第27話 追い詰められた先に見えたもの。
『暁の恋人』の最後の歌詞。
私はそれを知らない。
なぜならば――……
「うふふ。わたくしの最愛はレナード陛下ですもの。他の殿方の名など呼べないわ」
そう言って、くねくねと身悶えした義姉の姿を思い出す。
――そう。
歌の最後には、恋人の男性名が入るのだ。
ただし義姉はいつも、「レナード陛下」と勝手に歌詞を変えて歌っていた。
私は義姉の『暁の恋人』ばかり聞いていたから、本来の歌詞はうろ覚えだ。……確か、アーサーだったかヨイサーだったかホイサーだったか……。
(どうしよう……歌詞としては間違ってるけど、このまま『レナード陛下』で歌うべき?)
一応、それでも問題はないだろう。
これはイスレア王国の歌であって、ランダールの人々は歌詞が正しいかどうかなど知りようがないのだから。……いや、でも。
やっぱりそれは、個人的にとてもイヤ。
何が悲しくて、恋人の名を呼ぶべき場面で実の兄の名を呼ばなきゃならないの。
妹大好きなレナード兄なら、そりゃあ相好を崩して喜ぶでしょうけど。
迷っているうちに、とうとう曲は最後に差し掛かる。
――まばゆい暁に、あなたを重ねるの
だんだんと声が小さくなり、囁き声に近くなる。
混乱と焦りで手の平がじっとり汗ばんだ。
――願わくば、死がふたりを分かつまで
――わたしの、最愛……
刹那。
真っ白になった脳裏に、ふかふかの毛並みがよぎる。
自信満々で鬣を揺らしたり、長いおひげをしょんぼり垂らして項垂れたり。生真面目で頑張り屋さんな、私の可愛らしい婚約者。
はっと顔を上げ、大急ぎで息継ぎをした。
はにかみながら会場を見渡して、一言一句はっきり発声して歌を締めくくる。
――わたしの最愛……ガイウス陛下
ポロン、とピアノが演奏を終え、私はぎこちなく礼を取った。
反応を見るのが怖くてきつく目をつぶる。
けれど、いつまで経っても会場は静まり返ったまま。
恐る恐る目を開くと、突如として会場は万雷の拍手と歓声に包まれた。耳が痛くなるほどの音の洪水に、ほっとして涙があふれる。
「リリアーナ殿下っ。とってもとっても素晴らしかったわ!!」
跳ねるように駆け寄ってきたメイベルが、目を潤ませて私に抱き着いた。彼女の肩に顔を埋め、私も涙ながらに何度も頷く。
「ええ、メイベルのピアノのお陰――……って。くくくく苦しいぃぃぃ」
「あら。ごめんなさい」
慌てたように放してくれた。よ、よかった絞め殺されるかと……。
再びメイベルと二人で辞儀をして会場の皆に手を振ると、突然「ぉわあっ!?」という悲鳴が上がった。「おいっ、誰か倒れたぞ!?」「しっかりしろーっ、黒いローブを着て顔を隠した怪しい兄ちゃーんっ!」「担架持ってこい、担架!」
(黒い、ローブ……?)
えらく説明的な口調に首を傾げる。
というか、私も今日どこかで黒いローブの人を見たような……?
様子を確かめようと舞台から降りかけたところで、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。物見櫓の男の人が、ニッカリ笑って手で大きく丸を作る。
「合格合格、大合格~! コイン三十枚、ついでに参加者からの没収コインも進呈でぇすっ」
「ほ、本当に!?」
やったわ、これで一気にコイン長者ね!
無一文からの大出世よ!
手を叩いてメイベルと喜び合う。
怪しいローブ姿の人のことなど、頭からすっかり消し飛んでいた。
***
「ひい、ふう、みい……。わぁ、五十八枚もあるわよメイベル! 二人で山分けしましょうっ」
「まあ。わたくしはよろしいのですよ、リリアーナ殿下」
「おっ、じゃあ推薦人のオレにくれてもいいんだぜっ?」
広場片隅のベンチにて。
戦利品の確認をしていたら、メイベルが遠慮がちにかぶりを振った。
謙虚な彼女に微笑みかける。駄目よ、二人で一緒に頑張ったじゃない?
「メイベルのピアノのお陰で歌いきれたんだから。お願いだから受け取って?」
「リリアーナ殿下……。ふふっ、では端数の八枚だけ頂こうかしら」
「姐さんは無欲だなぁ! じゃっ、残りはオレが――」
『やかましいわっ!!』
二人同時に蹴りを繰り出した。
イアンはすかさず私からの攻撃は防いだものの、メイベルの蹴りをまともに食らって吹っ飛んだ。……さてはあなた、防ぐ方を間違えたわね?
