第30話 待ち人来たりて。
もこもこした、見るからに暖かそうな毛皮。
ふわっふわの長いしっぽ。
ぴんと上向いた三角形のお耳。
私の遥か後方にずらりと横並びしているのは、種の異なる様々な動物達。
普通の動物と明らかに違うのは、その体躯。
通常なら手の平に乗るぐらい小型の動物も、四本足で歩くはずの動物も。皆人族と変わらぬ大きさで、二本足でしっかりと大地を踏みしめている。
そして服もきちんと身に着けている。なんなら蝶ネクタイまでしてお洒落している。
犬にウサギ、ネズミに猫ちゃん。トサカの立派なニワトリさんに、お目々の吊り上がった狐さん。
あら、楽しげにお腹をぽこぽこ叩いているのはタヌキさんかしら?
隣にはまるまる肥えた熊さんもいるわー。うふふ、大っきい。きっと華奢な私なんかひとひねりねー?
うふふ、あはは、おほほえほっえほっ。
「リリアーナ殿下っ。お気を確かにー!」
「単に獣型とってるだけだって! ガイウスよりは怖くねぇだろっ!?」
へろへろ笑って咳き込む私に向かって、遠くから叱責が飛んでくる。虚ろな目を向けると、イアンが必死の形相で身を乗り出していた。
「いいか姫さんっ!? 開始の合図と共に、全速力で端っこに逃げるんだっ。この先の区画は競争用に閉鎖されてる! 脇道にでも隠れとけ!」
「わ、わかったわ……」
小さく頷き、もう一度動物さん達を振り返った。
――落ち着くのよ、リリアーナ。
彼らと私の距離は充分離れている。コイン五十枚の分だけ、私の方が有利なのだ。
(全力疾走して……華麗に避けてみせるっ)
ぐっとこぶしを握ったところで、太鼓の音が地鳴りのように響き渡った。係の男が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「精霊の実みーっけ対決!! 始めええええぇっ!!!」
よしっ。
飴屋さんとの追いかけっこで疲れきった足を叱咤して、前だけ見据えて走り出す。自分としてはかつてない速さで駆けているつもりだったが――背後の「うおおっ」という雄叫びが、だんだんと近付いてきている、ような……?
我慢できず、ちょびっとだけ後ろを窺った。
「きゃああああっ!!?」
思いのほか近くに動物の鼻面があり、戦慄の悲鳴を上げてしまう。ちょっ、待っ……ええっ!?
ドドドドド、と地面を激しく揺らしながら動物の群れが迫ってくる。……先頭を突っ走っているのは――猪!?
(たっ、助かる方法を考えるのよ!)
えぇと、そう。
つまずいて転んで、踏んづけられれば――圧死。
追いつかれて、弾き飛ばされれば――轢死。
……って。
死に方を考えてどうするの自分!?
ぶんぶんと激しく頭を振ったところで、思いっきり蹴っつまずいた。はい、圧死コースに一名様ご案内ー。
――思いのほか、ゆっくりと体が傾いでいく。
転ぶのなんてほんの一瞬のはずなのに、時の流れがやけに鈍くさい。
それでも少しずつ少しずつ、視界いっぱいに地面が広がって――
(……ああ。結局、ガイウス陛下と仲直りできなかったわ……)
脳裏にふさふさな婚約者の姿が蘇る。
それから怒り顔のメイベル、無表情のディアドラにエリオット。豪快に笑うイアンと、お小言ばかりのハロルドまで。
(これが走馬灯というものなのね……)
せめて、コハクに幻のりんご飴(毒味)を渡したかった。彼の真っ白なうさぎ耳には、きっと赤色がよく映えたはずなのに。
そう、うさぎ耳……。どうせここで死ぬのなら、一度ぐらいあのふかふかを触らせてもらえばよかった……。
淑女ぶってないで、もっと欲望を前面に押し出すべきだったわ。……そう、ガイウス陛下に対しても。
後悔先に立たずとはよく言ったもの。
これから死ぬというときなのに、煩悩がちっとも去ってくれない。苦笑しながら目を閉じた。
「――リリアーナッ!!!」
刹那。
悲痛な叫びと共に、肩に鋭い痛みが走る。背後から腕を掴まれ、千切れそうなほど荒々しく引き寄せられたのだ。そのまま足をすくわれて、ふわりと体が宙に浮く。
「……え」
「掴まっていろっ」
一声吠えて、飛ぶように走り出した。状況が飲み込めないながらも、振り落とされないよう懸命に真っ黒なローブを握り締める。……ん?
