第32話 追いかけっこな一日は、まだ終わらない?
「――も、もう大丈夫だ」
私とメイベルが後ろを向いている間に、木箱の陰で手早く着替えた陛下が声を上げる。
振り返ると、獅子の陛下はいつもの緋色の礼服姿ではなく、簡素な麻の服に身を包んでいた。決まり悪げに鬣を掻いている。
「随分と動きやすそうな服ですね?」
首をひねる私に、「収穫祭はまだ終わっていませんからね」とエリオットが口を挟んだ。ちなみにこの服は、彼がお城から持ってきてくれたものだ。
エリオットは破れた服を畳むと、ポケットからブラシを取り出して、陛下の乱れた鬣をふぁさふぁさと丁寧に整えた。少し離れて全身をとっくり検分し、ややあって満足気に大きく頷く。
「恥ずかしがり屋の陛下が、そう長く人型を保てるとは思えなかったもので。こうして着替えを片手に馳せ参じた次第です」
「いや待て。なぜ、俺が人型で出掛けたのを知っているんだ……」
げんなりと肩を落とす陛下を見て、イアンとエリオットがおかしそうに顔を見合わせた。
「朝から姿が見えなかったからなぁ。お前が仕事を放り出すなんざ、どう考えてもおかしいだろーが」
「イアンと二人で陛下の部屋を調べてみたら、案の定人型用の服が一式消えていたわけです。……お陰で捜索のため、わたしまで収穫祭で遊ぶ羽目になってしまいました。ああ、なんて可哀想なハロルド……」
ぺちんと額を叩き、エリオットが悲しげにうなだれる。いや、別に遊ぶ必要はなかったんじゃ……?
呆れる私の隣で、メイベルも大仰に顔をしかめた。
「それじゃあ何? リリアーナ殿下をガイウス陛下が尾けて、ガイウス陛下をエリオットとイアンが追ってたわけ?」
「正確にはわたしだけです。イアンにはリリアーナ様の護衛がありましたし、ついでに妹は料理審査の担当でしたから。……ま、かなり早い段階で発見できたので、ひとりでも特段問題ありませんでしたが」
「あんな怪しげな格好、目立つにも程があるもんなぁ。むしろ全く気付かねぇ姫さん達にびっくりしたわ」
口々に畳み掛けられて、メイベルと二人で黙り込む。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。
陛下は陛下で、「くっ、まさかそんなに目立っていたとは……!」と鬣を抱え込んで打ちひしがれている。……気にすべきはそこなのかしら。
「何にせよ、ガイウス陛下が初めて収穫祭に参加したわけですから。生温かく放っておこう、という結論に達したわけです」
おごそかに締めくくると、エリオットは着替えの入っていた鞄から毛織物のマントを取り出した。ぺしゃんこになった鞄はイアンに押し付け、大きなマントを頭から陛下に被せる。
「さ、これで王とはバレません。多分。リリアーナ様と共に、レースに戻られるといい」
「んだな。まだ勝敗は決してねぇし」
「え。でも……」
けしかけるような二人の言葉に、戸惑いつつ陛下を見上げた。ここで随分時間を使ってしまったから、もうとっくに誰かがゴールしたに決まってる。
しかし、陛下は静かにかぶりを振った。
「いや。このレースは速さを競うものではない。精霊の実……正確には実を模した石を見つけ出し、その手に掴んだ者が勝者となるのだ」
そういえば、これは『精霊の実みーっけ!』競争だったっけ。
でも……それなら、あんなに死にものぐるいで走る必要はなかったんじゃあ?
皆一直線に突進していたから、てっきり駆け比べだと思っていたのに。
疑問を口に出すと、なぜか全員がぽかんと口を開けた。
陛下は鬣を揺らして首をひねる。
「すまない。君が何を聞きたいのか……?」
「競争相手が走ってたら、走るだろ。普通」
「追い越されたら、追い越し返すでしょう。普通」
すみません。
全くわからないです。
苦笑しながらメイベルへと視線を移すと、メイベルはきゅっと唇を引き結んだ。重々しく頷く。
「ええ、わかりますとも。敵を蹴散らして先頭に立ちますわよね。普通」
「…………」
この一帯だけ、普通の基準がおかしい気がする。
これが多数決――数の暴力というものなのね。
敗北を噛み締めていると、イアンが私の腕に巻かれていた赤い布をほどいた。にやりと笑って私に差し出す。
「参加証には実の隠し場所の手掛かりが記されてる。調べてみろよ、ガイウスも」
「い、いや。俺は、そのぅ……別に途中棄権で構わないというか」
慌てたように手首を隠してしまった。
毛むくじゃらの太い指の隙間から、白い布がわずかに見えている。……ん? 白?
「あら。私とは参加証の色が違うんですね?」
「コインの枚数に応じて変わるのさ。それに、手掛かりの重要度もな。――つうか、ガイウスはいつの間にコインを手に入れてたんだ?」
ガイウス陛下はグッと喉を詰まらせ、挙動不審に視線を泳がせた。しばし黙り込んだあと、「……拾った」と小さく呟く。
「拾ったぁ!?」
大仰に眉を上げるイアンに、陛下はバツが悪そうに首肯した。
「追いかけていた相手が、俺の目の前で落としていったんだ。呼び止めたのだが、振り返ってすらもらえず……」
リリアーナがレースに参加するのを見て、つい魔が差して使ってしまった。
巨体を縮め、申し訳なさそうにおひげを垂らす。
(……私を助けようとしてくれたのね)
くすぐったさに笑みがこぼれた。
ぴょんと跳ねるようにして陛下の腕に寄り添うと、陛下の毛並みがぶわわと逆立った。しっぽもブラシのようにぼわんと膨らむ。いや怯えすぎ怯えすぎ。
噴き出しそうになるのを堪え、彼の大きな手に私の手を重ねた。巨体が跳ねるのに構わず、上目遣いを潤ませる。
「ガイウス陛下……お願い。見、せ、て?」
「どうぞ見てくれさあこれだ」
即座に白い布を差し出してくれた。やった、手掛かりを手に入れたわ!
普段の私なら勝負事になんか全く興味はないけれど、今日はせっかくのお祭りだもの。――まして、ガイウス陛下と一緒に参加できるのだ。
これはそう、あれよ。
(二人、初めての共同作業というものね……!)
舞い上がる私の後ろでは、「悪女だ……悪女がいる……」「無自覚で貢がせるタイプですね」「何言ってるの、女はあれぐらいでいいのよ」などと外野が騒いでいる。
あら、つまりはぐうたら貢がせ悪女リリアーナってこと? ……ちょっぴり長いけど悪くはないわね。
そろりそろりと悪女から逃げようとした陛下をすかさず捕獲し、上機嫌で布を開く。二人同時に中を覗き込んだ。




