第22話 二人、出会って初めての。
――そうして迎えた、収穫祭当日。
天気は快晴。
ぽかぽかした日差しの気持ちいい、絶好のお祭り日和だ。
ランダール王国の首都・ドラム。
初めて訪れる城下町はすっかりお祭り仕様で、建物から建物に色とりどりの三角の旗が掛けられ、空中には鮮やかな紙吹雪が舞い踊っていた。
食べ物の屋台も目白押しで、そこかしこからいい匂いが漂ってくる。わあっと歓声が上がったのは、遊戯の屋台だろうか。ものすごい人だかりだ。
道行く人々は目一杯お洒落して、家族や友人、恋人同士ではしゃぎながら笑いさざめいている。……あらあら、皆とっても楽しそうだこと。羨ましいわぁ。
――それに引き換え、この私ときたら……。
「リリアーナ殿下。いつまでぶうたれているおつもりですか」
メイベルのあきれたような声が降ってくる。
「そうだぞ姫さん。年に一度の収穫祭なんだから、もっと楽しもうぜ!」
屋台から小走りに戻ってきたイアンが、木のコップを差し出してくる。
煉瓦造りの花壇に座り込んだ私は、むくれながらも手を伸ばした。表面にうっすらと汗をかいたコップに指が触れた途端、その冷たさにびっくりする。
「冷た……っ。……それにこれ、酸っぱくって甘くって――すっごく美味しいわ! 何のジュースなの?」
「レモンの蜂蜜漬けを水で割ってんだよ。汲みたての地下水で作ってあるから、よく冷えてるだろ?」
胸を張るイアンに笑顔で頷き、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み干した。メイベルも嬉しそうにカップに口をつけている。
爽やかな酸味に気分が晴れ渡り、スカートの裾を払って立ち上がった。
「ご馳走様、イアン! そうよね。せっかくのお祭りだもの、楽しまなきゃ損よね。……たとえ、婚約者に振られたとしても。涙目の上目遣いで強請ったというのに、にべもなく断られたとしても」
恨めしげに呟くと、メイベルが涙ながらに私の手を取った。
「元気をお出しくださいリリアーナ殿下っ。仕事優先な殿方というのは、まだまだこの世にはびこっているのですわ。いずれ捻り潰して根絶やしにしてやりましょうね?」
「メイベル……! そうね、力を合わせて愚か者共を殲滅しましょうっ」
決然と誓い合う私達を見て、イアンがぶるるっと大仰に震え上がった。太い二の腕を擦りながら、「おーいガイウスー……。お前、とんでもないものを敵に回しちまったぜー……?」と呟く。
その途端、がらどっしゃんというけたたましい物音が聞こえた。
「えっ? なに!?」
驚いて振り向くと、屋台の後ろで山と積まれた木箱が崩れ落ちていた。黒色のローブを目深に被った長身の人が、散らばった木箱を泡を食って拾い上げている。
「たいへん。イアン、手伝ってあげ――」
「ああ、いいって別にっ。ほら、今日のオレは姫さんの案内役兼護衛だからな? ドジな野郎の世話なんか、他に任せときゃいいんだよ」
早口で告げるやいなや、強引に私の背中を押して歩き出す。メイベルも慌てたように追いついてきた。
「ちょっとイアンっ。わかってるでしょうけど、リリアーナ殿下は病弱でいらっしゃるんだからね。危険な目に合わせたら承知しないわよっ」
「おうよ、合点承知! ――いいか、二人とも? 収穫祭の始まりっつーのはコイン集めからなんだ。どいつが一番たくさん集められるか勝負だな!」
がははと陽気に笑い、イアンはさらに足を早める。
付いていくのに精一杯で、「コインって何?」と尋ねるどころではない。メイベルと不審な顔を見合わせつつ、懸命に足を動かした。
***
遡ること五日前。
連日の説得にも関わらず、ガイウス陛下は頑として私の誘いを受け入れてくれなかった。「わたしは祭りの参加者ではなく、責任者なのだ。仕事を放り出して遊ぶことなどできない」の一点張り。
あまりの頭の固さに業を煮やした私は、とうとう泣き落とし作戦に打って出た。
「ガイウス陛下……っ。収穫祭は体力勝負だと、イアンから聞いたのです。私、正直不安だわ……。どうか当日は、ずっと私といてくれませんか……?」
しゅんと鼻をすすり、陛下の温かな腕に身を寄せる。その途端、豊かな毛並みがぶわわと逆立った。……へっ?
