるならなんでも大丈夫です!」
あれから。
なんとかヴィルの誤解を解くことに成功し、贈り物用のクッキー作りを手伝ってもらえることになったのだ。
台に用意されたのはバターに小麦粉、卵にお砂糖。それからお塩が少々と、これだけの材料でクッキーが作れるだなんてびっくりだ。
ヴィルから命じられ、頭も口元も清潔な白い布で覆って準備はばっちり。飾り気の全くない実用性重視の上っ張りも相まって、見た目はかなりもっさりしているが、そんなことはたいした問題じゃない。
初めてのお菓子作りにわくわくと心を弾ませる私に、ヴィルがバターの入った深鉢を手渡した。
「……えぇっと?」
「混ぜるのだ、リリアーナ姫。バターが白いクリーム状になるまで、混ぜて混ぜて混ぜまくる。それさえ終われば、クッキー作りは九割方終わったも同然なのだ」
「わ、わかりましたっ」
声を張り上げて返事をして、泡立て器を勇ましく掴む。上空から振り下ろすようにしてバターに突き立てた。
「…………」
訂正します。
ほんの少しも刺さりません。
これでは混ぜる以前の問題だ。ぐいぐい力任せに泡立て器を動かすも、かちかちバターには全く歯が立たない。
私は爽やかにヴィルを振り返った。
「無理です!」
「姫ちゃん諦め早いよ。聞きしに勝る根性なしじゃん?」
遠くからデニスが野次を飛ばしてきた。うるさいわよそこ。
しかしヴィルは動じない。
周囲の雑音など一切聞こえないかのように、いかめしく腕組みして私を見下ろした。
「混ぜるのだ、リリアーナ姫。厨房は暖かい。案じずとも、すぐにバターは柔らかくなる」
「いえ、でも」
反論しようと口を開きかけた私に、ヴィルは鋭い眼差しを投げる。ビリリと電流が走ったような緊張感が満ちた。
顔を引きつらせる私をとっくりと眺め、再びヴィルが重々しく口を開く。
「混ぜるのだ、リリアーナ姫。己の持てる全ての力を込めて。クッキーを食べてくれる者達の、心から喜ぶ笑顔を想像しながら。さあ、混ぜるのだ」
「は、はい……っ!」
喜ぶ笑顔。
私が美味しいクッキーを作ったなら、皆きっと感動して私を褒め称えるに違いない。「美味しいね」「さすがだね」「才色兼備だね」……。ああ、なんて素敵な賛辞の嵐なの!
俄然、やる気が満ちてきた。
勇気百倍、岩のように硬いバターに再度挑む。ぐぐぐと精一杯の力を込めて――……
「やっぱり無理です!」
清々しい笑顔でヴィルを振り返った。
***
結局、私が混ぜられる程度の硬さになるまでヴィルが引き受けてくれたので。
がしゃがしゃと不器用に泡立て器を動かして、最初よりは白っぽくなったバターをかき混ぜ続ける。右腕がだるくなったら左腕、左腕だと混ぜにくいから結局右腕と、左右交互に必死で動かす。……だけどもう無理、疲れたわ。
「ちょっと休け――」
「却下だリリアーナ姫。手を止める、それすなわち敗北なり。『美味しくなぁれ』と唱えながらしっかり混ぜるのだ」
強面師匠、厳しすぎ。
内心ため息をつきながらも、私のために時間を割いてくれているのだから、と己に言い聞かせる。深呼吸して「美味しくなぁれ……」と小さく呟いてみた。
途端に背後から叱責が飛んでくる。
「声が小さい! もっと腹の底から叫ぶのだっ!」
ええー。
だって意味ないじゃない。声に出すだけで美味しくなるなら苦労はないわ。
離れた場所からは、デニスがにやにやとこちらを見物していた。彼をきゅっと睨みつけ、やけっぱちで声を張り上げる。
「おっ、美味しくなぁれっ!」
「もっと可愛らしくーーー!」
「お、美味しくな・あ・れっ」
「まだまだーーーー!!」
「えへへっ、美味しくなってねっ。きゃっ!」
「あざとすぎるーーーー!!」
どうしろって言うのよ!?
一から十まで口やかましい師匠に毒づきながら、怒りをぶつけるようにしてバターを混ぜまくる。えいえいっ。このこのっ。
バターが柔らかくなるのに反比例するように、私の華奢な腕がカチコチになってきた。もう嫌つらいキツいだらけたい。
すかさず鋭い叱責が飛んでくる。
「負の感情を菓子に込めるなーーーっ。食べてくれる者達への愛情を込めるのだーーーっ!」
「みんなあぁーーーっ、愛してるわ大好きよーーーっ! 美味しくな・あ・れえぇーーーっ!!」
もはやヤケクソの私であった。
***
「――さあ焼けたぞリリアーナ姫。思う存分味見したのち、しっかりと反省点を述べるが良い」
「うんうん美味しいよ姫ちゃんっ。初めてにしちゃ上出来上出来っ!」
「ちょっと!? 私より先に食べちゃ駄目っ!」
わあわあ騒ぎつつ、記念すべき初手作りクッキーに手を伸ばす。
クリーム色のシンプルなクッキーは、歯で噛んだ途端にサクッと割れた。バターの豊かな風味が口の中いっぱいに広がる。
衝撃のあまりカッと目を見開いた。
「私ってば、もしや大天才……っ!?」
「思い上がりも甚だしいよ姫ちゃん。途中までバターを混ぜたのはヴィー君だし、焼き加減を見たのもヴィー君だからね?」
うっ。
それは重々承知ですけども。
いちいち茶々を入れるデニスにあかんべえして、私は強面ヴィー君へと視線を移した。深々と頭を下げる。
「ヴィー君、教えてくれて本当にありがとう! ……で、そのう。良かったら、また……」
もじもじと言葉を濁すと、ヴィー君は「言われるまでもない」ときっぱり首肯した。まあっ、なんて優し――……
「至高のクッキーに到達できるよう、新年を迎えるまで毎日ここで修業に励むが良い。無論このわたしも付き合おう」
違ーーーうっ!
千切れんばかりに首を横に振る。「そうじゃなくって!」と大慌てでヴィー君に詰め寄った。
「年末にもう一度手伝って欲しいの! ヴィー君と一緒なら、きっとまた美味しく出来上がると思うし」
「それは駄目だリリアーナ姫。新年の贈り物にするならば、全工程を一人でやらねばならぬ。これより毎日早朝から深夜まで修業に励むのだ」
「そんなに!? 絶対無理よ、お昼寝できないじゃない!」
――結局。
喧々諤々の議論の結果、二日に一度の早朝に、厨房の片隅とヴィー君を貸してもらうということに落ち着いた。
あああ、朝寝ができないじゃない……!




