第31話 見惚れるほどの。
震える指先を、彼のフードに押し当てる。
期待と不安でもう喉はからからだった。
心臓はうるさいほどに高鳴っていて、ガイウス陛下に聞こえるのではないかと心配になる。胸苦しさを堪え、深く息を吸った。
「……と。取り、ます……」
掠れ声で宣言すると、陛下も覚悟したように唇を引き結んだ。そのこぶしは血管が浮き出るほどきつく握り締められている。
緊張しきりの彼を見て、なんだか私の方は逆に落ち着いてきた。むしろわくわくと高揚するような、叫び出したくなるような不思議な気持ちが溢れてくる。
(――ああ、やっと)
出会って初めて、彼が素顔を――心を、私に見せてくれる。
もう一度深呼吸して、えいやっとひと思いにフードを取り払う。
その瞬間、眩しさに目を眇めた。鬣と同じ金茶色の髪が、陽光を反射して痛いぐらいに輝いたから。
もどかしく目を擦り、改めて彼を見上げ――ビシリと凍りついた。
「待って何それっ!!?」
素っ頓狂な叫び声を上げてしまう。
「なんで、仮面を着けてるのっ!?」
陛下の目元は純白の仮面で覆われていた。全身をすっぽり隠す真っ黒なローブと相まって、不審者……もしくは変質者感満載だ。
脱力して崩れ落ちた私に、陛下は慌てたように目線を合わせる。
私の肩に手を置き、おろおろと「ね、念には念をと思って……」と泣き出しそうに眉を下げた。いえ、泣かなくていいから先に教えてくださいな……。
もお、とため息をこぼして再挑戦する。
今度は気負いも何もなく、ごく無造作に怪しげな仮面を取り外した。
「……っ」
ガイウス陛下が声なき悲鳴を上げる。
しかし私は言葉もなく、魅入られたように彼の瞳を覗き込むばかり。――獣型のときと同じ、黄金の太陽のように温かな瞳を。
切れ長の美しい瞳は、今は不安気に揺れていた。
サラサラの髪は風になびくたび、光がほろほろとこぼれ落ちる。考える間もなく、その光に向かって手を伸ばした。
細く柔らかな髪に触れた途端、陛下がビクリと身をすくませる。気付かない振りをして、ゆっくりと指をすべらせた。
(……――きっと)
精霊が実在するとしたら、こんなふうに光を纏っているに違いない。
はっとするほど惹きつけられて、厳重に隠された宝物みたいで、見つけたら触れずにはいられなくって……。
「――それでも。絶対に陛下の方が綺麗だわ」
自信たっぷりに言い切ると、がちがちに体を強ばらせていた陛下が目を瞬いた。くすりと笑って立ち上がる。
「リ、リリアーナ……?」
跪いたまま上目遣いに私を見上げる彼に、しとやかに手を差し伸べた。
二人向かい合い、言葉もなく立ち尽くす。
その顔立ちは作り物のように完璧に整っているものの、どこかまだ少年のあどけなさを残していた。じっと見つめ続けているうちに、だんだんと彼の顔が赤らんでくる。
それでも目を逸らさない私に、陛下が怒ったように咳払いした。ふいとそっぽを向いてしまう。
「リ、リリアーナは。初めて会ったとき……エリオットに見惚れていたっ」
「……え?」
そういえば、そんなこともあったような……?
今となってはエリオットに見惚れることなど皆無なので、すぐにはピンとこなかった。首をひねっていると、陛下は耳を赤くして振り返る。
「そ、それから別の日にはハロルドの手を握っていたっ。熱く語り合っていたし……!」
「それは単なるぐうたら布教です。……だって私、不本意ながら教祖になってしまったのだもの」
唇を尖らせて、離れてしまった陛下との距離を詰める。
つ、と指でローブをなぞり、そのまま手の平いっぱい握り込んだ。いたずらっぽく彼を見上げる。
「……ガイウス陛下も勧誘予定なのよ? 近いうち、二人で一緒にお昼寝しませんか?」
「――一緒にっ!!?」
陛下がどかんと真っ赤になった。
及び腰になりかけた彼に、逃がすものかとますます密着する。
「精霊廟でお昼寝したいの。いつにしますか? 明日、それとも明後日?」
つま先立ちで背伸びして、至近距離から顔を覗き込んだ。陛下の瞳がゆらゆら揺れる。
視線をさまよわせ、ごくり、と喉を上下させた。
「誘うのは……俺だけか? エリオットや……ハロルドではなく? ……ついでにイアンも」
イアンってばついでになってるわ。
苦笑しそうになるのを堪え、表面上は生真面目な顔を取り繕う。しかつめらしく頷いた。
「皆でごろごろお昼寝も悪くないですけど。――二人きりでなら、陛下だけだわ」
だって、私達は婚約者でしょう?
はっと息を呑んだ陛下は、へにょりと口角を上げる。しかしすぐに慌てたように引き結ぶ。そしてまた緩む。
百面相を繰り広げる彼を見て、我慢できずに噴き出してしまった。声を上げて笑う私に、ガイウス陛下も頬を上気させて笑い出す。
「リリアーナ……。俺は、本当は君に……」
潤んだ瞳で、私の耳元に熱っぽく囁きかけた。
突然雰囲気の変わった彼に、どきりと胸が高鳴る。身を寄せ合うような距離の近さに、今更ながら恥ずかしくなってきた。
「が、ガイウス陛下……」
「逃げないでくれ」
体を離そうとした途端、きゅっと指を絡め取られる。頬が一気に熱くなる。
(……って。さっきと形勢逆転しているわ……!?)
おろおろと視線を泳がせると、陛下が大きな手の平を私の頬に当てた。顔が固定され、もう逃げられない。
「ガイウス陛下……」
「リリアーナ……」
距離が、近――……
「いったああああッ!!! おい、いたぞ姐さんここだエリオットーーーーッ!!! 者ども出合え出合えーーーーーい!!!」
「きゃああああああっ!!?」
「にゃああああああっ!!?」
――バリィッ!!
路地の隙間から突如イアンが現れ、ガイウス陛下と共に大絶叫してしまう。弾かれたようにお互い離れた瞬間、何かが裂けるような音が聞こえてきた。
「えっ? えっ?」
目を白黒させていると、ガイウス陛下が地面にへたり込んだ。ぺしょりとおひげを垂らす。……あら。おひげ?
気付けば、陛下は見慣れた獅子の姿に戻っていた。
きゅっと縮こまるようにして、今はぱつぱつになってしまったローブの前をかき合わせている。しゅんと鼻を鳴らし、悲しそうに私を見上げる。
「そ、そのぅ……。驚いてしまって、つい……」
「あーあ、いきなり元に戻るから。人型の服を破いてしまいましたね?」
呆れたように眉を上げながら、今度はエリオットが悠然と歩み寄ってきた。後ろにはメイベルもいる。
「リリアーナ殿下っ! ご無事でよか……いえ、お顔が真っ赤ではありませんか!」
顔色を変えたメイベルが、慌ただしく私の額に手を当てる。いえ、これは違くて……!
誤魔化そうとしたところで、イアンがのほほんと口を開いた。
「あー、いちゃついてる最中だったからじゃね?」
『いちゃついてないッ!!』
毛を逆立てたガイウス陛下と声を合わせ、間髪入れずに怒鳴り返す。……ていうか、イアンったら……!
(わかってたなら、邪魔しないでほしかったわ!!)
思わず憤然と頬をふくらます私であった。ああ、惜しいことしちゃった……!




