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第25話 挙動不審な二人です。

 ――さああっ


 そんな幻聴が聞こえてきそうなほど、ハロルドの顔から一気に色が抜けていく。ぽかんと開いた口から、声なき悲鳴が漏れるのを確かに聞いた。


 噴水の縁に横になっていたエリオットが、そんな彼を見て痛ましげに顔を歪める。


「すみません、ハロルド……。わたしは、どうやらここまでのようです。どうか、貴方だけでも生きて城へ……っ」


 涙交じりに差し出された手を、ハロルドは間髪入れずにはたき落とした。ごくりと唾を飲み込むと、完全に据わった目でエリオットと私達とを見比べる。


「……皆様。ワタシの馬鹿上司が、大層ご迷惑をお掛けしたようで。この馬鹿蛇は、ワタシが責任持って城へ連れ帰りますゆえ」


「置いていってくれても全然構わないんですけどもー」


「皆様はどうぞ、引き続き祭りをお楽しみくだされ」


「わたしだって一緒に楽しみたいんですけどもー」


 エリオットが発言するたび、ハロルドの口角がぴくぴくと引きつる。

 ハロルドが怒鳴り出すのではないかとハラハラしたが、鋼の精神力でなんとか堪えたようだ。ものも言わずにエリオットの首根っこを引っ掴むと、そのままずりずり引きずっていく。


 苦笑いで見送りかけて、はっと気が付いた。――いけない、私もお城に戻らなくっちゃ!


 慌てて二人に追いすがる。


「待ってハロルド! 私も行くわ。ガイウス陛下に――」


「陛下ならいらっしゃいませんぞ」


 鋭い目つきで振り返ったハロルドが、にべもなく吐き捨てる。絶句する私に、小さく吐息をついて教えてくれた。


「今朝早く、祭りの視察へ行く、とおっしゃってそれきりです。……ですがまあ、ガイウス陛下のことですから。きっと今頃熱心に見回りをされて」


「ええ、ええ。さぞかし忙しくされていることでしょうねぇ。……ある意味」


 ハロルドの言葉を大急ぎで遮り、エリオットが意味ありげに眉を上げる。

 イアンまで「んだな」とおどけた口調で追随した。にやりと意地悪く笑む。


「ガイウスのことなんざ忘れて、姫さんは祭りを楽しめばいいんだよ」


「そうそう。その通り」


 畳み掛けるように告げる二人に、思わず猜疑の視線を向ける。……なんか、怪しくない?


 どうやらメイベルも同意見だったようで、ボギョンゴギンと関節を鳴らした。ドスの利いた声で二人に詰め寄る。


「ちょっと、アンタ達? 一体何を隠して――……」


「おぉっと、不憫な部下のために仕事に戻らねばー! さあさお城に出発だー!」


 先程までの嫌がりようはどこへやら。


 右手と右足を同時に出して、エリオットはさっさと出発してしまう。……が、数歩進んだところで勢いよく振り返った。


「そうだ、忘れておりました。……確かぁっ、リリアーナ様はぁーっ! りんご飴がー! 欲しいんでしたよねーっ!?」


 突然の轟くような大声に、ハロルドが目を剥いてエリオットから手を放す。唖然とする私達をよそに、イアンがぽんと手を打った。


「そうだったなぁーっ! 姫さんはー! りんご飴をー! 浴びるほど大量に食いたいとぉーっ!!」


 いえ、ちょっと待ちなさいよあなた達っ? それじゃあまるで私が食いしん坊みたいじゃない!?


 焦って二人を黙らせようとするも、それより先にエリオットがまたもすうっと息を吸い込んだ。


「ちなみにわたしのオススメはーっ、幻のりんご飴売りー! 『アポポー・アプルーのりんご飴(毒味)』でーすっ! 目印は飴売りの真っ赤な帽子なのでー、ぜひ探してみてくださぁーいっ!」


 叫ぶだけ叫んで、エリオットは今度こそ行ってしまった。

 茫然と立ち尽くすばかりの私に代わり、しっかり者の侍女がイアンの胸ぐらを掴み上げる。


「ちょっと!? 何なのよ、今のは!」


「いや、その……。オススメの店を教えてくれただけだろ? エリオットの趣味は食い歩きだから、情報は信用できると思うぜ」


「ふぅぅぅん? 毒味、とやらをリリアーナ殿下に食べさせたいわけね?」


 ドス黒い何かを放出するメイベルに、イアンが赤毛を逆立てて震え上がる。するとそこに、のんびりした声が割って入った。


「ああ、イエ。毒々しいぐらい美しい赤色、という意味なだけで、決して毒入りなわけではありません。……名付けのセンスはともかくとして、『アポポー・アプルー』のりんご飴は本当に美味しいですぞ」


