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第24話 侮りがたし、祭りの高揚感。

「エリオット。お前、酒弱いくせになんで飲み比べになんか参加したんだよ?」


 酒場からほど近い公園へと移動し、未だ前後不覚のエリオットを木陰のベンチで休ませる。濡らした手ぬぐいで彼の目元を冷やしていると、イアンがあきれたように問いかけた。


 緩慢な仕草で手ぬぐいをずらしたエリオットは、腫れぼったくなった目を私達に向ける。


「……人間、どんなに嫌でも立ち向かわねばならぬときもある、と……。見せたいひとがいたもので」


 ……見せたいひと?


 メイベルと不審の顔を見合わせていると、イアンが「あのなぁ」と思いっきり顔をしかめた。憤りを隠そうともせず吐き捨てる。


「だからって無茶しすぎだろうがよ。……ったく。危うく溺死するところだったんだぜ?」


「そうよ。アルコールの海で溺れるところだったのよ?」


「これに懲りたら二度とお酒は飲まないことね」


 メイベルと二人してここぞとばかり畳み掛けた途端、なぜかイアンがどっと崩れ落ちた。地面に膝を突き、なんとも言えない表情で私達を見上げる。


「あら。どうかした?」


「……いや、何でも。――エリオットを連れて、いっぺん城に帰るかぁ。もう昼を過ぎちまったし、姫さん達も腹が減っただろ?」


 確かに、この状態のエリオットを放ってお祭り見物などできない。ガイウス陛下も誘いたいし、一度城に戻るのに否やはない。


 でも――


「昼食はお城で取るより、せっかくだから屋台で食べたいわ」


 うきうきと声を弾ませる。


 道中で見た屋台料理はどれも美味しそうで、実は到着してからずっとお腹が鳴りどおしだったのだ。


 もちろん故国では買い食いなどしたことはないけれど、このランダール王国の気風でなら許される気がする。両手を合わせてイアンに強請(ねだ)ると、彼はあっさり首を縦に振った。


「アンタが嫌じゃねぇんなら、オレはもちろん構わねぇよ。姐さんもそれでいいか?」


 しまった。

 礼儀作法に厳しいメイベルのことだ、きっと却下されてしまうに違いない。


 ぎゅんと勢いよく振り返った私に、メイベルは案の定しかめっ面を向ける。が、ややあって仕方なさそうに頷いた。


「まあ、今日は特別なお祭りですものね。ただし、あまり食べ慣れていないものは駄目ですよ? 殿下は身体が弱いのですから」


「はぁいっ! ありがとうメイベル!」


 喜び勇んで彼女の手を握る。


 エリオットもなんとか歩けるまで回復したので、全員で城に向けて出発した。道すがら、きょろきょろと好奇心いっぱいに辺りを見回す。


 串で焼かれたお肉もお魚も、油で揚げたドーナツも、果物を包んだクレープも、どれもとっても美味しそう。食は細い方だから、どれを選ぶか慎重に吟味しなければ。


 上機嫌で計画を立てていると、前方から小走りに駆けてくる子ども達に目が吸い寄せられた。……いや。正確には子ども達にではなく、彼らの持っている食べ物に。


 棒に刺さった真っ赤な球体――どうやら小ぶりのりんごのようだ。表面はつやつやと光沢を放っていて、まるで宝石のように美しい。

 私の視線に気付いた子ども達が、ニッと自慢気に笑ってりんごにかぶりついた。


「それ、なぁに? とっても美味しそうだわ」


 腰を屈めて笑いかけると、彼らはくすぐったそうに顔を見合わせた。つんつんとお互いをつついて押しつけあってから、一番前にいた少年が代表で口を開く。


「お姉さん、ヘンなの~。りんご飴を知らないの? 収穫祭ではゼッタイみんな食べるのに!」


 やいやい囃し立てる子ども達と私の間に、イアンがすばやく割り込んだ。小さな彼らを見下ろして、困ったように頬を掻く。


「あ~、この姉さんはランダールに来たばっかなんだよ。……それに、オレは食わねぇぞ? りんご飴なんざ子どもの食いもんだ」


「えーっ」


 イアンの横槍に、彼らは不満そうに唇を尖らせる。真っ赤な舌であかんべえして、笑いさざめきながら行ってしまった。


「――ねぇ、イアン。私もりんご飴が欲しいわ。どこで売ってるの?」


 子ども達の背中に手を振って、すぐさまイアンに問い掛ける。私が食べてみたいのはもちろんだが、何よりコハクへのお土産にぴったりだと思ったのだ。


 今日まで精霊廟で幾度もコハクと会ったものの、彼の口から収穫祭の話題が出たことは一度もない。

 人目を嫌うコハクだから、きっとお祭りには参加しないのだろうと思い、私も敢えて尋ねたりはしなかった。りんご飴とやらが収穫祭の定番なら、プレゼントすればお祭り気分だけでも味わえるかもしれない。