地面に倒れ伏す彼に歩み寄り、有能侍女と二人でゴキパキペキョンと関節を鳴らして見下ろした。
メイベルが妖艶に微笑む。
「……さぁて。冥土の土産に聞いてあ、げ、る。何か言い残すことはあるかしら?」
親切心あふれる彼女の申し出に、私は小さく失笑した。
「嫌だわ、メイベルったら。申し開きを聞く必要なんかなくってよ?」
「それもそうですわね。では一息に片付けてしまいましょう」
「あまり苦しませては駄目よ?」
うふふふふ、と二人で笑い合っていると、イアンが慌てたように手足を動かした。カサカサと地面を這って少しずつ逃げていく。
「いや虫かアンタは」
「ぐふぅ……っ。まっ、待ってくれ……これには深い理由がぐほぅっ」
背中をぐりぐりと踏んづけられ、俯せのイアンが「降参、降参ですっ頼むお願いどうか話を聞いて!?」とじたばた地面を叩き続ける。メイベルがちらりと私に視線を走らせたので、私はにっこり頷いた。
「無駄口を叩けないようにしておしまい」
「御意」
薄く笑んだメイベルが華麗に止めを刺しかけたところで、イアンがつんざくような悲鳴を上げた。何事かとわらわら人が集まってくる。
チッ、これじゃあ目撃者が多すぎるわね。
「……なぁ、姫さん。アンタ今舌打ちしなかった?」
「気のせいよ」
きっぱり切り捨てて、土まみれになったイアンを助け起こす。
証拠隠滅で服に付いた汚れを払ってあげていると、ふと粘りつくような視線を感じた。
不審に思って振り返るが、目の前にはあるのは年経た大木ばかり。なぁんだ、私の勘違い――……
「いやもっとよく見ろよ。怨念の塊がいるぞ」
えっ!?
イアンの指摘に驚いて、もう一度目を凝らす。
すると確かに、大木の陰に隠れるようにしてこちらを睨みつける大男がいた。髭もじゃの顔をくしゃくしゃにして滂沱の涙を流し、キーッとハンカチを噛み締めている。
実物は思ったほど怖くなくて、安堵に胸を撫で下ろした。
「随分とはっきり見える幽霊なのね?」
「だぁれが幽霊だぁっ、誰が!? 儂は王城庭師のサイラスだぁっ」
サイラス……?
間髪入れずに突っ込まれ、目を丸くする私にメイベルがしかめっ面を向ける。ひそひそと――いや存外大きな声で囁きかけた。
「リリアーナ殿下の前に歌ったかたですわ。ほら、あの類まれなる音痴の」
「ああ、とっても音痴の」
「そうだぞ、すっげー音痴の」
「音痴音痴うっさいわぁぁっ!! いつもはもうちょびっとだけマシなのっ! 酒飲んだ後で調子が悪かったのっ!」
駄々っ子のように地団太を踏む五十年配の大男に、イアンがあきれ返った視線を向ける。
「それでコイン没収されてたら世話ねぇわ。せっかく二十八枚も持ってたんだろ、おやっさん」
「飲み比べで勝ったんだぁ。……くくぅっ。まさかゼロになるたぁ、誰が想像できようか……! おいイアンッ、お前さんは今回何枚手に入れた!?」
胸倉を掴まれ、イアンはグッと喉を詰まらせた。「ああ、いやそれは」と半笑いで取り繕いつつも、目だけは正直にうろうろ泳いでいる。
「オレは今日はその、あれだからな。姫さんの特別な護衛っつーか? お守役っつーか?」
「ンだから何枚だぁっ!?」
鼻息荒く詰め寄る男にイアンは最早たじたじだ。仕方なく二人の間に割り込み、怒れるサイラスをなだめにかかる。
「落ち着いてサイラス。イアンは、そのう……えぇと……」
言いよどむ私に代わって、メイベルが靴のヒールを鳴らして進み出た。つややかな黒の巻き毛を払い、高らかに告げる。
「そんなに知りたいのなら教えてあげるわ。あたし達の戦歴は、リリアーナ殿下が五十枚。あたしが八枚。――そして、イアンは情けないことに全くのゼロ枚よ!!」
「姐さぁぁぁぁぁぁんッ!!?」
メイベルの無情なネタばらしに、膝から崩れ落ちるイアンであった。




