第4話 道連れはあなたに決めました。
それからの展開は早かった。
なぜか良縁を壊そうとするレナード兄の妨害も何のその、やる気満々の義姉に牽引されて、話はトントン拍子に進んでいった。
あと一週間でランダール王国に旅立つという夜、突然兄の執務室に呼び出された。
もうすっかり寝る体勢だったものの、仕方なくドレスに着替えて髪を結い、見苦しくない程度に身支度を整える。
私はお昼寝も居眠りも二度寝もうたた寝も等しく愛しているけれど、一番幸せなのは夜、ふかふかのベッドに身体を沈める瞬間だ。これから迎えるはずだった甘美なひとときを邪魔されて、憤りながらドスドスと足音を立てて兄の元へと向かう。
執務机の前に立った私を、兄はしばし黙りこくって見つめた。その顔は短期間でげっそりとやつれ果てている。
「……リリアーナ」
声にも全く力がない。
意気消沈した兄の姿に、先程まで感じていた不平不満は綺麗さっぱり消えてしまう。胸がつきんと痛んだ。
(きっと、私がお嫁に行くから寂しいんだわ)
もう、お兄様ったら。
私が可愛くてたまらないのはわかるけど、シスコンすぎるのも困りものね。もう少し妹離れしてくれなくっちゃあ。
鬱陶しさ半分、嬉しさ半分で苦笑する私を、兄はこれでもかと顔を歪めて見やった。……わかるわ。胸が千切れるほど切ないのよね、お兄様。
「違う。わたしは別の意味でお前を心配しているだけで……だが、そんな話はもうどうでもよく」
私の心を読んだかのように答えながら、苦しげに吐息をつく。
「ランダール王国には、純粋な人族が一人もいないのだ。セシルは勝手に滞在していたようだが、今はもう他国へ渡ったと聞いている。だからお前がかの国に赴く際には、侍女を数名と侍医を付き添わせるつもりだ。……侍女の人選に希望はあるか?」
「――まあ。それはなりませんわ、お兄様」
予想外の言葉に目を丸くしてしまう。
侍医はともかく、侍女を連れて行くなどまっぴらごめんだ。
彼女達の陰湿な陰口を舐めてはいけない。表面上はにこやかに「姫様」と持ち上げているように見えても、裏では散々「ぐうたら」だの「怠け者」だのと嘲っているのだ。
焦って兄の執務机に手を突き、ぐっと身を乗り出した。
「侍女なら、きっとあちらでご用意くださるはず。私、わたくし身ひとつで参ります」
大急ぎで言い終える。
だが、レナード兄は一気に顔色を変えた。
「それはいけない。お前を野放し――ではなく、やりたい放題――でもなく、えぇとあれだ。気の置けない側仕えの一人もなしに、大切な妹を嫁にやれるものか。お前が選べないと言うのなら、人選はわたしに任せてもらう」
うっ、その言い方はズルい。
反論しようと口を開きかけたものの、兄の鋭い一瞥にあえなく黙り込む。
怯みながらも必死で頭を回転させ、ややあって私は心を決めた。慎重に彼の顔色を窺う。
「……わかりました、お兄様。では――……」
***
一週間後。
船旅に備えて、常よりゆったりとしたドレスに白のケープという出で立ちで、軽やかに馬車を降り立った。潮の香りに目を細め、目の前に佇む帆船を惚れ惚れと見上げる。
ランダール王国が迎えに寄越してくれた巨大な船は、真っ白な帆が眩しく光り輝いていた。期待に胸を膨らませながら、見送りのレナード兄と義姉のドーラ様に頭を下げる。
「それではお兄様、お義姉様。わたくし、行って参ります」
「ああ。くれぐれも健勝でな、リリアーナ。面倒がらず、まめに近況を報告するように。無理だと思ったら迷わなくていい、すぐに帰国して構わな――」
「リリアーナ様っ。ランダール王国は食と風土に恵まれた素敵なお国だと伺っております。きっと貴女も気に入りますわ!」
不安げに顔を曇らせるレナード兄を押し退けて、義姉のドーラ様が私の手を握る。私も感極まって思わず涙した。
「ええ、ありがとうございますお義姉様。――さ、参りましょうか? メイベルさん」
傍らに無言で立ち尽くす、つばの広い帽子をかぶった女性に声を掛ける。つややかな黒の巻き毛に、珍しい紫紺の瞳。彼女は無表情に私を見返すと、ツンと顎を反らして一歩前に出た。
スカートの裾を持ち上げ、レナード兄達に向かって礼を取る。
兄も力強く彼女に頷きかけた。
「メイベル嬢。どうか妹をよろしく頼む」
「はい。リリアーナ殿下のことはわたくしにお任せくださいませ。及ばずながら、精一杯務めさせていただきます」
澄んだ声音できっぱりと言い切って、彼女――メイベル・コレットは私を促した。
もう一度兄達に手を振り、ランダール王国の騎士らしき男にエスコートされるまま船に乗り込む。彼も獣人のはずだけれど、ちらりと見上げた横顔は人族と何ら変わりない。
豪華な客室に案内され、はおっていたケープを脱ぎ捨てた。ほっと安堵してソファに横たわり、沈み込むほど柔らかなクッションに頭を載せる。もぞもぞと動き、やっと収まりのいい角度に落ち着いた。
「ああ、早起きしたら疲れたわ……。私は少し眠るから、メイベルさんものんびりしてね」
「………」
寝っ転がったまま声を掛けるが、メイベルは返事もせずに、額に青筋を立てて私を睨みつける。……あっちゃあ。
(怒り心頭、って感じね……)
まあ、不本意なのはわかるけど。
内心こっそりとため息をつく。
本当は侍医も連れてくるはずだったのだが、ランダール王国にも人族を診られる医者はいるとのことで、侍女だけを選出することになったのだ。私の付き添いは正真正銘彼女ひとりきり。
もっと人数を、と主張する兄をなんとか説得し、義姉付きの侍女だったメイベルを私が指名した。
うしろめたい思いに蓋をして、のろのろと起き上がる。上目遣いに瞳を潤ませた。
秘技。
何を怒っていらっしゃいますの? わたくし訳がわかりませんわ……の術。
「……何を白々しい」
ケッと舌打ちして、メイベルは荒々しく椅子に座り込む。長いスカートをさばき、大きく足を組んだ。
「あのぉ……。メイベル、さん?」
淑女にあるまじき行為に唖然とする私を、メイベルは冷めた目で見やった。
「リリアーナ殿下。どうぞ、わたくしのことはメイベルとお呼びくださいまし」
「わ、わかりました。メイ、ベル」
「しゃべり方も、もっとぞんざいに。わたくしは貴女様の侍女なのですから」
「わ、わかり……わかったわ」
……駄目だ。
貫禄が違う……というか、完全に迫力負けしてる。
確かメイベルは私よりひとつ上、十九歳だったはず。ひとつ違いで大違いだ。
クッションを抱き締めて小さくなっている私をとっくり眺め、メイベルは皮肉げに唇を歪めた。
「――それで? 親愛なるリリアーナ殿下。ちっぽけな自尊心は満足されましたか? 『ぐうたら姫』と蔑まれるばかりだった自分が、己より惨めな女を王城から救い出せたと。人助けをしてやったと。さぞかし鼻高々なことでしょうね?」