 目を輝かせる私に、イアンは「どこって聞かれても」と苦笑した。


「りんご飴は屋台じゃなくて、飴売りが木箱を担いで売り歩いてんだ。見つけたら教えるよ」


「あら、そうだったの……って。――ねぇ、あっちの方から何か聞こえてこない?」


 曲がり角の向こうから、賑やかな音色が流れてくる。音に誘われるまま足を早めた。


 辿り着いた先は噴水のある広場で、端の方に巨大な木造りの舞台があった。舞台上では楽団が楽しげに音楽を奏でていて、聴衆達もやんややんやの大喝采だ。


 メイベルも頬を上気させ、興奮したように手を叩いた。


「素敵! ランダールの音楽なのね。エリオットを送ったら、後でまたここに来ましょうよ」


「……いえ。わたしのことはお気になさらず、なんなら今ごゆるりとどうぞ。もはや歩くのも限界で……」


 力なく告げたかと思うと、噴水の縁に座り込んでしまう。慌てて彼の背中をひと撫でして、周囲の屋台を見回した。


「まだお酒を薄め足りなかったのね。どこかで飲み物は売ってないかしら?」


「あっコラ、ひとりで行くなよ姫さんっ。いくらうちの国が平和とはいえ、迷子になったら困るだろがっ」


 走り出した私を引き止め、イアンも隣に立って歩き出す。

 満身創痍のエリオットはメイベルに託して、イアンと二人で屋台を探すことにした。足を急がせる私達の背中に、弱々しいエリオットの声が追いかけてくる。


「ひとつだけ希望を述べさせていただくのならばー、冷たくて甘くてー、でも甘すぎなくてー、喉越しがよくってぇー、それから舌がとろけそうなほど美味なる飲み物をー、ぎゃん」


「…………」


 やっぱりメイベルに任せて正解だったわ。

 と、いうか意外に元気そう?


 イアンも安心したように歩調を緩めた。にやにやと意地悪く笑う。


「エリオットのヤツ、舌がとろける前に噛んじまうとは可哀想に。……お、舞台近くの屋台でジュース売ってんじゃね?」


「あら、本当ね」


 ジュースの屋台は、舞台の本当にすぐ傍らにあった。お互いの声が聞こえなくなるほど大音量な音楽に、首をすくめて笑いながら声を張り上げる。


「屋台に、料理審査に、飲み比べに音楽に! 収穫祭ってすっごく賑やかなお祭りなのね!」


「おうよ! 国民全員で馬鹿やって遊びまくる、それが精霊への感謝の伝え方なのさ! 姫さんも思う存分楽しめよ!」


 イアンが大笑して叫び返した瞬間、ドーン! という轟音と共に地面が揺れた。


 雷かと驚いて顔を上げるが、音の出どころは見たこともない楽器だった。樽のような円柱形の楽器で、両面は皮で覆ってある。


 両手に太い木の棒を持った男の人が、足を踏ん張って棒を叩きつけると、またも「ドーン!」という力強い音が轟き渡った。


「あれはっ、太鼓っつー打楽器なんだよ! 聞いてると元気になんだろっ?」


 イアンが陽気に教えてくれるものの、元気になるというよりお腹に重く響く気がする。

 ドンドコドンドコ鳴るたびに、胃もひゃっほうひゃっほうとでんぐり返ってるみたいだ。


「え、えぇと……。私には、少し刺激が強すぎるかも……?」


 しどろもどろに答えた途端、ひときわ大きな音が鳴り響いた。

 棒を持った男の人が「ファ~オゥ!」と甲高く吠える。舞台から落ちそうなほど身を乗り出し、ノリノリで上半身を揺らした。


「みんな楽しんでるかぁー!? ワタシは楽しんでるぞぇー! 今日はサボり魔上司に仕事を押し付けてー、ワタシは精霊に捧げる演奏会フォウッ!」


「…………」


 立ち尽くす私の肩を、イアンが優しく叩いた。舞台の男に慈愛の笑みを向ける。


「後でちゃんと教えてやらねぇとなぁ……。アンタのサボり魔上司、酒飲んで今日は使い物になりません、って」


 下界で待ち受けている、過酷な運命など知るべくもなく。

 舞台上のハロルドは、「ファウッ」と陽気に叫んで再び演奏に戻っていった。

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