第3話 もしや、理想郷ではないですか?
ランダール王国。
そこは獣人の王が統治する、獣人達だけが住む楽園。
イスレア王国を含めて人族の国との交流はほとんどなく、建国より長きに渡って半鎖国状態を貫いている……はず、だ。
「……でも。確か、貿易だけはしているのよね」
独り言ちながら、自室の本棚を乱暴にひっくり返した。
ようやっと埃を被った地理の教科書を発掘し、ぱんぱんと叩いて該当するページを探し出す。……まさか今更、教科書をめくる羽目になるとは。
ため息をつきつつ、壁に寄りかかって教科書を読み上げる。
「えぇと、なになに。『ランダール王国は北端のカザル港でのみ対外貿易を行っており、主な交易相手国は北のイスレア王国である……』。え、そなの?」
自国の姫として、知らないのはちょっぴり問題かもしれない。
落ち込みかけたものの、なにせ私は自他ともに認める駄目人間。すぐさま立ち直り、さらにページを繰っていく。
「ランダール王国は気候に恵まれ……うん。ならお昼寝もしやすそうね……。漁獲量が多く、農作物も豊かで……うん。なら食いっぱぐれもなさそうね……」
ぶつぶつと呟きながら、頭の中で情報を整理する。
獣人は争いを好まない温厚な種族で、古来より精霊をあつく信仰している。精霊とは森羅万象――植物や水、砂の一粒一粒にまで宿るとされる力ある霊魂、すなわち神と同義であり…………
ぐう、すかー。
「……はっ。いけないいけない。危うく、立ったまま寝落ちするところだったわ」
ぶんぶんと首を振り、くっつこうとする瞼を必死でこじ開ける。いつもは自堕落な私だけれど、さすがに今回ばかりは怠けてもいられない。事は私の将来に関わるのだ。
頬を叩いて気合を入れ、今度は別の文献に手を伸ばす。
「なになに……。獣人とはその名の通り、動物の外見を併せ持つ人間の種族のことをいう。総じて視覚や嗅覚等の五感に優れ、純粋な人族と比べて身体能力が高いとされる。完全な人型を取ることも可能であり、その場合は人族と見分けることは困難……って、なぁんだ。私達とそれほど変わらないのね」
ほっとして床にへたり込む。
よかった。
実は獅子の王様と聞いて、しんから震え上がっていたのだ。だって、私ってば繊細なんだもの。
安堵した途端あくびが止まらなくなり、さっさと本を閉じてベッドに寝っ転がる。いそいそと布団にくるまり、身体から力を抜いた。
(……考えてみたら。そんなに、悪い話じゃないのかもしれない……)
昔は城の皆して、お姫様のように(お姫様なんだけど)甘やかしてくれたのに、成長するにしたがって周囲の目は厳しくなった。やれ勉強しろ、やれ礼儀作法がなってない、などとやかましい事この上ない。
それでも私は決してめげず、ひたすら己のお昼寝道を邁進してきた。並の人間ならば、とっくに心が折れていたに違いない。
――だが、やはり私は間違っていなかった。
筋金入りの怠け者だからこそ、先方はぜひにと私を望んでくれたのだ。
私は彼らの期待に全力で応え、ランダール王国で新たなお昼寝スポットを開拓すればいい。ぐうすかぴよぴよ寝ていればいい。きっと「可愛いね」と愛でてくれることだろう。
明るい未来予想図に、晴れ晴れとした気持ちで目を閉じた――
***
「――と、いうわけで。わたくし、謹んで嫁に参ります」
「………」
国王の執務室でしとやかに告げた瞬間、なぜか机のレナード兄は口をあんぐりと開けて固まった。……綺麗なお顔が台無しですよ、お兄様?
しばし無言で見つめ合い、ややあって兄はためらうように口を開きかけ――また黙る。そうしてまた何か言おうとし――やっぱり黙る。
静寂に包まれた部屋で、時計の秒針の音だけがやけに大きく響いた。
「……いや、あのな。リリアーナ」
やっと掠れ声を発した兄が、ごくりと唾を飲み込んだ。
「そのう……。まだ、結婚は決定事項ではないのだ。文化どころか種族すら違う国で……まして、お前は病弱だ。ひとまず婚約期間は一年と定めてある」
一年間ランダール王国に滞在してみて、先方の風習や気候に実際に触れ、婚姻を執り行うか決めるというのだ。
しどろもどろに説明する兄に、私は大きく頷いた。
「わかりました。……では、いつ発ちますか?」
「いや、今すぐというわけには……。先方と書簡のやり取りをして、よろしき日取りを――と、いうかだな!」
バンと机を叩きつけて立ち上がる。
「なぜ、そんなにもやる気になっている!? ぐうたらなお前のことだ、絶対に行かないとごねるとばかり思っていたのに……!」
「ふふっ。嫌です、お兄様ったら」
ほっそりした指で口元を隠し、上品にコロコロと笑ってみせる。
「ランダール王国の皆様は、私にのんびりお昼寝をして過ごせとおっしゃっているのでしょう? 城の片隅に転がっておけとおっしゃっているのでしょう? まさに、ぐうたらの楽園ではありませんか……!」
握りこぶしで語る私を茫然と見返して、兄はゆっくりと膝から崩れ落ちた。そのまま頭を抱え込んで微動だにしない。
屍の兄に首を傾げたところで、背後からノックの音が聞こえた。
「――はい?」
扉の先には、いかめしい顔の義姉が仁王立ちしていた。レナード兄の妻にして現王妃・ドーラ様である。……うわぁ、嫌なの来たぁ。
「まあ、お義姉様……。ご機嫌――」
「リリアーナ様」
私の社交辞令をぴしゃりと遮り、義姉は冷ややかな視線を私に向けた。胸を膨らませて深呼吸し、鼻息荒く私を睨み据える。
「僭越ながら申し上げます。わがままをおっしゃらず、快く婚約をお受けするべきですわ。これは決して貴女が憎くて言っているのではないのです。わたくしは、ただただ貴女の幸せを願って――」
「ええ。……今、お受けしたところですの」
「ですから、わがままを――え?」
呆けたように硬直する義姉を、レナード兄が慌てたように部屋の中に引っ張り込んだ。そのまま引きつった顔で私の両肩に手を置く。
「やめよう、リリアーナ。この話はお断りしよう。ランダール王国とは長年友好な関係を築いてきたのだ。このままでは国際問題に発展しかねん……!」
意味不明な兄の発言に、とんでもないと私は目を吊り上げた。
「嫌です。私、もう決めたんです」
ランダール王国で力の限りぐうたらするって。
心の中で付け加えた言葉が聞こえたかのように、兄はますます色を失う。「今すぐ断りの手紙を……!」と机に向かいかけたのを、義姉ががしっと掴んで引き止めた。
「まあ、何をおっしゃいますの陛下。せっかくリリアーナ様がお心を決められましたのに」
ウッキウキな笑顔で言い放つ義姉に、私も元気いっぱいに加勢する。
「そうです、お兄様。寂しがっては嫌ですわ。私、お嫁に参ります」
「そうですわよねっねっねっ。リリアーナ様!」
「はい、お義姉様」
「うふふふ~」
「あはははぁ~」
「いや待て落ち着けお前達! 今ならまだ間に合う止まれ考え直すんだ……!」
蒼白になって追い縋るレナード兄を置き去りに、私と義姉は手を繋ぎスキップで執務室を後にした。悲痛な兄の声が背中を追いかけてきた気がしたが――
多分、きっと空耳だと思う。