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第21話 目標設定、完了しました。

 両手で包み込むようにして持ち上げたカップから、芳しい香りが立ち昇る。温かな湯気に顔を近付け、うっとりと目を細めた。


「とっても爽やかな香りだわ……。味も、んん~! 深みのある中に、蜂蜜のほんのりした上品な甘さがあって……。いくらでも飲めちゃいそう」


 はしゃぐ私に、ディアドラが冷たい視線を向ける。


「そうだろうそうだろう。最高級の茶葉に、これまた最高級のお取り寄せ蜂蜜。くうっ、経費をちょろまかして手に入れた、私の秘蔵だったのに……!」


「ケチくさいこと言うなってディアドラ。姫さんがこれで許してくれるっつうんなら安いもんだろ?」


 これまた戸棚の奥から没収した、繊細な砂糖菓子をわっしわっしと口に入れながら、イアンが呑気な口を挟んでくる。ディアドラがカッと目を見開いた。


「そこの大熊っ。味音痴の分際で、私の大事なへそくり高級菓子を――……」


「そうよイアン。それも私がもらったんだからね? いっただきまーす」


 わざと大口を開けて砂糖菓子を放り込むと、ディアドラがこの世の終わりのような顔をした。悲壮感溢れるその様子に、堪えきれずに噴き出してしまう。

 お腹を抱えて笑いながら、砂糖菓子をまたひとつつまんだ。ひん曲がったディアドラの唇に押しつける。


「はい、あ~ん」


 いたずらっぽく勧めると、途端に機嫌を直して砂糖菓子にかぶりついた。なんとも幸せそうなその表情に、イアンと顔を見合わせて笑ってしまう。


 しばし三人でお茶会を楽しんでから、私はこほんと咳払いした。低い声で二人に語りかける。


「ディアドラ、イアン。ちょっと相談があるんだけど――……」


 ガイウス陛下へのぐうたら布教がうまくいっていないことをぽつりぽつりと説明すると、イアンがさもありなんと頷いた。眉根を寄せて声を震わせる。


「俺にはわかるぜ、アイツの気持ちが……。これまで信念を持って、必死で政務にその身を捧げてきたんだ。ちっとは休め、さぼれっつーのは、これまでの自分を全否定されるようなもんなんだよ。受け入れがたいのも仕方ねぇ」


「…………」


 コハクと似たような意見に唖然としてしまう。……イアンが、あのイアンがまともなことを言っているわ……!


 驚愕する私と同じく、ディアドラも疑わしそうな顔をしていた。

 私達の胡乱な視線には気付かぬまま、イアンは苦しげに目を伏せる。


「これまでの自分が間違っていただなんて、そう簡単に認められるか? 現に、現にこのオレだって……!」


 鉄板の口説き文句に駄目出しされちまったんだぜ!?


 憤然と机を叩きつけた彼に、目が点になる。……えぇと、鉄板の口説き文句って……。メイベルに鉄拳制裁を食らったあれ、かしら……?


「アニーちゃんもコニーちゃんもソニーちゃんも、いつも手を叩いて喜んでくれたのにっ。『イアン隊長ってとっても面白いかたね』『センスありますぅ』『あなたといると笑いっぱなしだわ』……って、あれもこれもそれも、全部演技だったっていうのかよっ?」


「ねえねえディアドラ。砂糖菓子をひとくちかじってからお茶を口に含むと、少しだけ苦いような気がするの」


「その苦味が身体に良いのだ。それに、その苦味も慣れると(おつ)なものだぞ」


「――って聞けよお前らあああああっ!?」


 だって全く興味ないんだもの。

 アニーちゃんもコニーちゃんもソニーちゃんも知らないし。……と、いうか。


「今はイアンの恋路の話じゃないでしょう? 議題はいかにしてガイウス陛下にぐうたらしてもらうか、よ」


 唇を尖らせる私に、ディアドラも重々しく同意する。


「そうだな。ガイウスにはそもそも、休むという概念がないのだ。疲れただの眠いだの文句も言わず、黙々と政務に打ち込むばかり。――まずは、あの仕事中毒者を執務室から引き離すべきではないか?」


 なるほど。

 物理的に仕事をできなくさせるわけね。


 むくれていたイアンも一転して瞳を輝かせ、全員で大きく頷き合う。ディアドラがぽんと手を打った。


「――そうだ! じき収穫祭だろう、ガイウスを誘い出すのだリリアーナ! ガイウスも息抜きになるし、あの血湧き肉躍る祭りで二人の距離もグッと近付くはず。一石二鳥というものだ!」


「おおっ、いい考えだぜ! あの死屍累々の祭りでこぶしとこぶしで分かり合い、お前らの気持ちも急上昇に盛り上がって――」


「待って!? 不穏な単語ばかり聞こえてくるのだけど!?」


 精霊に感謝を捧げる祭りじゃなかったの?

 ワクワク楽しいんじゃなかったの?


 背筋に悪寒が走り、鳥肌の浮いた腕を撫でさすった。恨めしげに二人を見比べる。


「……私、不参加でお願いします。草葉の陰から皆さんの無事をお祈りしているわ」


 粛々とした申し出は、即座にぴしゃりと撥ねのけられた。


「駄目に決まっているだろう未来の王妃。……実はガイウスも、毎年祭りには不参加なんだ。責任者として全体を見守る義務がある、などと本心を押し隠して遠慮して」


 それ、本気で参加したくないだけだと思うけど。


 頭を抱える私をよそに、ディアドラとイアンは大張り切りで計画を立てる。


「リリアーナのために動きやすいドレスを用意せねばな。収穫祭は体力勝負――今日から早速走り込みだ!」


「よっしゃ、監督はオレに任せとけ!」


「…………」


 盛り上がる二人を死んだ魚の目で見つめ、軟体動物のようにぐにゃりと椅子からずり落ちた。床を這いつくばって扉まで移動する。

 こそとも物音を立てず、無事に医務室からの離脱に成功した。


 静かに扉を閉めると、やいやい恐ろしい議論している二人の声も遮断された。ほっと安堵の吐息をつく。


「なんて私と相性の悪いお祭りなの……。当日は自室か精霊廟で籠城しなくっちゃね」


 ガイウス陛下も誘ってみようかしら。

 今日は一日、二人で壁を眺めて過ごしませんか? なぁんちゃってっ。


 照れ照れと身悶えしたところで、力なく肩を落とした。……駄目ね、付き合ってくれるはずがないもの。


 ぼんやりと壁にもたれて考え込む。


(……疲れたとも眠いとも言わず、政務に打ち込むばかり、か……。ん……?)


 ふと脳裏に蘇ったのは、精霊廟でのコハクの言葉。



 ――目標を、下げてみたらどうかな?

 ――王様の速度に合わせるんだよ。



「そうだわっ。コハクも言っていたじゃない。……うん、まずはそこから始めてみましょう!」


 名案に手を打って喜び、ぴょんと飛び跳ねるようにして行動を開始する。


 ガイウス陛下に、愚痴を言わせてみせる。

 疲れたときは疲れたと、休みたいときは休みたいと弱音を吐いてもらうのだ。


 今後の方針が定まって、気持ちが晴れ晴れとしてきた。一目散に執務室を目指す。


「それなら、やっぱり恐怖の収穫祭に誘ってみなくっちゃあ。体力を奪われそうなお祭りだもの、きっと『疲れた』ってこぼしてくれるはず!」


 ――目標は、ガイウス陛下に素直な感情を吐露してもらうこと。


 意気揚々と、生真面目なふかふか婚約者の元へ急ぐ私であった。

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