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第29話 強制イベント? いいえ結構です。

「待ってってばー! 三本……いえ……やっぱり、ろくほんっ……なな……ほん」


 ぜえはあと息が上がってきた。

 足をもつれさせながらも、必死で指折り数える。


 私とコハク、それからハロルド。

 イアンはりんご飴を食べないと言っていたから省くとして、メイベルやエリオット、ディアドラの分もいるだろう。


 ――それから。


「ガイウス陛下の、分も……っ。仲直りの、しるしに……」


 こちらから謝るのはちょっぴり業腹だけれど、意地を張り続けるのももう限界だった。


 正面から彼の顔が見たい。

 たとえ一言だって構わないから、言葉を交わしたい。


 ふかふか暖かそうな、金茶色の豊かな毛並みを鑑賞したい。……というか、本音を言うならナデナデしたい。

 たとえ変態と謗られたって構わな……いえ構いますけども。心の中で願うだけならタダというものだ。


 バクバクと暴れまわる心臓を服の上から押さえる。

 苦しくて堪らないのに、思いっきり息を吸うと反射的に咳き込んでしまう。背中をじっとりと嫌な汗が流れた。


 もはや歩いているのと大差ないスピードで、鉛のように重くなった足を惰性で動かす。暗く霞んだ目を拭った瞬間、衝撃に息が詰まった。


「――うおっ!? ……ん、なんだお嬢さんは。この先は通れんぞ?」


 がっちりした体格の髭の男が、戸惑ったように振り返る。どうやら彼の背中に衝突してしまったらしい。


 足を止めた途端、全身からどっと汗が噴き出してくる。

 浅い呼吸を繰り返しながら、彼に向かって緩くかぶりを振った。


「この、先に……。用が、あるの……」


「ええ? だか、受付開始にはまだちっと早いぞ?」


 受付?


 聞き返そうと口を開きかけたところで、ドンッと地面が揺れる。お腹に響く――これはそう、太鼓の音だ。


 音の出所を探して辺りを見回すと、太鼓に合わせるようにして拍手と歓声が湧き起こった。

 周囲の人々が、興奮に顔を赤くして私達の側に集まり出す。急に人口密度が高くなり、ただでさえ暑いのに人いきれで気分が悪くなってくる。


 抜け出そうともがいていると、さっと太い腕が伸びてきた。

 私を救い出してくれたのは、先ほどの髭の男性だ。


「一番乗りはお嬢さんだな! それで、コインは何枚ある?」


 大きな手の平を差し出され、瞬きしながらもコインの入った革袋を差し出した。その重みに彼は大仰に目を丸くして――おかしそうに私を見下ろす。


「お嬢さん、相当頑張ったな?」


「え、ええ……。ちょうど、五十枚あるわ……」


 ようやく息が整ってきて、淡い笑みを浮かべる。


 ここを通るのに通行料が必要ならば、全部支払ったって構わない。だから、早く通してほしい。


 首を伸ばして彼の背後を窺うと、ひょろひょろの飴屋さんの後ろ姿が見えた。――やった、足を止めているわ!


 喜びに顔を輝かせた瞬間、飴屋さんが赤い帽子の頭越しに枯れ枝のような腕を伸ばす。振り返らないまま、ひら、ひらとしなやかな動きで手を振って――また走り出した。うっそぉ!?


「今の、絶対気付いてたわよね!? 私のことおちょくってたわよね!?」


 おじさんの胸倉を掴んで揺さぶると、彼は「お、おう?」と目を白黒させた。


「な、なんかよくわからんが……。後ろが詰まってるから、もう行っていいぞお嬢さん」


 苦笑しながら鮮やかな赤の布を取り出す。手早く私の左腕に巻き付けた。


「参加証だ、開始の合図があるまで中は見ないように。――ようし、このお嬢さんを先頭にご案内しろ! コイン五十枚だ、皆もちろん文句はねぇな!?」


 おおっと人波がどよめいて、今度は別の男に背中を押される。

 気付いたときには大通りのど真ん中に取り残されていた。


 茫然として周囲を見回す。

 歩道はなぜかロープで区切られていて、歩道に立つたくさんの人々が食い入るように私を見ていた。嬉しそうに小旗を振っていたり、お姉さんがんばってねー、という子どもの声援まで聞こえる。


「――いたぁぁぁぁっ!! 姫さんっアンタ何やってんだよ!? 何ふっつーに参加してんだよ!?」


 空気がびりびり震えるほどの怒鳴り声に、はじかれたように駆け出した。

 ロープから身を乗り出さんばかりにイアンが手を伸ばし、傍らには真っ青になったメイベルも立っている。安堵に頬が緩み、歩道の彼らに手を振った。


「イアン、メイベル! よかった、私何がなんだか――」


「こらぁお嬢さんっ! 開始位置を動かないっ! せっかく自力で勝ち取った場所だろうが!」


 鋭い叱責が飛んできて、係らしき男に無理やり連れ戻される。

 じたばたとあがいてると、イアンがロープをくぐり抜けようと身を屈めた。その瞬間、係の男がくわっと口を開く。


「おぅらああああっ!! 神聖なる『精霊の実みーっけ!』競争を邪魔する気かおんどりゃああああっ!! 参加したくばコインを出せやうんどれええええっ!!」


「…………」


 怖っ!


 あまりの豹変っぷりに小さくなって、目顔でイアンに助けを求める。

 しかし、彼は逃げるように地面に目を伏せた。ふるふると握りこぶしを震わせる。


「く……っ。コイン、コインは……。腕相撲で全部スッちまったんだ……!」


「えっ、そうなの!? ならメイベルは!?」


 隣のメイベルに視線を移すと、彼女も泣き出しそうに顔を歪めた。


「で、殿下がいらっしゃらないことに気付き……。動揺のあまり、敗けてしまいました……」


 しかも、その勝負に全コインを賭けていて。


 消え入るような声で付け足す彼女に、開いた口が塞がらない。メイベル、あなたあんなに賭け事を嫌っていたじゃないっ?


 メイベルがわあっと顔を覆って泣き出した。


「申し訳ありませんー! あのときは脳内におかしな快楽物質が出ていたとしかー!」


「へっ、姐さんよぉ。ようこそこっちの世界にごふぇっ」


 目にも留まらぬ速さで肘鉄を繰り出すと、メイベルは係の男に深々と頭を下げた。


「場を乱して申し訳ございませんでした。ですがどうぞ、(あるじ)の棄権をお許しくださいませ」


 慌てて私もメイベルにならい、持ち前の儚さ全開でうるうると男を見つめる。棄権させてー、可哀想な私をここから出してぇー。


 しかし、男はきっぱりと首を横に振った。


「このレースにそんな惰弱な言葉など存在しない。気合と根性、汗と涙の『精霊の実みーっけ!』に恥じぬ行動を取ることだ」


 私はその真逆が生き様なんだけどね!?


 引き止める間もなく、男はさっさと踵を返して行ってしまった。舌打ちしたイアンが私に向かって叫ぶ。


「仕方ねぇ、姫さん! 勝者が決まればレースは終わる、それまでは隅っこに避難しとくんだ!!」


「リリアーナ殿下ぁ~! どうかご武運を~!」


 涙目でハンカチを振るメイベルに、ひしひしと不吉な予感が芽生えてくる。その場で落ち着きなく足踏みを繰り返していると、背後からざわざわした気配を感じた。


「……え」


「わーっ、殿下ー! 振り返っちゃ駄目ー!!」


 メイベルの静止は、あと一歩遅く。


 目の前に広がる光景に息を呑み、私は愕然として立ち尽くした。

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