第34話 勝利を我らが手に!
「はあ……っ、はあ……っ」
「リリアーナ。大丈夫か?」
案じるように振り返る陛下に、必死で頷き返す。すっかり息が上がってしまい、声を出したくても出せないのだ。
足は鉛のように重くなり、もはや惰性で動かしているだけ。走る速度もどんどん鈍くなる。
「へ……か……。やっ、ぱり……」
私のことは置いていって。
そう頼もうとした瞬間、歩道からわあっと歓声が上がった。興奮に顔を赤く染めた人々が、押し合いへし合いしながら陛下に向かって身を乗り出す。
「――あれはガイウス陛下じゃないかっ!?」
「本当だ。陛下が、収穫祭に……!」
大きな拍手と耳が痛くなるほどの声援に、思わず笑みがこぼれた。やはり大きな体はマントでは隠しきれず、早々にバレてしまったらしい。
手を伸ばしてガイウス陛下の服をきつく握り締めると、彼は何故か牙を剥き出しにして唸り声を上げた。……へっ?
「ガイウス、陛……?」
「リリアーナ――掴まれっ」
ぱっと腕を引き寄せられ、陛下は軽々と私を抱き上げる。一瞬にして地面が遠ざかり、慌てて彼のやわらかな毛並みにしがみついた。
「逃げるぞっ!」
「ええっ!? だって、せっかく皆あんなに――」
喜んでくれているのに。
そうたしなめようとした私の目に、とんでもない光景が飛び込んできた。
上着を脱ぎ捨て、獣型をとった国民の皆さんが――大挙して押し寄せてくるっ?
「ええええっ!? なになになに!?」
陛下の背中をバンバン叩く。
しかし片手で私を担いで走る陛下は死にものぐるいで、どうやら答えるどころではなさそうだ。私も陛下の首に回した腕に、懸命に力を込める。
「なん、なんで追ってきてるのっ?」
「妨害だっ。スタートの時だけはっ道が封鎖されているが……!」
一定時間を過ぎれば封鎖は解除される。
そして、参加者以外の有志の国民は……レース参加者の邪魔をするというのだ。
息も絶え絶えになりながら、陛下は必死で説明してくれる。
「日没、までに。『精霊の実』を手に入れられなければ、その他の国民の勝ち……っ」
その場合、「今年の参加者は骨がねえなぁ、ハッハッハッ!」と敗北者を肴に祝杯を上げるとのこと。ひどっ!
上下の激しい揺れに、落っこちないようしがみつきつつ、せわしなく空を見上げた。
「で、でも。日没までって言われても……!」
もう陽はかなり傾いて、オレンジ色の西日が目に痛いほどだ。間に合うのかと不安になる。
「俺に任せろっ。一度参加すると決めたからには……全力を尽くすっ!!」
燃えるような眼差しで前方を見据え、陛下は力強く地面を蹴った。一足飛びに屋台の屋根に降り立ち、牙を剥き出しに地上を見下ろす。
ぎゅ、と私を抱く手に力を込めた。深々と胸を膨らませる。
――ガゥオオオオオッ!!!
空気がビリビリ震えるほどの咆哮に、私は瞬きすら忘れて陛下を凝視した。
不思議と恐怖なんかちっとも感じない。むしろ包み込まれているような――温かな安心感があふれてきて、強ばっていた身体から力が抜けてゆく。
「うわああああっ!!?」
「お許しをーーー!!!」
悲鳴を上げた獣人さん達が、転がるようにして一斉に地面にひれ伏す。ガイウス陛下は悠然と鬣を揺らすと、下界の彼らを重々しく見渡した。
「ふっ。皆の者、その目に焼き付けるがよい。わたしと、我が婚約者――リリアーナの勝利をな!」
傲然と胸を張り、またも高く飛んで地面に降り立つ。私を抱えたまま、一目散に駆け出した。
陛下の温かな腕の中、首をよじって彼を見上げる。真面目くさって一声叫んだ。
「……皆の者! 焼き付けるがよいっ!」
「あああああああ! 違うんだリリアーナ王として時にはハッタリも必要なわけであああああ!!」
泡を食って言い訳を始める陛下に噴き出してしまう。
声を上げて笑いながら、彼のふかふかの毛並みに顔を埋めた。「ふぎゃ」というしっぽを踏まれた猫みたいな声に、ますます笑いが止まらなくなる。
滲んだ涙をぬぐい、うきうきと声を張り上げた。
「――さあっ、この調子で頑張ってくださいませ陛下! 勝利を我らが手にっ!」
えいえいおー、とこぶしを突き上げると、バランスを崩したのか陛下がつんのめる。きゃあっと悲鳴を上げてまた大笑いした。
そうやって大騒ぎするうちに、あっという間に中央広場に到着する。
もっとこのひと時を楽しみたかった私は、何やら残念な気持ちに駆られてしまう。
しかし陛下は安堵の吐息をついた。無人の舞台を見やって、嬉しげに目を細める。
「やったな、リリアーナ。俺達が一番乗り――」
言いかけたところで、背後から凄まじい地響きが聞こえた。息を呑んだ陛下は、私を抱く手に力を込めて振り返る。
「ぅおっしゃあああああ!『全コイン没収の罰』ってのは、おそらくここのことだよなーーーっ」
「おうよ!『異国の至宝、ここにあり』っつーのは陛下の婚約者様のことだっ」
あら、異国の至宝?