目を丸くする私の腕を激しく振り払い、陛下が声を震わせた。
「だっ、だから俺は参加しないと何度も言っているだろうっ。いい加減しつこいぞリリアーナっ」
吐き捨てるように言い放ち、憤然とそっぽを向いてしまう。手の平に感じていた彼の温もりが消え去って、指先が急激に冷えていく。
「…………そう、ですか」
凍えた胸の奥から、自分でも驚くほど平坦な声が出た。陛下がぎょっとしたように振り返る。
固唾を呑んで見守っていた執務室の面々の中から、メイベルが慌てたように駆け寄ってくる。
でも、私が見つめるのは陛下だけ。ドレスをつまんでしとやかに礼を取る。
「よく、わかりました。……それほどまでにご迷惑でしたら、わたくし今後はもう二度と。一切。陛下を誘ったりなどいたしません」
「えっ……? えっ……? リ、リリ」
おろおろと私に向かって手を伸ばす陛下を、渾身の目力を込めて睨みつけた。唇がわなないて、演技ではない本物の涙が目尻からこぼれ落ちる。
「リ、リリアーナ!?」
「――陛下の馬鹿ぁっ! わからず屋っ! 私、私もう絶対に――!」
わっと身を翻して走り出す。
「ガイウス陛下なんか、部屋の壁の観察にも誘ってあげないんだからあああああーーーーっ!」
「リ、リリアーナァーーーーッ!!!」
悲痛な声が追いかけてきたが、私は足を止めなかった。彼の鼻面に叩きつけるようにして執務室の扉を閉めてやったのだ。
***
「……ガイウスの奴、あれからまぁ凹んで凹んで。灰になって風に流されちまうんじゃないかって、本気で焦ったぜ」
ぶらぶらと屋台をひやかしつつ、イアンが私に恨み言を並べ立てる。メイベルがフンと鼻を鳴らした。
「あら。ならば、まずは陛下が謝罪なさるべきでしょう。リリアーナ殿下がお可哀想だわ」
「いや、ガイウスだってお可哀想なんだよ。あれから姫さんは執務室で昼寝もしてくれねぇわ、食事もひとりで自室で取るわ。謝る隙もねぇじゃねぇか」
「あたしは手紙と可愛らしい花束のひとつでも贈れって言ってるの。……っとに、気の利かない男共なんだから」
「うぐぉ……っ。そうか、その手があったのか……!」
打ちひしがれるイアンを無視して歩を進める。
……私だって、仲直りしたいとは思っているのだ。ただ意地になりすぎて、完全に機を逃してしまった。
じんわりと浮かびそうになる涙を払い、屋台見物もせずにしゃにむに突き進む。いつものドレスより短い膝下のスカートと、革の編み上げブーツのお陰で歩きやすい。
袖のふんわりした真っ白なブラウスに、焦げ茶色の細身のベスト。胸元を飾るのは鮮やかな赤のリボン。
町娘そのものといった格好に、今朝袖を通した瞬間は心が浮き立ったものの、今や嬉しさはすっかり半減していた。ヤケになって地面を蹴る。
(……本当は、ガイウス陛下にお見せしたかったのに……)
だんだんと歩みが鈍くなり、とうとう私は足を止めてしまった。
……もう一度。
もう一度だけ。
この服を見せるって名目で、執務室に顔を出してみようかしら。
ほんのちょこっとだけで構わないから、一緒にお祭りを見物しませんか? って、勇気を出して誘ってみるの。
よし、と心に決めて振り返る。
「ねえ。イアン、メイベル。私、やっぱり――……」
「うおおっ、見ろよ姫さん! ディアドラの奴、今年は審査員側で参加してやがるっ!」
突如として吠えるように叫び出し、イアンが私とメイベルの手を引っ掴んだ。そのまま風のように走り出す。わわわわっ?
「ぃよっしゃああ! まずはディアドラをやっつけてコインを手に入れようぜえぇーーーっ!!」
「いや待っ……! 私、私はガイウス陛下に――!」
抵抗むなしく強制連行されていく。あああ、お城が遠ざかっていくわ……!