(黒い、ローブ?)
そういえば。
黒いローブを身に着けて、顔を隠した長身のひと。
今日……収穫祭の間に、何度か見聞きしたような……?
横抱きにされた体を少しだけ離し、走り続ける彼を注意深く見上げる。
フードを深々と被っているせいで表情は窺えないものの、その顔立ちは紛れもなく人族のもの。私を抱く力強い腕にだって、もちろん動物の毛なんか生えていない。
――それでも。
フードからわずかにこぼれ落ちる、明るい金茶色の髪。
それに、さっきの声。
普段の彼の声とはちょっぴり響きが違う気がするけれど。
必死で私を「リリアーナ」と呼ぶ、このひとは……。
「……ガイウス陛下?」
そっと囁きかけると、彼はぎくりと体を強ばらせた。無言でますますスピードを上げる。
首をひねった私は、彼のなめらかな頬に手を伸ばした。人差し指でつんとつついてみる。
「んにゃあっ!?」
あら、やっぱり陛下だわ。
嬉しさに笑みがこぼれて、細身だけれどたくましい体に思いっきり抱き着いた。
獣型のときのような柔らかさはないものの、トクトク響く鼓動が私に安心感を与えてくれる。
すり、と頬ずりして目を閉じた。トクトク、トクトク……。
ドクドク。
ドゴッドゴッ。
ドッドッドッドッドッドッ!
ドドドドドドドドドドドドドドド!!
「えええ!? へへ陛下っ、ひどい動悸だわ!!」
って、考えてみたら当然よねっ?
いかに私が華奢で繊細で儚くて羽のように軽いとはいえ、人ひとり担いで全力疾走しているんだもの!
「もう降ろしてガイウス陛下っ。私、ちゃんと自分で走れるから!」
バンバンと彼の胸を叩くけれど、やはり返事もしてくれない。私を抱く手にことさら力を込める。
「……飛ぶぞ。掴まっていろ」
低い声で告げたかと思うと、宣言通りガイウス陛下は横っ飛びに飛んだ。
慌てて目を閉じて、彼の胸に顔を埋める。着地の衝撃の後は足取りが少しずつ緩やかになり、やっと揺れが止まった。怖々と顔を上げる。
――うおおおおおっ!!!
怒号と共に、獣人達が次々と走り去っていく。
どうやら陛下は大通りの脇道に逃げ込んだらしい。
積み上げられた木箱の陰に隠れ、ゆっくりと私を降ろしてくれる。ためらうように手を伸ばし、私の左肩に優しく当てた。
「痛っ」
「……っ。すまない。咄嗟で、手加減できなくて……」
苦しげに謝罪すると、慎重な手付きで怪我の具合を確かめる。ややあってほっとしたように息を吐いた。
「よかった、脱臼はしていないようだ。……リリアーナ。君に、謝らなければ……。恐ろしい思いをさせてしまったことも、せっかくの誘いを断ってしまったことも……」
ぎゅっとフードを押さえて頭を下げる彼に、小さくかぶりを振る。
「いいえ。私も、意地を張ってごめんなさい。……今日は一日、私を追いかけてくれたのね。その怪しげな格好で」
いたずらっぽく見上げると、彼はぐっと言葉を詰まらせた。うろたえたように手で顔を隠し、長身の体躯をきゅうと縮ませる。
「し、獅子の姿では民衆に王とばれてしまう。かといって人型は見せられない……から、せめてこのローブで正体を隠そうと」
「もう。早く声を掛けてくれたらよかったのに。お祭り、一緒に回りたかったわ」
唇を尖らせて拗ねる私に、彼はますます慌てふためく。
笑い出しそうになるのを必死で堪え、彼の胸に身を寄せた。ぶかぶかのローブをそっと指でなぞる。
「……ね。お顔を、見せてくれる?」
……なんて。
本当は、お願いするのが怖くもあった。
いつかのディアドラの言葉を思い出したから。
――強き王に無防備な人型を見せろと言うのは、己に心を開け、弱みも全てをさらけ出せと言うも同義なのだ。
死刑執行を言い渡される罪人の気持ちで待っていると、ガイウス陛下が身じろぎした。喉仏がごくりと上下して――微かに頷く。
「き、君が……。フードを、取ってくれ」