 味を思い出したかのように相好を崩すと、ハロルドはエリオットの後ろ姿にちらりと視線を走らせる。内緒話のように声をひそめた。


「……ただ、幻と呼ばれるのは伊達ではなく。収穫祭で遭遇できるのは、ワタシも数年に一度といったところでしょうか。……そのぅ、ですから。もし、見つけたら……」


 もじもじと言いよどむハロルドに、思わず噴き出してしまう。


「任せて。ちゃんとハロルドの分も買ってきてあげるから」


 胸を叩いて請け合うと、ハロルドはぱっと顔を輝かせた。ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして去っていく。


 再び三人に戻ったところで、改めてイアンに向き直った。メイベルを真似て関節を鳴らしてみる。


 ぺきょり。


「――それで、イアン?」


 ぽきょり。


「一体どういうつもりで、私を大食らい呼ばわりしたのかしら?」


 ぱきょり。


「返答次第では、ただじゃおかな――……」


「いやいや姫さん。アンタがやっても迫力皆無だからな? 誰がビビるかそんなんで」


「リリアーナ殿下。ひとには向き不向き、というものがございまして」


 敵味方双方から駄目出しされてしまった。


 ぷっとふくれた瞬間、またも舞台から軽快な音楽が流れてくる。ハロルド音楽隊の太鼓演奏が終わって以来、初めての演奏だ。


 美しいピアノの音色に、イアンを糾弾するのも忘れて舞台の方へ歩み寄る。夢見心地な私を、イアンがあからさまに不満気な顔で引き止めた。


「えーっ、待てよ姫さん。メシも食ったことだし、そろそろコイン集めに戻ろうぜー?」


 ハロルドを待つ間に、広場の屋台で昼食は済ませてある。収穫祭に必須と聞いているコイン集め、私達の所持数は未だにゼロのまま。


 ……けれど。


「ちょっとだけで構わないから。ね、メイベルも聞きたいわよね?」


 目配せしてお願いすると、メイベルもにっこりと微笑んだ。


「ええ、もちろん。それに食休みもしませんと」


 共犯者の笑みで頷き合い、手を繋いで駆け出した。慌てて追いかけてくるイアンに、いたずらっぽく舞台を指し示す。


「とっても素敵なピアノじゃない? ――あら、誰か出てきたわ」


 もじゃもじゃの黒鬚を生やした男の人だ。

 緊張の面持ちの彼を見て、イアンが怪訝そうに目をしばたたかせた。


「ありゃあ、王城庭師のサイラスだな。あのおっさん、音楽の心得なんかあったのかぁ?」


 大勢の視線が集中する中、サイラスが大きく胸を膨らませて息を吸う。ピアノの調べに乗せて、朗々とした声で歌い出した。


「…………っ!」


 驚愕。

 そして感嘆。


 広場にしんとした静寂が満ちる。


 観衆の誰ひとり身じろぎすらしない。傍らに立つメイベルとイアンの気配すら消してしまうほどの、圧倒的な『無』――……


 あまりの歌声に呼吸すら忘れて聞き惚れる。背中を冷たい汗が伝った。


(……ああ。なんて、なんて……)


 なんて、ひっどい音痴なの……!?



 ――カーン!!



 突如、ひび割れた音が静寂を引き裂いた。


 止まっていた時が流れ、全員が一斉に音の出どころを見上げる。舞台近くに建てられた物見櫓のてっぺんにある、赤銅色の巨大な鐘だ。


 金槌を手にしたお兄さんが、ニカッと笑って身を乗り出した。


「どぅるるるる……出ました0点でぇすっ! コイン0枚――どころか罰金で、持ちコイン全部置いていってくださぁ~い!」


「んマジかぁぁぁぁぁぁいっ!!?」


 打ちひしがれるサイラスを、係らしき屈強な男性がすばやく回収する。舞台下にサイラスを放り投げると、観衆を鋭い視線で見回した。


「――さて。お次の挑戦者はどなたかな?」

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