第39話 この顔に、ピンときたなら?
メイベルは慌ただしく城下町へと旅立った。贈り物用のハンカチと刺繍糸を求めるとのだという。
一緒に行ってもよかったのだが、「駄目です! 出来上がってからのお楽しみ!」という彼女の意を尊重して、いったん別れることにした。
私は何を贈るべきかと頭を悩ませつつ、医務室を出てあてどなく王城内をさまよう。はあっと湿っぽいため息をついた。
「私に刺繍は無理だものね……。編み物なら指を刺す心配はないけど、今からじゃ時間が足りないでしょうし」
それ以前に編み物などしたことはない。
きっとボロボロの物体に成り果てるに違いないから、貰う方にとっても悲劇だろう。
「私の特技は昼寝だけ。ああ、なんて無情なの……」
くっと唇を噛み締めたところで、見覚えのある人影が視界を横切った。慌てて廊下の窓を開き、外の人影に向かって大きく手を振る。
「――サイラス! 収穫祭以来ね、元気にしていた!?」
私の前に歌を披露した、類まれなる音痴の王城庭師・サイラスだ。
髭もじゃな男は弾かれたように振り返った。私を認めて苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ぐぐぐ……っ。お前さんはコイン泥棒姫っ」
「…………」
ぐうたら姫、からの『ぐうたらーな教』教祖。
……からの、コイン泥棒姫。
あのね、と唇を尖らせた。
「出世魚じゃないんだから、次々とおかしなあだ名を付けないでもらえる? それに私は泥棒なんてしてないわ。あれは正当な報酬だもの」
とんだ濡れ衣にむくれつつ、ドレスの裾をさばいてよっこいしょと窓枠を跨ぐ。まんまるに目を見開いたサイラスが、慌てたように持っていた籠を置いて手を貸してくれた。
大きな籠の中にあるのはキャベツやかぶ、玉ねぎなどの新鮮お野菜。まあ、とっても美味しそう。
しゃがみ込んでまじまじと眺めていると、サイラスがぶしゅうと大きな吐息をついた。
「なんとまあ、非常識なお姫様だぁ。……お姫様は野菜が好きなのか? ちっとばかし持ってくか、ん?」
照れたように鼻の下を掻く彼に、私は笑って首を振る。
「私じゃ料理できないから、お気持ちだけいただくわ。サイラスは庭師なのにお野菜も育てているの?」
「ああ、ランダール城は至るところに畑があるんだぁ。儂も花を育てるより野菜作りの方が得意だな、うん」
再び籠を担いだサイラスに、私もなんとなくくっついて歩き出す。
冷たい北風に体を震わせ、羽織ったショールに鼻先を埋めた。かじかんだ指先を揉み合わせ、冬枯れして物悲しい庭園を見回す。
「きっとここも、春になったらお花が咲き乱れるんでしょうね?」
寒さのあまり早歩きして彼を追い越し、足踏みをしながら振り返った。ぱっと顔を輝かせたサイラスが勢い込んで頷く。
「そりゃあもう、見事なもんだぁ! 同僚に『精霊の手』を持つと称えられる凄腕の庭師がいるんだがな。もういい年の爺さんだが、あのおひとはほんにすごい。お姫様も楽しみに待っとくといい」
我が事のように胸を張る彼に、私まで嬉しくなって手を叩いた。
春の庭園――うららかな陽の下で、ガイウス陛下と二人で散歩するのが楽しみだ。ぜひとも木陰で並んでお昼寝しなければ。
うっとりと妄想に耽るうちに、王城の裏口に辿り着く。サイラスが握りこぶしでゴツゴツと扉を叩くと、内側から扉が開いた。
「寒い中ご苦労だったな、サイラス殿。……む」
ぬうっと現れた天を衝くような大男が、遥か高みから私を見下ろす。仰け反るようにして見上げると、男はグッと眉間に皺を寄せた。
その苦み走った表情になんだか見覚えがあって、ぽかんと口を開けてしまう。
無言で向かい合う私達を見比べて、ああ、とサイラスが手を打った。
「お姫様、このでっかい兄さん見たことあんだろぉ? 容赦なく儂を舞台から落としたひでぇ男だぁ」
「――ああ! あの時のっ」
サイラスが歌った後、彼の首根っこを引っ掴んで退場させた係の男だ。
改めて彼の顔をよく観察すると、左頬を十字に走る傷跡がうっすらと見えた。黒の短髪に、茶褐色の鋭い目。すっごく強面なんだけど……野性的で素敵。
ぽうっとなって鑑賞していると、大男が微かに口の端を上げて微笑んだ。どきっ!
「収穫祭ではご挨拶できず失礼した、リリアーナ姫。わたしは厨房の副料理長を務めている、ヴィル・レヴァンと申す」
「あ……その、ご丁寧にありがとうございます。私、わたくしはリリアーナ・イスレアと申します……」
もじもじと答え、大急ぎで視線を下げる。婚約者のいる身で、他の殿方に見惚れるだなんてもってのほかだわ。それは浮気よ、リリアーナ。
(それに――ガイウス陛下が知ったら、きっとまた妬いてしまうに違いないもの)
以前私がエリオットに見惚れていたと言って怒っていたし。
可愛らしく拗ねていた陛下を思い出し、我知らず頬がゆるんでしまう。すると突然、賑やかな声が割って入った。
「おおーっ!? お姫様じゃん、間近で見たらますます美人じゃんっ! なに寒いとこに立たせてるんだよヴィー君っ。ちゃんともてなさなきゃダメじゃんかっ」
ぱっと腕を取られて引き寄せられる。たたらを踏んで中に入ると、途端にむわっとした熱気に包まれた。
「わっ……?」
「うう、厨房はあったけぇなぁー。お姫様、茶でもご馳走になろうかぁ」
サイラスものんびりと私の後に続く。しかし、私の腕を引いた少年は笑顔でしっしっと手を振った。
「あ、おやっさんはお呼びじゃないから。ボクが茶を振舞うのは美人だけ。歌は普通でも満点を与えるのも美人だけ」
「…………」
私とさして身長の変わらない、十代半ばぐらいの少年を唖然として見つめる。この子は……そう、あれだわ。収穫祭の歌披露で、鐘を鳴らした審判の少年だわ。
「……歌は普通で悪かったわね?」
思わず半眼になって睨みつけるが、少年は全く悪びれた様子もなく、そばかすだらけの顔を向けてニカッと笑った。
「正確に言うと普通――よりもやや下だね! けどさぁ、聴衆があんな喜んでんのに鐘ひとつってわけにいかないじゃん? 忖度って大事じゃん?『長い物には巻かれろ』とも言うかなっ」
しばいたろかこの坊ちゃん。
ピクピクと頬を引きつらせる私を見て、苦み男性が顔をしかめて嘆息する。深々と私に頭を下げた。
「失礼な料理長で申し訳ない、リリアーナ姫。だがどうか、子犬が吠えているとでも思って悠然と聞き流していただきたい」
ええっ、この子が料理長!?
驚愕に目を見開いていると、そばかす少年が拗ねたように唇を尖らせた。
「犬の獣人はヴィー君の方だろー? それにボクの方がずっと年長なのに『子』って何さ。ヴィー君なんてまだ二十歳にすらなってない若造じゃんっ」
「…………え」
ちょっと待って。
じゃあこの子は一体何歳――っていうのも気になるけれど。
苦み男性、三十は余裕で超えてると思っていたわっ!?