宝だなんて、いくら本当のことでも照れちゃうわ。
だらしなく頬をゆるめたところで、はっと我に返る。――しまった、他の参加者にも『精霊の実』の在処がバレちゃってるじゃない!
大慌てで陛下の鬣に手を突っ込んだ。五本の指でわしゃわしゃと縦横無尽に掻きむしる。
「ガイウス陛下っ。急がなくてはっ!」
「やめっ、くすぐったあはははは!」
笑ってる場合じゃないったら!
唇を尖らせて揺さぶると、陛下は取り繕うように咳払いした。
「よ、ようし行くぞっ。しっかり掴まっていろ!」
一声吠えて、ガイウス陛下は大きく跳躍した。私が歌を披露した舞台へと一息で駆け上がり、二人で懸命に辺りを見回す。
だが目につく限り、果物のようなものはどこにもない。
私も陛下の腕から降りて、しらみつぶしに床を探した。
「おかしいわ……。ヒントが示すのは、絶対にここのはずなのに」
私の言葉に、跪いて舞台を調べていた陛下がはっと顔を上げる。驚愕したように目を見開き、慌ただしく立ち上がった。
「――そうか! ヒントだリリアーナ、俺のヒントを思い出すんだっ」
ガイウス陛下の?
眉間に皺を寄せて考え込む。
えぇと、確か陛下の参加証に記されていたのは。
『目線よりは上』
「……っ。あああああっ!!?」
大絶叫して、二人して弾かれたように頭上を見上げた。天に向かってまっすぐ伸びる、物見櫓が目に入る。
てっぺんにあるのは、赤銅色の鐘――に紐で吊るされた、まんまるの物体。
夕陽を反射して、きらきらとこぼれんばかりに光り輝いている。
「あっ………もが!」
歓喜の声を上げようとしたら、素早く口を塞がれた。陛下が必死の形相で私に覆いかぶさる。「しぃーっ」と怖い顔でおひげを震わせた。
あら、おひげがほっぺに当たってくすぐったいわ。
飛び出しそうになったくしゃみをなんとか堪え、しかめっ面で陛下に頷き返す。その瞬間、木造の舞台が激しく揺れた。
参加者の獣人達が一斉に到着したのだ。
「どこだっ、精霊の実はどこにあるっ!?」
「オイてめぇ! 抜け駆けすんじゃねぇよ!!」
殺気立った様子で言い争う彼らを眺めつつ、私と陛下はさりげなく舞台から降りる。そろり、そろりとカニ歩きして――
「あーーーっ! ガイウス陛下と婚約者のお姫様だ!!」
しまった、見つかっちゃった!
大慌てで物見櫓の柱に手を掛ける。
梯子に片足を載せようとした瞬間、突然ふわりと体が浮いた。腰に腕を回したガイウス陛下が、強引に私を引き寄せたのだ。
唸り声を上げ、小刻みに震えながらくわっと大きなお口を開く。
「スカートで梯子なんか登るんじゃありませんっ!!」
「…………」
ですよねっ!
陛下の保護者的突っ込みに、我に返って赤面する私であった。




